ウクライナのセンターを訪問 犬たちは「さみしいよ、つらいよ、遊んでくれ」
2022年4月から5月にかけて、ポーランドとウクライナの動物保護を取材に行って来ました。その報告の7回目です。
タルノポーリへ向かい、緊張感が高まる
ウクライナと国境を接するポーランドのプシェミシル。ここに「プシェミシル日本文化センター」がある。代表を務めるのはポーランド人のイガ・ジョホフスカさん。大の日本好きで日本文化を広める活動をピアニストの小川敦子さんとともに30年近くにわたって続けて来た。イガさんは大の動物好きでもあり、ポーランドの動物管理官も務めてきた。
ロシアによるウクライナ侵攻が始まるとすぐに、被災した犬と猫を引き受けた。その数は4月までに犬猫合わせて24匹。広大な庭のある家には、犬舎、猫舎が点在して、100匹近い保護犬猫が暮らしていた。
5月に入り、イガさんが再びウクライナに入り、被災した犬と猫を助けに行く、というので同行させてもらった。小川さんとともに歩いて国境を越えた。ウクライナに入るとイガさんの知り合いで、ウクライナ中部の都市、タルノポーリ市の元町長、カシツキ・ボロディミールさんが車で迎えに来てくれた。イガさんはこれまでもカシツキさんを通じて、ウクライナの犬と猫を保護してきた。
カシツキさんの運転でタルノポーリへ向かう。だいたい3時間くらいと聞いていたが、中部に向かうのは少し勇気がいった。それまで西部の都市リビウも訪問したけれど、東に行くほど戦火は厳しく、死傷者も多い。タルノポーリは比較的安全と聞いていても、何が起こるかは誰にもわからない。緊張しながらも小さなカメラを肌身離さず持っていた。何かあったら撮ろうと考えてしまうのはテレビ屋の業のようなもの。
ウクライナを東西に走る幹線道路には結構な数の車が走っていて、時より軍関係と思われるトラックなども続き、道路の至る所に要塞(ようさい)を見かけた。並んで建つビル群はリビウと比べると簡素な佇まいで、ソ連時代の名残を感じた。ロシアに少しずつ近づいているのだ。
さみしいよ、つらいよ、遊んでくれ
最初に訪れたのはタルノポーリの猫の病院。ごく普通の動物病院だが、海外に避難したひとたちの猫や飼い主がいなくなった猫を預かっているという。30匹くらいいただろうか。診療室の奥に猫舎があり、ケージがずらりと並んでいた。獣医師の女性は可能な限り預かりを続けているという。イガさんもこの動物病院から猫を引きとっていた。
再び車に乗って、次は、タルノポーリ市営の不妊去勢手術センターへ向かった。ウクライナでは野良犬対策として、各都市に野良犬用の不妊去勢手術センターがある。野良犬はこのセンターに収容され、不妊去勢手術を施され、耳にタグをつけられて、元いた場所に戻される。日本でいう地域猫のようなしくみだ。野良犬は処分されることなく、その地域でのんびりと生きていける。なかなかよいしくみだと思う。
しかし、侵攻が始まってからはこのセンターにも被災した犬が運ばれてきたという。センター長の女性の案内で施設を見せてもらった。100匹近い犬がいて、そのうち25匹はキーウから来たという。中庭は広いが犬舎はコンクリートできた質素なつくりで、それぞれの部屋は掃除が行き届いているとはいえなかった。大型の犬が多く、私たちがやってくると大きな声でほえ立てた。中には母犬と子犬もいて、痩せ細った母犬から子犬たちが必死に乳を飲んでいる姿が胸を打った。どの犬たちも、さみしいよ、つらいよ、遊んでくれと言っているように見えた。
イガさんとともに手術室も見学した。とても簡素であまり衛生的には見えなかった。イガさんは手術室が非衛生であること、犬舎の掃除が行き届いていないことなどを指摘して、憤慨していた。センター長は、いろいろやりたくても予算が足りず、ギリギリなのだと訴えた。当然だと思った。人間だって命カラガラの状態のなかで、それでも野良犬たちを救おうとするだけで、本当に立派だと思った。
ちょうど犬たちの食事の時間が始まり、それも見学した。おかゆのようなドロドロのフードを見て、イガさんは再び爆発。柔らかいフードは歯石を取らないから、ドライフードにすべきだと主張する。センター長と言い合いになった。「予算がない」と言い続けるセンター長に「私が支援を呼びかけるわ」とイガさんが宣言して、いつのまにか、二人は手を取り合っていた。衝突してもお互い犬のため、できることをしようというわけだ。
ポーランドに連れて帰りたい
最後に見た犬舎の光景が忘れられない。治療の必要な犬が2匹隔離されていた。隔離された犬舎に入ると人が好きなのか、すぐに近寄ってきた。1匹はラブラドル・レトリバーのようで人なつっこく、笑顔を見せてくれた。しかし、ガリガリで骨が見えるようで、体のあちこちにコブのような腫瘍(しゅよう)があった。見つめられると悲しくて悲しくていたたまれなかった。
ひどい目にあっているのは犬だけじゃないとしても、どうしてこんなことになったのかとあらためて、人間の起こした闘いを憎いと思った。イガさんも「テリブル、テリブル(ひどい、ひどい)」と連呼していた。思わず、「イガさん、この犬をポーランドに連れて帰ろうよ。費用なら私が何とかするから」と言った。センター長にも相談したが、「面倒を見ているひとがいるし、病気にかかっているからすぐに国外には出せない」と断られてしまった。
そうだよな、思いつきで救えるものではない。イガさんはポーランドへ連れて行ける犬を選び、センター長と交渉をしていた。この時はすでに国外への犬の連れだしに結構な許可が必要になっていた(侵攻が始まったばかりのころは、動物パスポートが即時に発行されたが、あまりに多くの犬猫がポーランドへ入国したことで、状況が変わっていた)。
イガさんは助ける犬を申請して、帰路に着くことになった。帰り道、イガさんは車の中で「ひどい、ひどい」と言い続けていた。その言葉を聞きながら、何もできない自分がもどかしかった。せめて伝えることだけでも、とこれを書いている。
ロシアからの侵攻が始まって1年が過ぎた。いつ終結するのかわからない。人々も疲弊し、ということは動物たちもどんどん過酷な状況を迎えている。できることをこれからもやっていきたいと思っています。
最後に。ピアニストの小川敦子さんが2月に他界されたという連絡がありました。プシェミシル文化センターで小川さんが弾くショパンを聴いたことを思い出します。普段は物静かな方ですが、演奏が始まると音楽に集中され、力強い音があふれだし、感銘を受けたことを覚えています。
小川敦子さんのご冥福をお祈りしています。
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