横顔のぶっこ ファインダー越しに「美人さんだなぁ」
文・撮影/工藤朋子
「311地震のショックがきっかけで発症し、1年前に失明、今も奮闘中の9歳。もう1頭は、そのお宅にレスキューされ家族になった8歳。ともにおんなのコ」
事前情報を簡潔に言えばそういうことだった。
「なるほどー……」内心、こころの持っていき方を探る。きっとちょっと、大変なのだ。でも推測しすぎるのもよくないなと思い直し、それ以上の情報は頭に入れず、2頭が住む山形は米沢市へ向かうことにした。情報に偏りすぎて決めつけになってはいけない、決めつけたくない。逢いに行きたい、ただそれだけでいいものね。
311の震災を経験した後の東北へは、すでに何度も足を運んだ。自分の眼で見、接し、感じ、その上で何ができるか思案してきた4年。今まで知ることのなかった、また別の濃密な「4年」。少し神聖な気持ちで電車に乗った。
新緑の5月初旬。冬の寒さが厳しい東北地方にとって、春は別格なんだと思う。待ちに待ち、ぎゅっと縮こまった冬のぶん、うんとひらいていいんだよって言われている気さえする。数日前に実家・仙台入りしていた私は、どう米沢へ向かおうか考えていた。新幹線で南下がシンプルだけれど。悩んだ末、ローカル線の仙山線で西へ向かい、ぐるっと内陸側から米沢入りするほうを選んだ。青空、夏日だったその日、のどかな山あいは蒼々と美しく、木の芽どきの新緑が放射の筋になってきらきらと流れては車窓を彩り、ちょっと開けた隙間から、新芽の頃独特の土の匂いが入り込んでくる。ボックス席で、日帰りハイキングへでも向かうのであろう老夫婦と相席になり、遠慮気味にカメラバッグを膝に抱えながら、「そうそうこれだ、この美しさだよ東北の春は」と、ずっとニマニマと外を眺めて移動時間を過ごした。
待ち合わせの米沢駅。待っていると遠くから呼ぶ声。振り返ると、抱っこされ向かってきたのは、目をくりくりさせて、もうそのまま飛んで来そうな勢いのブリンドルのフレブルちゃん。このコが妹分のどらみ。抱いていたのは飼い主の尚美さん。これまた明るく屈託のない笑顔で、はじめましてと思えないほど、大きくわーっと手を振って迎えてくれた。そのまま案内された自家用車の後部座席には、ベッドで横になり、くつろぐクリームのコ。「眠いので後でね」とでも言っているかのように、ちらりこちらを見るような仕草。このコがぶっこちゃん! はじめまして。
尚美さんのパートナー、きよしさんの運転で、行きつけのカフェへ案内していただいた。勝手知ったる我が家のように、着くやいなや、またしてもどらみちゃんのパワフルな営業開始。店内のみんなに残らず挨拶をしに行く。『はじめまして、はじめまして! どらみです、どうも!』あっという間にあちこちで笑いが起こり、店内全体に和やかな空気が流れる。目が覚めたぶっこちゃんはというと、慣れた様子で尚美さんの膝の上におさまっている。ときどき厨房のほうへ意識をやるように顔を向けたり、膝の上にあごをのせて様子を伺ったり。おだやかな表情で佇む姿。「ぶっこちゃんは美人さんだなぁ」ファインダーを覗きながら、それが彼女への第一印象。数年つづく闘病、両目の視力を失ったぶっこと、飼育放棄から救い出された経緯を持つどらみ。あらためてお話を伺った。
尚美さんが、初めての飼育にして初フレブルとして迎えたのがぶっこちゃん。2005年6月生まれ。社交的であちこち何処へでも出かけてゆく尚美さんに似たのか、無駄吠えもなくどの犬とも仲良し。ご飯もよく食べよく遊びよく寝る、模範生のような性格。仕事で毎日出かけるので、留守番もお手のもの。一緒に過ごしてきて困ることはほとんどなかったという。
そんな暮らしを一変させたのが、2011年3月11日。内陸部とはいえ、米沢市も震度5強を観測した。心配になり、仕事の最中抜け出して戻った、ぶっこちゃんがひとり留守番していたマンション5階の自宅。食器棚から落ちて割れたガラスの器が散乱するリビングの奥、定位置である壁側のソファベッドでひとり震えていたぶっこ。そのまま尚美さんの勤務先へ連れて行くことに。余震の心配もあり、その日からはぶっこちゃんも毎日尚美さんと一緒に出勤する日々が始まる。人も犬も心持ち落ち着かなかった頃。揺れのショックからか、ぶっこちゃんは食べても飲んでも吐いてしまうことが続き、地震のアラーム音には敏感に反応して震える。その症状はなかなか良くならなかったが、点滴や飲み薬で様子を見つつ、心理的なことだから、きっと余震がなくなれば少しずつ良くなるだろうと願いながら過ごした。8・4キロあった体重が7・6キロになった4月には、かかりつけの医者を替え、別の処方を試みたり入院で様子をみたり。良いといわれるものは何でも試した。ぶっこの様子は一進一退を繰り返しながら、2012年の春に「タンパク漏出性腸症」と診断される。ともかく日々ぶっこちゃんの様子をみながら、今何が必要かを模索しながら進んでいくしかない。今日が良くても明日はわからない。そんな日が続いて行く。
