「本当にかわいい子でした」 クリスマスイブに虹の橋を渡っていった愛犬「ハンター」

マルと仲良しだったハンター(右)

 2023年12月24日、クリスマスイブに「ハンター」が虹の橋を渡っていきました。実は正確な時間はわかりません。

あの日の夜

 いつもリビングに一人で寝ている「ココ」がトイレをしたことを知らせるために吠(ほ)えたタイミングで私がココを迎えに行き、寝室に連れて来て、明け方まで夫と私、そしてハンターと「マル」とココの5人で寝るのがルーティンになっていました。

 あの日もココが2時30分頃に吠え始めたので私がリビングに行き、ココを連れて来て、私と夫の間で寝ていたハンターがかけていた布団をめくったところ、目を開けたまま、息をしていないハンターが……。そう、夫も私もハンターの最期に気づけなかったのです。

 23日もハンターは『動物医療センター赤坂』で皮下点滴をしてきただき、すごく元気でした。でも翌24日はあまり元気がなくて、また皮下点滴に……。実はこの2カ月程は、すごく元気で食欲もある日が数日続いたかと思うとガクンと元気がなくなり、食べられなくなるという繰り返しでした。

獣医さん二人がかりで毎回、点滴をしていただいていた

 一喜一憂という言葉がありますが、その頃のハンターと私の毎日は一喜五憂という感じでした。悪性リンパ腫の告知を受け、計4種類の抗がん剤を投与していただきながら闘病していたハンターは、副作用なのか、もともとの内臓疾患が関係していたのか、食べられるものがどんどん少なくなっていました。

 でも、その都度、工夫を重ねた結果、トリーツやフードに好きなものが見つかり、よく食べてくれた日もありましたし、「消化器サポート」の缶詰を注射器に詰めて、口の奥に入れるという方法で食事をとらせる日もありました。

 昨夏、命拾いをしたココが連日の皮下点滴で見違えるほど元気になったこともあり、最終的に“3週間に1度”投与する抗がん剤に切り替わったときは、「点滴をしていただけばハンターは元気になれる」と信じ、次回の抗がん剤投与までの間、病院で何度点滴をしていただいたか、わかりません。

診察を嫌がらなかったハンター。偉い!

 実際、皮下点滴をしていただけば見違えるほど回復してくれたハンター。この先も悪性リンパ腫と付き合いながら、少なくとも、あと数カ月は一緒に暮らせるのではないかと信じていました。

「抱っこして」

 でも、別れは突然やってきました。クリスマスイブの日、午前中に点滴をしていただき帰宅すると、ハンターはずっと私に抱っこをせがみ、お昼頃から夜7時頃まで、ハンターはほぼ私の膝(ひざ)の上にいました。

 私がトイレに立ったとしても、ソファーに戻ってくればまた私の膝に乗りたがり、これまでの“抱っこ時間”最高記録をその日は更新していたと思います。

 夜8時頃、夫が帰宅。ハンターがずっと私の膝の上にいたことを報告し、夫に“バトンタッチ”した途端、ハンターは転びながらリビングを走り回ったり、リビングの隅に頭を埋めたりしながら、また私たちの元に戻ってくる……というのを何度も何度も繰り返していました。

 いま振り返れば、そんな行動をするハンターを見たことはありませんでした。でも、また明日になれば点滴をしていただける。そう思いつつ、一緒に『M-1グランプリ』(テレビ朝日系)を見て、夜10時頃、夫が先にハンターをベッドに連れて行きました。

最期のとき

 その前週、夫は海外出張をしており、実はその間もハンターが旅立ってしまうのではないかという日がありました。夫に電話をかけ、ハンターに呼びかけてもらい、「帰ってくるまで待っててね」とハンターに伝えた日もありました。

