野良猫の「あのこ」が、また塀の上にやって来た(1)

「猫を飼う」という選択肢が自分の人生に現れることは、生涯ないと思っていた。猫に限らず犬も、ウサギもハムスターも、いわゆるペットと呼ばれる生き物と暮らそう、などという考えが頭をよぎったことは、一度もなかった。両親がそれほど動物好きではなく、特に父がペット嫌いの家庭に育った私は、子どもの頃に犬や猫と暮らした経験はない。なぜかジュウシマツを一時期飼っていたことはあったが、世話係は母だった。

 動物との接し方を知らないまま大人になり、そのため、動物、特に犬や猫には苦手意識を持つようになった。苦手なのは「飼い主」という人種に対しても同じだった。犬や猫に幼児言葉で話しかけたり、子どものように溺愛する様子は、理解できなかった。散歩の途中に公園や道端で、愛犬談義に花を咲かせる人々に出会うと、視線を落として足早に通り過ぎ、心の中で思っていた。

周囲を警戒しながら、お気に入りの場所へ(小林写函撮影)
周囲を警戒しながら、お気に入りの場所へ(小林写函撮影)

 動物はしょせん動物、人間とは違うのだから、と。

 だから2年半前、家の近所で出会った野良猫を引き取りたいと思ったときは、我がことながら驚いた。まさか自分が飼い主になろうだなんて。

 2015年7月終わりのある日。

「ほら、また『あのこ』が来ているよ」

 とツレアイが言った。目をやると、自宅マンションの窓から見える、隣家との間を仕切る塀の上に、茶色い縞模様の猫が寝そべっていた。ここのところ、毎日のようにやって来ては昼寝をしていく猫だった。

 夏が始まったばかりで暑い日が続き、木陰になるこの場所は過ごしやすいのだろう。子猫ではなく、立派な成猫だった。首輪をしていないから野良猫だろうと、私たちは推測していた。丸くなっていることもあれば、長くのびていることもあり、この日は、仰向けになり、白いお腹を出して寝ていた。

 私たちがじっと見つめながら小声で話をしていると、気配を感じるのか、目を覚ますこともあった。それでも、驚いて逃げ出したり、威嚇することはない。しばらく私たちと目線を合わせると、挨拶するかのように小さく鳴き、そのままどこかへ行ってしまうか、再び目を閉じて昼寝を続けるのだった。

隣の家の庭を散策中(小林写函撮影)
隣の家の庭を散策中(小林写函撮影)

 野良猫というと、人には決して寄りつかずに距離を置き、こちらから近づこうするととっさに逃げ去る。警戒心のかたまりのような鋭い目つきをし、薄暗い場所に潜んで常に人間を観察している、そんなイメージを持っていた。どこか陰気で、私のように動物に愛着のない人間には、近寄りがたい存在の筆頭だった。

 しかし、目の前の猫は少し違っていた。毎日あまりにも気持ちよさそうに寝ていく姿は、微笑ましくすらあった。

「野良にしては、ずいぶん無防備だね。もとは飼い猫だったのかもね」

 とツレアイは言い、さらに続けた。

「野良猫って、できれば飼ってあげたほうがいいんだよ。外の生活は過酷で、長生きできないから。いつ餌にありつけるかわからないし、縄張り争いで他の猫と喧嘩をして怪我をしたり、病気になったり、交通事故の危険もある。野良猫は自由奔放でうらやましいなんて、人間の勝手な解釈。過去に人間に飼われていた猫だったら、なおさら野良として生きていくのはかわいそうだ」

ひんやりしたブロックの上の木陰は、避暑に最適(小林写函撮影)
ひんやりしたブロックの上の木陰は、避暑に最適(小林写函撮影)

 ツレアイは子どもの頃に犬や猫を飼っていたことがあり、その中には迷い猫もいたらしい。

 野良猫の生活についてなど想像したこともなかった私は、このツレアイの発言に驚いた。今、目の前でのんきそうに寝ている猫も、生命の危機と隣り合わせの世界で生きている。マンション裏のこの場所なら、人目にも猫目にもつかないし、休息の場なのかもしれない。そんなことを思ううち、気がつけば、今日は「あのこ」は来ていないかなと、心待ちにするようになっていた。

【次の回】スーパーの空き地で出会った野良猫 「あのこ」なの?(2)

宮脇灯子
フリーランス編集ライター。出版社で料理書の編集に携わったのち、東京とパリの製菓学校でフランス菓子を学ぶ。現在は製菓やテーブルコーディネート、フラワーデザイン、ワインに関する記事の執筆、書籍の編集を手がける。東京都出身。成城大学文芸学部卒。
著書にsippo人気連載「猫はニャーとは鳴かない」を改題・加筆修正して一冊にまとめた『ハチワレ猫ぽんたと過ごした1114日』(河出書房新社)がある。

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この連載について
猫はニャーとは鳴かない
ペットは大の苦手。そんな筆者が、ひょんなことから中年のハチワレ猫と出会った。飼い主になるまでと、なってからの奮闘記。
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