阪神淡路大震災直後に生まれた「ピーちゃん」 御年25歳!
昨年12月のある日。「震災1カ月後に拾った子猫 共に歩む家族の25年」という神戸新聞社のネット記事が飛び込んできた。
阪神淡路大震災といえば、1995年に発生し、未曾有の被害をもたらした大地震。それから間もなく保護したということはかなりのご長寿で、しかも大地震のあとの混乱のなか、なんと運のよい猫なのだろう。
サファイヤのような澄んだ瞳のお達者ご長寿
記事によると、飼い主さんは兵庫県神戸市にお住いの藤藪みさ子さん(67歳)、猫の名前はピーちゃん(25歳♀)。
「どうしてもピーちゃんに会いたい!」
譲れないこの想いを胸に連絡を取り、神戸市垂水区のご自宅にうかがうと、あれれ? ピーちゃんがいない……。
実はピーちゃん、かなりの人見知りで、「ここにいますよ」と藤藪さんが指さした先はコタツの中。お布団をそーっとめくると「おぬし、遠路はるばるよく来たな」と言っているのか、サファイヤのような澄んだ目でこちらを見ている。
通常、ピーちゃんのお出迎えの挨拶は「シャー!」、または全身全霊を込めた猫パンチだそうだが、なぜか今日は、静かにくつろいだ御様子。ちなみに新聞の取材のときにはカメラマンに「シャー!」と猫パンチをもれなくプレゼントしたというから、そのお達者ぶりがうかがえる。
避難所だった小学校の側溝に落ちていた
神戸市灘区のマンションの7階で暮らしていた藤藪さん一家は、1995年1月17日、朝5時46分、ドーンと突き上げるような揺れで目を覚ました。
「それまで経験のない大きな揺れで、息子の部屋は本棚が、娘の部屋は洋服ダンスが倒れ、私の寝室は天袋からアルミの衣装ケースが落ちてきました。運よく家族にケガはありませんでしたがマンションは半壊し、住人の方々と近くの公園に避難することになりました」
まもなく公園にテントが設営され、自宅とテントを行き来する生活になる。そんなある日、藤藪さんの長男と長女が避難所になっていた小学校の横の側溝に落ちていた子猫を保護。
「夕方、子どもたちがへその緒がついた子猫を連れて帰ってきて『大きな鳴き声がしたのでのぞいたら、子猫が落ちていた』と言うのです。マンションはなんとか住めるようになっていましたが、ペットは禁止……。でもそんなことよりも『子猫にミルクを飲ませないと死んじゃう!』という気持ちのほうが先で、被災地を車で走りまわり、ペットショップを探しました」
ようやく見つけたペットショップで猫用粉ミルクと哺乳瓶を買って帰るも、子猫は哺乳瓶の乳首がくわえられないほど小さかった。
「仕方なくミルクを少し吸ったストローを口に持っていったら、チューっと吸ってくれて。それから哺乳瓶でミルクが飲めるようになりました」
震災直後の混乱期に「子猫を保護した」というだけで「こんな大変なときに猫なんて」と言われることもあったそうだが、「大変なのは人も猫も一緒」。藤藪さんは子猫に「ピーちゃん」と名付け、職場の昼休みになると自転車で家に戻りミルクを与え、急いで職場に戻り、終業時間になると一目散に家に帰り、ピーちゃんの世話をした。
「ピーちゃんがだいぶ大きくなった頃、マンションの修繕で業者の人が来たら行方不明になってしまいまして。家族みんなで半日以上探し続けたら、なんとまあ、米びつの中に隠れていたんです(笑)。よほど知らない人が怖かったんでしょうね」
まだまだ元気で目指せ30歳!
子どもたちも大きくなり、藤藪さんは灘区のマンションから転居。家族やピーちゃんと離れて暮らす時期もあったが、ピーちゃんのことになると、家族はいつも心を通わせた。
「ピーちゃんはこれといった大きな病気をしたこともありませんが、何年か前にかかった動物病院で『心臓に何かあるかもしれませんが、無理に受診させるより、家でゆっくり過ごさせてください』と言われました。人間にすると116歳ということで、さすがに筋力がなく、歩くときはヨロヨロです。でも私が朝起きると必ず探しにきますし、とても元気です。
私の人生も震災を機に色々なことがありましたが、今こうしてピーちゃんとふたりで暮らせることが何よりも幸せ。まだまだ長生きしてもらって、30歳になったときは、またぜひ取材に来てもらいたいです!」
(文・西宮三代 写真・平山法行)
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