行き倒れのようなヨレヨレの猫 今では「可愛くて、いとしくて」

これまでの猫生が偲ばれる風貌。右耳がちぎれ、右目もない
これまでの猫生が偲ばれる風貌。右耳がちぎれ、右目もない

 猫など飼ったことのない若夫婦のもとに、ある雨の日、ヨレヨレの猫が行き倒れのようにやってきた。放っておけず、最期を看取るつもりで家に入れたのだが……。

 

(末尾に写真特集があります)

 



 東京湾岸のこの町は、もともとは漁業で栄えた地。かつては潮干狩りでにぎわったこの一帯にも、昔ながらの路地猫が多い。今は座布団の上でぬくぬくと昼寝する「にゃあ」(推定10歳・オス)も、その1匹だった。愛嬌のある顔立ちだが、片耳はちぎれ片目も失ったその風貌は、それまでの苛酷な外暮らしをしのばせる。


「この子を迎えるまで、生き物といえば金魚どまりで、猫なんて飼ったこともなかったんですよ」。そう笑うひとみさんは、保育の仕事をして、夫の邦彦さんと二人で暮らしている。

 

夫婦の休日の楽しみは、にゃあと過ごすこと
夫婦の休日の楽しみは、にゃあと過ごすこと

 2年前の5月。雨がそぼふる夕方だった。


 帰宅直前の職場で、ひとみさんは、先に帰宅した邦彦さんからのメールを受けた。


「黄色い猫がヨタヨタ玄関までついてきちゃったんだけど。かなり弱ってる」


 すぐに「あの猫だ」と思い浮かんだ。2か月ほど前から、餌場のあるこの先でときどき見かけるようになった片耳のちぎれた茶トラ猫だ。もとは飼い猫だったのか、やけに人懐こい。会うたびに痩せていくのが哀れで、「困ったら、うちまでおいで」と声をかけていたのだが、ここしばらく姿を見ていない。


 急いで帰ると、衰弱したガリガリの猫がそこにいた。やはり、あの猫だった。ひとみさんがかけた言葉を覚えていたのだろうか。


 夜間もやっている獣医さんを調べて担ぎ込むと、猫は満身創痍のズタボロ状態だった。猫エイズキャリア。ひどい慢性腎不全。歯は全部なし。右眼球にへばりつく黒茶のかさぶた。推定8歳くらいと聞き、どこでどんな暮らしをしてきたのかを思うと胸が詰まった。


「もうそんなにもたないでしょう」と獣医師は言った。


 せめて苦しみを減らして安らかに最後の日々を過ごさせたい。そう二人は願った。「にゃあ」という名をつけて、点滴や投薬などできうる限りの手当てを尽くして、おいしがるものを食べさせた。


「そうしたら、食欲と共に元気になってきたんです。腎臓や血液の数値はさほど変わらないけど、体力はついてきて、おもちゃにじゃれるようにもなって」と、ひとみさん。


 外に戻すつもりはなかった。未去勢だったが、体力がもう少しつくまでは手術はできない。発情期を迎え、「にゃあ」は、ところ構わずおしっこをかけた。それも、じゃあじゃあと。


「しそうになったら、大急ぎでタオルを敷きに走り、間に合わなかったときの後始末はもう大変」と、ひとみさんは笑って振り返る。そのときすでに、どんなに手がかかっても「がんばって生きてくれて、いとしい」と思う気持ちが胸を満たしていたのだろう。


 去勢手術を終えると、おしっこかけはピタリとやんだ。角膜がダメになっていた右眼球の摘出手術も終えた。

 

人の愛に飢えていたのか、かなりの甘えん坊だった
人の愛に飢えていたのか、かなりの甘えん坊だった

 巡りあって1年と9カ月。「にゃあ」は、すっかり家猫の愛され顔になった。体調もよく、毛並みもふっさり柔かい。子猫のようによく甘え、よく遊ぶ。保護当時2・6キロだった体重は、5・7キロになった。


 腎臓に負担をかけないための薬は毎日3種類。太い注射での生理用食塩水の皮下注射も家で毎日3本。毎月の定期検診も欠かせない。病院に行く支度を始めると、「にゃあ」はスーッとこたつの中などに移動し、「いません」とばかり気配を消しているそうだ。


「いやあ、もうかわいいです。すべてが」と邦彦さんが相好を崩せば、ひとみさんも負けじと言う。「もうね、何をしてても、どんな顔をしても、可愛くっていとしくって」

 

「どんな顔も、どんなしぐさも可愛くてたまりません」
「どんな顔も、どんなしぐさも可愛くてたまりません」

 歯のない「にゃあ」は、ベロを出したら出しっぱなしのシュールな顔になる。それも可愛くてたまらない。


 いっしょに寝ると、夜中に枕の真ん中をぶんどる。それも可愛くてたまらない。


 気に入らないゴハンだと、そっぽを向いたまま、食器の前から動かない。それも可愛くてたまらない。


「私たちにはまだ子供がいませんが、よく手のかかる子ほど可愛いって言うでしょう。ヨレヨレ状態から少しずつできることが増えていくのも、子育て中の喜びと同じじゃないのかな」


 休日、ひとみさんがふと見ると、邦彦さんが口元をほころばせて「にゃあ」を撫でている光景によく出くわすそうだ。


 界隈のノラ猫たちは、市の助成金制度により、ボランティアの手で順次避妊去勢手術が進んでいる。餌場もいくつかあって、いじめる人はいない。それでも、「外にいる猫たちが寒い日や雨の日にどう過ごしているのか、ひもじい思いはしていないか、気にかかります」とひとみさんは言う。


「縁あって『にゃあ』を家族に迎えてからというもの、他の子もしあわせでいてほしいと心から願うようになりました」


 玄関先に来る路地猫たちにご飯をあげていると、「にゃあ」は縄張り荒らされまじと、食事中の猫の後ろに回って、尻尾にガブガブ噛みつく。だが、いかんせん歯がないので、「なあに?」という反応しかされないのだそうだ。


「喜んだり甘えたりとぼけたり、猫がこんなに感情豊かな生き物とは。毎日、家に帰るのが楽しみです」「一日でも長く一緒に暮らせるよう、できる限りのことをしてやりたい」


 二人から愛の言葉をふりそそがれ、「にゃあ」は照れたように、くるんと寝返りを打った。

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この特集について
猫のいる風景
猫の物語を描き続ける佐竹茉莉子さんの書き下ろし連載です。各地で出会った猫と、寄り添って生きる人々の情景をつづります。
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