動物看護師が大切に守り続ける 動物病院嫌いのおばあちゃんがくれたメッセージ
動物看護師の梶芙美子さんは、初めて勤務した沖縄の地で、あるおばあちゃんと出会います。愛犬家だけれど動物病院にはめったに行かない。そんなおばあちゃんから言われたシンプルな言葉には、動物看護師が決して忘れてはいけない、深い教えが込められていました。
畜産科の動物が教えてくれたこと
動物園で働きたかった梶芙美子さんは、就職に有利と聞き、高校の畜産科に進学した。そこで待っていたのは、大好きな動物の生と死に、正面から向き合う時間だった。
豚、牛、鶏を育て、出産に導き、時が満ちれば出荷もする。産業動物への感謝や、動物福祉のことなど、彼らに教わったものは計り知れない。家ではペット、学校では人間の生命や暮らしを支えるために存在する動物に接し、心に根を下ろしたもの。それは、「命には色んな役割があり、向き合い方がある」という視点だった。
3年生の時、1頭の豚を担当した。元々体が小さく食欲にムラがあった。環境や餌の与え方を必死に工夫したものの、3回目の出産を控えた妊娠中、突然死してしまう。
「産業動物は生産性があればこそ、その子に価値を持たせてあげられる。それなのに、出産できないまま命を落とすなんて。『私は何てことをしてしまったんだろう』と、無力感に駆られました」
そう梶さんは言う。何もできなかった自分を変えるため、動物看護師の道へと進んだ。
ひたすら受け止めたメッセージ
兵庫県神戸市で生まれ育ち、現在は同市にある動物病院で働く梶さん。初めて就職したのは沖縄県の動物病院だ。本格的に行っているという往診・送迎サービスに興味を引かれ、見知らぬ土地へ飛び込んだ。
希望どおり梶さんは、往診・送迎班に配属された。車で飼い主の家々を回り、病院と往復する日々。そこで出会ったのが、ひとり暮らしのおばあちゃんと、メスの柴犬ミックス「クリッシュ」だ。おばあちゃんの依頼は、病院で処方されたフィラリア症の予防薬を、定期的に配達してほしいというものだった。
おばあちゃんはめったに病院に来ない人だった。「クリッシュがハブにかまれてさー。でも治ったよ」と言われた時は仰天した。
「この地域では、無理な治療を望まず、もし亡くなっても天命として受け入れる人も多いようでした」
目を見張ったのは、おばあちゃんとクリッシュの絆だ。途方もなく広い庭の畑で、野菜を育てるおばあちゃん。庭をのびのびと駆け回るクリッシュ。
「庭にクリッシュが出ると、広いからどこにいるかわからなくなるぐらい(笑)。でもおばあちゃんが大好きだから、呼ばれるとすぐ帰ってくるんです」
おばあちゃんはいつも、色んなことを話してくれた。そしてこう語りかけた。「あなたはこうやって、飼い主さんのお話を聞いてあげたり、お話をしてあげられるような、そんな動物看護師さんでずっといてね」
病院に行くようにと説得しない梶さんを気に入ったのだろうか。梶さんだって、さすがにハブにかまれたら、病院に連れて来てほしいとは思う。
「でも、おばあちゃんとクリッシュの間にはものすごい信頼関係ができあがっていたので、そこに割って入るものが、私は何も思い浮かばなくて。どんなことを言われても、『そんな考え方もあるよね』って、ひたすら聞いて、受け止めていました」
高校生のとき、「命への向き合い方はひとつではない」と感じた体験は、さまざまなタイプの飼い方を受け入れる土壌を作っていた。
おばあちゃんからのシンプルなメッセージ。だがやがて、動物看護師に大切な教えが凝縮されていたと気づく。
「飼い主さんの中には独特の飼い方をする人もいて、最善の治療をしたい獣医師は戸惑うこともあります。でも、病院に連れて来てくれた時点で少なくとも、その人はその子に愛情を持っているということ。だから、まずは飼い主さんの話に耳を傾けて、思いを聞くことが大事です。その上で、飼い主さんと獣医師、たがいの思いを上手に伝えながら、歩み寄れるポイントを見つけていく。そんな橋渡しができる存在になりたいと思いました」
ソーシャルワーカーを立ち上げたい
あの言葉は時空を超えて、さらなる動きへと梶さんを突き動かすことになる。
「ソーシャルワーカー」と呼ばれる人たちがいる。医療や福祉、教育などの分野で困っている人を支援する相談員の総称だ。
ある時、気づいた。「話を聞いて、思いをくみ取り、その人に必要な情報を教えてあげる。おばあちゃんが言っていたことって、まさしくソーシャルワーカーの仕事なんじゃないかな」
考えてみれば動物看護師は誰しも業務の中で、飼い主にアドバイスする『動物業界のソーシャルワーカー』の役割りを担っている。だがソーシャルワーカーには、「そういう悩みなら、ここへ相談してみては?」と言える、サポートのための体制があるのに対し、動物看護師には飼い主支援のために、病院の垣根を超えて連携するネットワークはない。
「それなら私は、動物看護師による『アニマルソーシャルワーカー』を立ち上げたい。飼い主さんが何でも相談できる窓口となり、直接情報を伝えたり、必要に応じて動物看護師や他のプロに紹介することで、解決のお手伝いができればと思ったんです」
また、医療従事者が「話を聞き、アドバイスする」というソーシャルワークスキルを学ぶ機会も提供することで、病気の動物を抱え、傷つきやすい心を持った飼い主への対応力を身につけてもらえるとも考えた。
愛猫が最後に背中を押してくれた
夢の実現に向けて、踏み出す力をくれたのが愛猫の「ステラ」だ。
ステラが16歳になったある夜、体調が急変した。一刻の猶予もないため、夜間も診療を受け入れている近所の動物病院に駆け込んだ。
だが、そこでの対応に虚しさが込み上げた。すがる思いでいる梶さんへの声がけも状況説明も、まったくなかったからだ。夜間救急病院で働いた経験を持つ梶さんにとって、これは驚きだった。
結局、なすすべはないと言われ、ステラと家に帰った。勤務先の病院の先生に連絡すると、すぐ病院に来てくれるというので向かう。診てもらうと、心臓が虚脱した状態だった。ステラはそのまま、梶さんの腕の中で息を引き取った。
「わが子を亡くす気持ちはたとえようのないものです。だからこそ、それにくわえて本来感じなくていい不信感や怒りなど、我々動物医療従事者によって与えたくはないものです。日々、真剣に取り組んでくださっている病院だからこそ、急患を受け入れる立場や、目の前の動物、飼い主さんへの向き合い方などを、学べる環境があれば……と思わずにはいられませんでした。
私自身、注意をいただくことはありますし、すべて完璧な答えがあるわけではありませんが、動物の声をくみ取る我々が、小さな不安を見落とさないために、動物医療従事者がソーシャルワークスキルを学べる機会を作りたい。アニマルソーシャルワーカーを立ち上げよう!」
仲間をつのり、創立メンバーが揃った。おばあちゃんから受け取ったミッションを形にするべく、梶さんの新たな挑戦が始まろうとしている。
(次回は9月27日に公開予定です)
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