飼育放棄されていた犬「はな」 家族に迎えた少女は愛情を注ぎ、7週間後に見送った

 葵ちゃんの、9歳の夏は終わろうとしている。海辺の町に住む葵ちゃんが、初めて自分の犬を家族として迎え、7週間愛を注ぎ、そして喪(うしな)った夏だった。

(末尾に写真特集があります)

飼育放棄されていた犬

「すごくつらい思いをしてた犬がいるんだよ」

 葵ちゃんとお兄ちゃんが、「おっかあ」と呼ぶ母親の直実さんからそんな話を聞かされたのは、夏が始まる前だった。

 その犬は、外からは見えない庭先に短いロープでつながれっぱなしで、ガリガリにやせていて、名前もなかったという。助け出されて、海のそばの喫茶店で預かってもらっている。

「9歳の誕生日には、なんにも要らないから、その子と暮らしたい」と、葵ちゃんはおっかあにねだった。友達がみんな持っている自転車がずっとほしかったのだけど、それより、その犬をしあわせにしてやりたかった。おっかあは、ちょっと考えて、「そうしようか」と言った。

 おっかあは、葵ちゃんが小さい時にお父さんと離婚して、ものすごく落ち込んだ時、子どもたちが保護猫たちといつも笑っていてくれたから、元気を取り戻せたそうだ。今のおっかあは、この町一番くらいに元気なおっかあだ。

 喫茶店に迎えに行くと、近所には応援団ができていて、歩けなかった犬は、ヨタヨタと歩けるようになっていた。

散歩する犬
保護されて散歩に行き始めた頃。老犬のようだが、まだ5~7歳だった(預かり主のMさん提供)

先住猫たちも応援団に

 おっかあは、保護猫たちのボス「きのこ」に「つらい思いをしてきた犬がやって来るから、お願いね」と頼んでいた。きのこは人間の言葉がわかる猫だから、犬がやってきた晩から、さっそく押しかけていって毎晩添い寝を始めた。

 犬の名は「はな」になった。「楽しい思い出をうんと作って、つらかったことは忘れようね」と、おっかあは言った。

 遠慮っぽくて表情がなかったはなは、いつも話しかけてるうちにだんだん感情を見せるようになった。原っぱや海辺まで、毎夕、みんなで散歩に行った。はなは、恥ずかしそうなうれしそうな顔をしながら、ガニ股でゆっくり歩き、いろんなところに行きたがった。夏の風がはなのクリームパン色の耳をパタパタさせて、それははなの心が躍っているみたいだった。近所の人たちも「はなちゃん、お散歩いいねえ」と声をかけてくれた。

犬と猫
サビ猫ポチははなが大好きで、いつもそばにいた(直実さん提供)

 猫たちも、はなが大好きで、いつも誰かがそばにいた。去年の台風の頃に相次いで保護したチビ組の「ぽち」と「ふわわ」は、はなのシッポで遊んだり、はなにスリスリしたりして、まるでお母さんに甘えているみたいだった。おっかあがゆでてやったササミを、はなとチビ猫たちで取り合うのがおかしかった。

すでに体はボロボロだった

 はなの排尿の様子が変だった。獣医さんに連れて行くと、腹水を抜いた注射器には真っ赤な血がたまった。お医者さんは言った。「もう手当てのしようがない。もって今日か明日でしょう」。長いこと雨ざらしだったせいで、はなの体はもうボロボロだったのだ。

 一家は呆然とし、泣きに泣いた。だけど、はなは寝たきりになったまま、とても穏やかな目をして、その後を過ごし続けた。いつもはなに話しかけることができるように、玄関の板の間で、みんなで過ごした。はなのそばで宿題をやり、ごはんを食べ、夜も寝る。はなのお見舞いに猫たちも次々やってくる。

 おっかあはあきらめきれず、はなを遠くの大きな病院へ連れて行ったが、ここでも「もうできることはありません」と宣告された。腫瘍はおなかいっぱいに広がっていた。

 今年は夏休みも登校日がたくさんあった。学校から大急ぎで帰ってくると、はなは葵ちゃんを「お帰り」と黒い目で見つめる。お星さまがその目の中にあるのを確かめてほっとし、「ただいま」と鼻筋をスーッとなでてやる。

 1週間ほどたつと、はなは、おっかあのゆでた肉をおいしそうに食べ、立ち上がって歩き回るようになり、いいウンチもするようになった。猫たちもうれしそうにじゃれる。はなは絶対元気になると、おっかあもお兄ちゃんも葵ちゃんも信じた。