そして、2011年暮れにもうひとつ大きな変化がやってくる。その年の11月、尚美さんの知り合いの方の自宅近く、福島の病院で、飼育放棄で行くあてのないフレンチブルがいるのを知る。『はなちゃん4歳、メス。両後脚麻痺あり。飼い主の飼育放棄により病院で保護中』情報はたったのそのくらい。とうぜん、気になった尚美さん、数日後にはそのコに逢いに行く。きよしさんがその頃を振り返り、「反対しても、きっと連れて帰るって言うだろうなと思いましたよ」と笑いながら語ってくれたとおり、対面しての帰路、尚美さんの心はすでに決まっていたという。ぶっこちゃんの心配もありながら、一番の理解者であるきよしさんがサポートしてくれたことは心底心強かったろうと思う。前の飼い主が手放す際、安楽死への同意もしていた「はなちゃん」は、カラーもリードもなにひとつ持たされておらず、ほんとうに身ひとつで尚美さんに委ねられ、「どらみ」として再出発することになる。予定より早くバタバタと迎え入れることとなった12月3日は、ちょうど尚美さんのお母さまの命日だったそうで、それはもうなにか、そういう流れだったとしか思えないような……。
麻痺があり、当初引きずって歩いていた両後脚は、少しのリハビリと内服薬のみで一年も経たないうちに完治し、今はまったく問題ないそう。ひとことで言って「天真爛漫」としかいいようのないどらみ。新しい環境にもすぐ馴染み、ぶっことの姉妹関係も良好。周りの誰をも笑顔にしちゃう、考えるより先に感覚でわーっと突っ走るタイプだけど、実はちゃんと状況をわかっているコだなと感じてもいた。事実、おでかけとわかれば我先に飛んできて催促するが、出かける理由がぶっこちゃんの病院だとわかると、決して騒がないんだとか。自分に何があったのか、どういう状況で、なぜいまココに居るのか、たぶんちゃんと理解している。誰にでも駆け寄って、「どらみといいます、よろしくよろしく。わたしいまここにいますよ、しあわせです」って広めて回る?姿、いじらしくてぎゅっと抱きしめたくなるよ、と見つめながら思った。
2013年の年末近く、また大きく体調を崩し緊急入院したぶっこ。その際、医者からは生命に関わる状況と告げられる。ならばと自宅療養を願い出て、お正月休みを返上して家族みんなで見守り、乗り切った。これまで数々のエピソードを聞いてみて、正直言って大変だろうと思う、ほんとうに。だけど明るく前向きな印象のぶっこ家。コツがあるとすれば、起きたことはもうすべて受け入れる、悩み考える時間より、とにかく目の前の状況への対処。できる方法があればやってみる。大きい目標は立てないけれど、楽しめることはためらわず、今一緒にいられる幸せを優先する、おそらくこんなことらしい。
2013年の危機を乗り越えた末の2014年4月、両眼網膜剥離と診断され、今は両目とも視力を失ったぶっこ。診断から失明までが早かったこともあり、正直「神様どうして……」との思いは否めなかったそう。なにより、ぶっこ自身の戸惑いが大きかった。でも引きかえに、命だけは奪わないでくれたんだからと、尚美さんは見えなくなった今でも変わりなく、以前行った場所や旅したときと同じ季節をまた一緒に味わいたいと、その折々を楽しみながら過ごそうと心に決めている。
私自身も「視る」という行為を仕事にしているからこそ、その情報に頼りすぎないようにと意識することがある。バランスを取り直してみるようなこと。五感の他の部分、犬のほうがだんぜん優れているから、風向きに鼻先をあげて何か感じとっている時の犬の横顔は美しいと思うし、好きで無意識にシャッターを切っていることが多い。プロフィールという言葉、もとは「横顔」という意味だったらしい。ぶっこちゃんの横顔もまた美しくて、「美人さんだな」と感じた第一印象そのままで愛おしい。尚美さんがぶっこの目になってあげようと思うのと同じように、ぶっこちゃんもまた、ママの一部を補う何かのセンサーになっているんだろうな。犬と人の関係の、深く、素晴らしいところ。「美しさとは」のひとつの答えのようにも思えた。
工藤朋子
フリーランスフォトグラファー。雑誌・広告・書籍等にて犬、こども、ファッション、インテリア、料理、旅、アウトドアなど撮影。
「仕事は楽しく、想いを写真に」http://pho-tomo.petit.cc
BUHI vol.35(夏号・2015年6月発行)より
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