猫たちの立派な「お母さん」をつとめた 茶トラのラバーちゃん
イラストレーターの竹脇さんが育った奥深い住宅地。この場所で日々繰り広げられていた、たくさんの猫たちと犬たちの物語をつづります。たまにリスやもぐらも登場するかも。
子猫の世話を焼く茶トラ猫
私が高校生の頃だから、もう30年以上も前の話になるが、母は家の中にどんなに誘っても入りたがらない猫たちのために庭を改築し、かなりひさしの長い素敵なパーゴラを作った。
雨が降る前にはしっかりと養生した小屋を作り、冬はその中に湯たんぽを入れたりして、自由な猫たちに少しずつイエネコになる段階をふませていた。
そこに、茶トラの猫が長く住んでいた時期があった。大柄で気立てが良く、子猫がやってくると一人前になるまで一生懸命世話を焼いていた。
茶トラは若い猫たちに危ない場所や生き物を根気よく教え、巣立っていく彼らを切なそうに見送っていた。
毎年寒い季節が来るたびに、母は「家に入りなさいな」と茶トラを説得し、なかば無理やりにでも家の中に入れようとしたが、いつも断固拒否されていた。
茶トラは鳥や小さな生き物にも手を出さず、種を超えて愛し愛されていたので、みんなの恋人という意味で「ラバーちゃん」と呼ばれるようになった。
竹脇家をおそった悲劇
ラバーちゃんは我が家に辿り着く前に事故にあったのか、顔が少しゆがんでいた。きっとそのせいで子どもが産めなくなって、庭にやってくる幼い猫たちを育てているのかな、と、家族でよく話していた。
中でも、似たような茶トラの子猫はラバーちゃんにべったりで、その様子がまるでコバンザメのようだったので、「コバン」という名前になった。コバンは、ラバーちゃんが歩けないくらいいつもまとわりついていたが、ラバーちゃんはいとおしくてたまらない、という風情だった。
しかしある時、そんな平和な庭に悲劇が襲った。死をもたらす伝染病がはやってしまったのだ。家の中も外もお世話をする母と私は、毎日薄めた塩素系洗剤で手を消毒しながら頑張ったが、コバンを含めた数匹がその毒牙(どくが)にかかってしまった。
母も私も、もう涙も枯れ果てて、表情も出ない日々だった。そして何より悲痛だったのが、ラバーちゃんがコバンの死を全く受け入れられないことだった。毎日毎日鳴きながら庭中を探し回る姿は、愛する我が子を失った母親そのものだった。
立派な「お母さん」だったラバーちゃん
そこからまた何度も季節はめぐり、ようやくラバーちゃんがイエネコになる決心をしてくれた時は、家族全員で祝杯をあげた。
家の中の猫たちは全員ラバーちゃんをよく知っているから、家に入ってきた時には、花道ができた。誰もちょっかいを出さず、まるで長い旅から帰ってきた王様が、歓待の花吹雪舞う中、民衆に出迎えられているようだった。
王様、そう、ラバーちゃんはなんとオス猫だったのだ。
けれど、マーキングもせず、サカリもなく、ケンカもせず、子育てに生涯をささげた、立派なみんなの「お母さん」だった。
ラバーちゃんが静かに大往生を遂げたとき、我が家ではとても真剣に「ラバーちゃんの銅像を建てるか問題」が猫を含めた家族一同で議論されたことは、冥土の土産にするつもりだ。
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