映画監督 犬童一心と猫 飼うことは看取ること
十年前に拾った猫の背中が丸くなった
子供の頃、うちの家は動物を飼うことをあまり好まなかった。
両親とも熊本の田舎の農家出身、副業で牛を飼っていた。この牛が競売にかけられ、売られていく。その別れのつらさが身にしみていたのだ。
「飼ってもね、死んじゃうから。つらいからね」と、よく言っていた。
競売で別れるというのは特殊だが、動物と一緒にいるということは、その動物の生きるスピードと向かい合うことを良しとするしかない。
人よりも早く歳を取り、いつしか追い越し、先に逝く。飼うということは看取ることを受け入れてこそなのだ。
ただ、そんなに強い覚悟をして飼い始める訳ではない。一緒にいて、あるとき、ふと、「あれ? 歳を取ったな」と思い、猫が自分の歳を追い越したことに思い至る。
そこから、追いやっていた看取ることの切実さがじりじりと迫りはじめる。
うちの猫の名はチャッピー。捨て猫出身だ。
「メゾン・ド・ヒミコ」という映画の撮影で、静岡の御前崎にいて、戦後最大級の台風に襲われた。そのとんでもない暴風雨の中でずぶ濡れで鳴いていたのを妻が見つけた。
今でも覚えている。どこか申し訳なさそうな、不安な顔をした妻がやってきて、持っていたバッグの蓋を開けたときのこと。バッグの底には、小さく、手のひらに乗るような三毛猫が震えうずくまっていた。宿泊先の旅館でちょろちょろ歩いているチャッピーを見た主演のオダギリジョー君が刺し身をあげると、喜んで食べた。
あれから十年が経ち、あるとき、ふと、そのチャッピーの背中が随分と丸くなったことに気付いた。そのときから、ときどき寝ている最中の呼吸する胸の上下運動をじっと見るようになった。
「間違いなく生きてる」と確認して、ホッとする。その思いのほか速い胸の動きが、迫る別れを、その感触を一瞬想起させ、一抹の寂しさを感じる。「最近は、20年生きる猫も多かったりするから」と誰に言う訳でもなく声に出してみたりする。
吉祥寺に仕事場がある。年間パスポートを買って、井の頭自然文化園にいる象のはな子のもとに通っている。日本で一番長生きの象。もう69歳になる。
5歳のとき幼稚園の遠足で初めて出会った。学生時代デートで会いに来た。結婚して奥さんと何度も会いに来て、散歩がてらまた会いに来ている。
ずっと彼女はそこにいてくれる。もう、半世紀だ。
その感慨と安心は何ものにも代え難い。
チャッピーにも長生きして欲しい。きっとしてくれる。
でもチャッピーは猫だ。象のようにはいかないのだ。彼女は彼女のスピードで生きるしかない。
さあ、字数が来た。書き終えて、チャッピーに会いに戻ろう。
(朝日新聞タブロイド「sippo」(2016年1月発行)掲載)
犬童一心(いぬどう・いっしん)
1960年東京生まれ。映画監督。79年、高校時代に撮った「気分を変えて?」がぴあフィルムフェスティバルに入賞。主な監督作品に「金魚の一生」「二人が喋ってる。」「金髪の草原」「ジョゼと虎と魚たち」「メゾン・ド・ヒミコ」「グーグーだって猫である」「のぼうの城」などがある。
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