 実は夫が不在の日は、ココとハンターとマルと私はリビングのソファーで寝ていました。ココやハンターに何かあったとき、すぐに気づけるからです。

 でも夫も帰ってきたし、クリスマスイブだったし、私はちょっと気が緩んでいたのだと思います。

 夫がハンターを寝室のベッドの毛布と羽毛布団の間に寝かせてくれて、洗顔を済ませた私が床に入ると、一瞬、ハンターは見たこともないような動きをしながら私たちの足元の方向に潜っていきました。

 私が「ハンちゃん、どうしたの? もっと上においで」と言うと、いつものように上部に戻ってきてくれたので夫とハンターと私と、“川の字”になり、私がハンターの身体に右手を添えて眠りについたのが午後10時30分過ぎだったと思います。

病院にて。「動物医療センター赤坂」の皆さんには本当によくしていただきました

 そしてハンターが息をしていないのに気付いたのは、それから約4時間後……。

 息はしていませんでしたが、まだ温かかったし柔らかかったし、目はパッチリ開いていて、「あれ?」「僕はどうしちゃったんだろう?」という顔をしていたハンター。

 先代のピンが旅立ったときは、直前に発作を起こし、最後の約20分ほどハァハァと息を荒くして、最期、スーッと息を引き取ったのをこの目で見ていましたから、もしもハンターが旅立ってしまうときがあるならば、そんなふうになるとばかり思っていた私。

 でも、クリスマスイブの夜、暴れるというほどではありませんでしたが、私の膝から降りてはリビングを徘徊(はいかい)し、また私の元に戻ってくるというのを何度も何度も繰り返していたハンターは、自分の余命を知り、私たちに知らせてくれていたのだと思います。

 なのに私はまた“ダメな飼い主”でした。だって、ハンターの最期に気づいてあげられず、横で寝てしまっていたのですから……。

遺影です。本当にかわいい子でした

 そのときからまた私は心の中で「ごめんね」を繰り返していました。ピンのときと同じです。昨年の6月、ハンターが悪性リンパ腫の告知を受け、しかも珍しいタイプで、抗がん剤がなかなか効かず、次から次へと異なる種類の抗がん剤を投与することとなり……、昨夏はココもマルもそれぞれ具合が悪くなり、私自身も昨年8月には手術をすることになり……と、万全の態勢でハンターに寄り添うことはできませんでした。

 それでも出来る限りのこと以上はしてきたつもりでした。治ると信じて……。でも別れは予想以上に速いタイミングでやってきてしまいました。

つらいことが重なって…

 既に四十九日が過ぎたというのに、いまも全く実感がわきません。ひょうきん者でもあったハンターは骨壺の中で“かくれんぼ”をしているような気がして……。「ハンター、どうして、そんなところにいるの?」と毎日、声をかけてしまっています。

 今年、日本は元日から本当につらい出来事ばかりが続いていて、個人的にお世話になっていた芸能人の方の訃報も相次ぎました。そこにハンターとの別れが重なったことに耐えられなくなって、実は一月は何もできませんでした。

「悲しい気持ちに蓋(ふた)をして」他のワンコやニャンコのお世話をしているという奥様の様子について坂上忍さんが綴(つづ)っていらっしゃるのを読んで、私もしっかりしなければ…と思う今日この頃です。

 とはいえ、ハンターのことを書くのは、とってもつらいです。ちっとも、まとまりませんが、また来月、“それから”のことを書かせていただければ幸いです。お読みいただき、ありがとうございました。

(次回は3月12日公開予定です)

【前の回】大きな成果を残した譲渡会 「動物愛護委員会」の“役割”を知り今年も尽力を誓う

山田美保子
1957年生まれ。青山学院大学卒業後、ラジオレポーターを経て、放送作家、コラムニストなどを務める。『踊る!さんま御殿!!』の構成や、『サンデージャポン』『ドデスカ!+』などのコメンテーターを務める。ほかに雑誌、新聞、WEBに連載多数。

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この連載について
山田美保子の育犬日記
人気放送作家の山田美保子さんが愛犬たちとの日々をつづるブログ。ペット愛好家セレブの御用達グッズなど、芸能界の話題も。
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