なでてもらう犬
「元気になってまた散歩に行こうね」

 「もって今日か明日」と言われてから、5週間。気分がよさそうに見えていたはなの食欲が、突然なくなって再び寝たきりになった。往診に通ってくれるY先生は「う~~ん」と浮かない顔だ。

 おっかあがお盆休みに入ったその晩。葵ちゃんがふと目を覚ますと、おっかあがはなを抱いてひっくひっく泣いていた。はなの目にはもうお星さまはなくて、闇夜だった。はなが家族になって、ちょうど7週間だった。

 みんなで、ビービー泣いた。涙と鼻水があとからあとから流れ出た。はなに最後まで寄りそっていてくれたきのこが、今度はおっかあを心配して寄りそっている。

 いつの間にか朝になっていて、泣き顔のままのおっかあに、お兄ちゃんは懸命に何かおもしろいことを言って笑わせようとしていた。

「猫に囲まれてたはなが、いつかニャーンって鳴くのを、楽しみにしてたのにな」

 おっかあは、泣き腫らした顔のまま、ふふふと笑った。

はなはお星さまになった

「奇跡はきっと起きる」とみんながはなを応援してくれたけれど、はなといっしょの原っぱや海辺の散歩はもう永遠にできない。奇跡は起きなかった。

「でもね、はなは、元の家にいたら、夏になる前にひとりぽっちで土の上で死んでいた。楽しいことは何一つ知らずに。優しい人たちに助けてもらって、うちの家族になってくれて、猫たちとも仲良くなって、一日一日を楽しんで生きてくれた。そんな1分1秒が小さな奇跡で、それが7週間って、すごい奇跡だったよね」

 おっかあは、そう言う。

こちらを見る犬
お別れが近い日。はなの目に光っていたひと粒の涙(直実さん提供)

 はなの応援団のおじさんおばさんも、「はなちゃんは、葵ちゃんちの家族にしてもらってとってもうれしかったんだよ」「だから、あと一日、あと一日ってがんばれたんだね」と口々に言ってくれた。

 その晩見上げた空は、この夏で一番星がきれいだった。はなの目の中にあったお星さまもあの空のどこかにあるのかな、と葵ちゃんが思っていたら、おっかあが言った。

「はなは、もうお空についたかな。空には、じいじいちゃんもばあばあちゃんもポテ松もヒメもいるから、はなはさびしくないね。家族は空でまた会えるんだよ」

 じいじいちゃんもばあばあちゃんも、葵ちゃんにはかすかな記憶しかない。ヒメは、お兄ちゃんがおなかにいたときにおっかあが保護した全盲の子猫で、この春に見送った。おっかあが昔飼っていた「ポテ松」という犬には会ったことがない。じいじいちゃんたちが、下からガニ股でトコトコのぼってきたはなを、にこにこと迎えるシーンが、葵ちゃんの目に浮かんだ。

「えー、ずるいずるい、じいじいちゃんたちに会えるなんてー。葵も会いたい!」

 葵ちゃんは叫んで、胸にいっぱいためていた涙が、夜空に吸い込まれていく気がした。

 はなは、かわいいだけじゃなく、賢くて、我慢強くて、やさしくて、穏やかで、言うことをちゃんと聞いて、猫たちみんなに好かれて、とびっきりのいい子だった。

 いまも、玄関を開けるとはなが待っている気がする。

「はなみたいなかわいい子が最後に楽しく過ごす場所にうちを選んでくれて、それを神様がかなえてくれたのって、やっぱり『奇跡』なのかな……」

 きのこは「そうですよ」と言うような静かな目をして聞いてくれる。チビ猫たちは、はなの寝ていた場所にやってきては、「はなさん、どこに行ったのかしら」という顔をしている。

こちらを見るサビ猫
はなと一番仲良しだったサビ猫ポチ。「はなさんがいなくなったの」

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佐竹 茉莉子
人物ドキュメントを得意とするフリーランスのライター。幼児期から猫はいつもそばに。2007年より、町々で出会った猫を、寄り添う人々や町の情景と共に自己流で撮り始める。著書に「猫との約束」「里山の子、さっちゃん」など。Webサイト「フェリシモ猫部」にて「道ばた猫日記」を、辰巳出版Webマガジン「コレカラ」にて「保護犬たちの物語」を連載中。

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この連載について
猫のいる風景
猫の物語を描き続ける佐竹茉莉子さんの書き下ろし連載です。各地で出会った猫と、寄り添って生きる人々の情景をつづります。
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