足取りは力強く、確かなものに 3頭の盲導犬とともに歩む人生

盲導犬
盲導犬「トリトン」と歩く櫻井さん

 目と耳が不自由でも、盲導犬とともに生き生きと暮らす女性がいる。さまざまな困難を乗り越え、3頭の盲導犬と歩んできた人生とは――。

(末尾に写真特集があります)

盲導犬といっしょに“手話劇団”に参加

 2月、盲導犬ユーザーが盲導犬とともに出演する舞台を観に行ってきた。NPO法人「劇団はーとふるはんど」という手話劇団の公演で、障害のある人もない人もいっしょに舞台に立つ。

 私のお目当ては櫻井洋子さん(65歳)。視力は光を感じる程度で、強度の難聴がある。櫻井さんは2016年にこの劇団に参加し、二代目の盲導犬「スカイ」、そして現在の三代目盲導犬「トリトン」と活動してきた。

演劇
トリトンと劇団はーとふるはんどの舞台に立つ櫻井さん(写真提供:劇団はーとふるはんど)

 この日のお芝居『母ちゃん、またね!』では、盲導犬と暮らす目と耳の不自由な女性さくらの役でトリトンとともに登場。演技する櫻井さんの足元で、トリトンはゆうゆうと寝そべっていた。

ホーム転落をきっかけに盲導犬と歩くことを決意

 櫻井さんは34歳の頃、アッシャー症候群という視力と聴力が低下する難病を発症。やがて失明すると言われ、努力の末に鍼灸マッサージ師の資格を取得し、治療院に勤めた。ところが、あるとき、仕事に行くため駅のホームに立っていたところ、走ってきた人にぶつかられて転落し、大けがを負う。怖くて電車に乗れなくなってしまった。

 初めて盲導犬という選択肢が浮かんだのはそのときだった。

「盲導犬といっしょなら、また電車に乗れるようになるかもしれない」

 じつは櫻井さんは子どもの頃犬にかまれた記憶があり、犬は苦手だったという。だが、また電車で通勤できるようになるなら、と、盲導犬と歩く決意をする。47歳のときだ。

隣にいてくれることで得られる安心感

 公益財団法人日本盲導犬協会から貸与を受けた初めての盲導犬は、「アンソニー」というどっしりした白のラブラドール・レトリーバー。常にアンソニーがそばにいてくれる安心感は大きかった。盲導犬といっしょだと目が見えなくなる前と変わらないスピードで歩けることに感激した。

アンソニーと
櫻井さんにとって初代となる盲導犬アンソニーと

 もともと活動的だった櫻井さんは大好きだったスクーバダイビングに再びチャレンジしたり、盲導犬の啓発活動に日本中を飛び回ったりと、再びアクティブな生活を送るようになる。

 だが、9年後にアンソニーが引退したとき、櫻井さんの病状は進行し、補聴器を付けていても耳が聞こえづらくなっていた。2頭目の盲導犬と歩くのは無理だと思ったという。

ホワイトシェパードの盲導犬、スカイ

 だが、ホワイトシェパードの盲導犬がいると聞き、希望が湧いてきた。それがスカイだ。スカイは真っ白で大型なので車など周囲からも見やすいうえ、音の感受性も高かった。スカイとなら安全に歩けそうだった。

 再び頼もしいパートナーを得て、櫻井さんはお芝居という新たなチャレンジに踏み出す。スカイは稽古中も全身を目にして櫻井さんを見守っていたという。誰よりも何よりも櫻井さんを想い、寄り添ったパートナーだった。

ホワイトシェパード
二代目の盲導犬のスカイと

 ところが、2020年6月、スカイは病気で突然この世を去ってしまう。

 すでに9歳を超え、引退が近づいていたとはいえ、スカイは現役の盲導犬。心の準備もないままに突然パートナーを失った櫻井さんの悲嘆はどれほどだっただろう。

 コロナ禍でスカイの闘病に付き添えなかったことも悲嘆に追い打ちをかけた。スカイが荼毘に付されるときには、まるで自分の身体を焼かれてしまうかのような痛みを感じ、スカイの身体にしがみついて「やだ!やだ!私を置いていかないで」と泣きじゃくったという。

盲導犬慰霊式での出会い

 二度とこんなつらい別れには耐えられない。もう盲導犬は終わりにしよう。スカイ亡き後、櫻井さんはそう心に決めたそうだ。

 だが、その年の秋の盲導犬慰霊式で、訓練士が櫻井さんに「ちょっと歩いてみませんか?」と声をかけた。名前は聞かなかったが、じつはそこにいた3頭のうちの1頭がトリトンだった。久しぶりにハーネスを握ってトリトンと歩いてみたら、身体が盲導犬との歩行を覚えていた。

「別の子と歩いてごめんね」と心の中でスカイに謝りながらも、櫻井さんは頬に心地よい風を感じながら歩いた。

盲目の女性と盲導犬
盲導犬となら目が見えていたときと変わらないスピードで歩ける

「そうだ、盲導犬と歩くって、こういうことだった」

 目も耳も不自由な櫻井さんは白杖歩行ではいつ何にぶつかるかわからず、絶えず緊張を強いられていた。歩くことは楽しいことではなかったから、仕事に行く以外はほとんど外に出ず、家に閉じこもっていた。でも、盲導犬となら自分らしく歩ける。歩く喜びを取り戻せる。そのことを思い出した。

 同じ頃、友人と出かけた旅行先でも、いつも話しかけていた相手がいないさびしさや心もとなさを強く感じた。横に犬がいるような気がして何度も無意識に手を伸ばし、友人に「エアパートナーがいるみたいね」と言われた。

「やっぱり私には盲導犬が必要なんだ」

 そう実感した櫻井さんは喪失を乗り越え、三たび盲導犬と歩く決心をする。

犬とふれあう
櫻井さんの膝枕で甘えるトリトン。盲導犬も家ではふつうの家庭犬と変わらない

 そして、3頭目のパートナーとなったトリトンと暮らし始めて約1年半。いま、あらためて盲導犬の存在の大きさを噛みしめている。パートナーがいれば、日常のささやかなことが大きな喜びに変わる。うまくいかないことがあっても、今度はこうしてみようと思える。

 盲導犬はただ道を歩くだけでなく、人生をともに歩くパートナーなのだ。

「いまトリトンと歩く私の前にはスカイが、スカイの前にはアンソニーが歩いています。私はいま、3頭の盲導犬に導かれ、人生を歩いています」

 盲導犬と歩くときの櫻井さんの足取りは力強く、確かだ。

(次回は5月25日公開予定です)

【前の回】子どものコミュニケーションの扉を開く動物たち 自然の中にある児童発達支援センターへ

大塚敦子
フォトジャーナリスト、写真絵本・ノンフィクション作家。 上智大学文学部英文学学科卒業。紛争地取材を経て、死と向きあう人びとの生き方、人がよりよく生きることを助ける動物たちについて執筆。近著に「〈刑務所〉で盲導犬を育てる」「犬が来る病院 命に向き合う子どもたちが教えてくれたこと」「いつか帰りたい ぼくのふるさと 福島第一原発20キロ圏内から来たねこ」「ギヴ・ミー・ア・チャンス 犬と少年の再出発」など。

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この連載について
人と生きる動物たち
セラピーアニマルや動物介在教育の現場などを取材するフォトジャーナリスト・大塚敦子さんが、人と生きる犬や猫の姿を描きます。
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