チワワが命をもって教えてくれたこと その日から動物看護師は懸命に学び始めた
動物看護師の新谷政人さんは、働き始めて数年目、あるくやしい体験をします。そのとき命が教えてくれたことを胸に刻み、自分を変え、世界を広げながら、やがて出会ったのはアメリカ生まれの救命法でした。
元気だったチワワが突然倒れた
新谷政人さんは、今も鮮明に思い出す光景がある。最初に就職した動物病院で働き始めて2~3年目のことだったか。
顔なじみのチワワがいた。たしか、定期的に薬をもらい、健康チェックを受けるために通院していた。深刻な状態にはほど遠く、元気な姿が愛らしい。
「その子があるとき突然、自宅で血を吐き、グッタリした状態で病院に運ばれてきました」と、新谷さんはそのときの状況を語る。
たちまち獣医師と先輩動物看護師が緊急処置にかかる。「注射、用意して」と、新谷さんにも指示が飛ぶ。
「でも、何をどう用意すればよいのか、今目の前で何が起きているのかさえ、僕にはわかりませんでした。何もできず、その場に立っていることしかできなかったんです」
ぼうぜんとしている間にすべては終わった。スタッフの努力もむなしく、チワワはその場で息を引き取った。そして同じころ、チワワ以外にも、もう今にも亡くなりそうな動物が運ばれてくることが何度も続いた。
動物が好きで、念願の動物看護師になった。しかし気がつけば、言われた仕事をこなすだけの日々になっていたという。この出来事は、そんな新谷さんをハッとさせた。
「できなかった経験を無駄にしてはいけない。そのことを動物たちが、命をもって僕に教えてくれました」
アメリカ生まれのリカバーとは?
このままではダメだ。色んな本を読んで学び、やがて外に出た。
「病院内に閉じこもっていては、変化や成長がないと感じました」
動物看護師を対象に、動物医療関係の団体や企業などが開催するセミナーに出かけて行く。すると、人とのつながりが増え、同じように動物看護師として頑張る仲間がどんどん増えていった。
ある日聴きに行った動物看護師の学会で発表していたのが、カリフォルニア州で動物看護師として働く八木懸一郎さんだ。
アメリカは動物看護の先進国ともいわれ、高い能力を身につけた動物看護師が、責任ある仕事を任され生き生きと働いている。「アメリカの動物看護師は、獣医師と対等です」。八木さんから語られる、かの国の動物看護師の活躍ぶりに、目が見ひらかれていった。
その後の意見交換の場で、思いきって八木さんに話しかけた。仕事への向上心が芽生えていた新谷さんと、動物看護師の仕事に誇りを持つ八木さんは、自然と気が合った。
あるとき八木さんから、「RECOVER(以下、リカバーと表記)を学んでみない?」と声をかけられる。
「リカバーは、アメリカで生まれた、犬猫の心肺停止時における世界基準のガイドラインです。八木さんは、リカバーを作成したメンバーの一人でした」
危ない状態の動物が来院したとき。従来であれば、注射、心臓マッサージ、気管挿管、留置針、点滴、心電図……と、現場で一気に指示が飛ぶ。対してリカバーでは、動物の症状に応じて、どんな処置をどの順序で行うかが整理されているという。
例えばよくある、動物が家でグッタリし、心臓も呼吸も止まった状態で病院に連れられてくるケース。
「リカバーではこの場合、心臓を動かすための注射は、最初にすべきことではありません。それよりも先なのは、心臓をマッサージして、気管挿管といって口の中に呼吸を助けるための管を入れることです」
今やらなければならないことと、あとでもよいことがあらかじめ明確化されており、今やるべき処置に絞って集中できること、動物看護師と獣医師がチーム一体となって行動できることが特徴だ。すると時間のロスがなくなり、結果、救命率が数パーセントでも上がる可能性がある。少ない可能性であれ、リカバーを習得すれば、かつて苦い思いをした救急の場面で、最善の動きができるかもしれないと感じた。
チーム獣医療の力が不可欠
リカバーには、ウェブコースと、ウェブコース修了者が参加できる実習コースが用意されている。特に苦労したのがウェブコースだ。獣医師も動物看護師も同じ内容でハイレベルなため、何度も見返して、理解していったという。
「なぜそうするのか、理論的にわかっていないと、動物を助けられないんですよね」
こう痛感したことで、救急医療以外の業務への姿勢も変わっていく。
「獣医師に言われたままを、知識がないのに行うことは怖いと感じるようになりました。飼い主さんは動物病院を選ぶことはできても、動物は選べません。僕らの知識が不足していたために、来院した大切な命が失われてしまうことは、あってはならないですから」
努力が実り、ウェブ、実習の両方のコースに合格。ようやくリカバーの認定証を手にした。だが、それだけではまだ、命は救えない。特に、危機的な状態にある動物に対し、短期決戦で手を打たねばならない救急医療の現場では。
「たとえどんなに優秀な人がいたとしても、一人だけでは助けられません。そこには皆が本気で協力し合う、チーム獣医療の力が必要です」
そのためにはリカバーでの学びを院内に浸透させなければならない。だが、これまで獣医師が中心となって行ってきたやり方に対し、動物看護師が違う方法を提案し、現場を変える。とんとん拍子に進んだわけではない。
そこで日頃から、「水を飲む量が減った」など、自分が気づいた動物の変化を伝えるなどしながら、治療に関して獣医師と話し、一緒に向き合う姿勢を大切にしていったという。
「コミュニケーションを取り、信頼関係を築くことで、時間はかかりましたが、僕の言葉を受け入れてもらえました。そして、心肺停止という最大の危機を皆で協力して乗り越えることも、少しずつ増えてきました」
視覚を失ったあとも命は続く
動物看護師として、救急医療だけに熱心に取り組んでいるわけではない。新谷さんが働くのは埼玉県三郷市にあるくみ動物病院。救急病院ではなく、人間でいえば予防や健康相談でも気軽に行ける「町医者」みたいな身近な存在だ。
くみ動物病院では、眼科は専門医による高度な二次診療も行う。そのため視覚を失うなど、深刻な症状の動物もよく訪れる。「この子は見えていない」と獣医師に診断されると、多くの飼い主はショックを隠せない。
「でも、視覚は失っても命は続く。見えなくなったあとも、その子は生き続けるんです」
飼い主の気持ちは動物にも伝わっていく。家でしょんぼりしながら動物と接してもらいたくない、と新谷さんは思う。
そこで待合室で、悲しい顔をした飼い主に話しかける。「音やにおいを活用した遊び方やおもちゃがあります」「この子は明るいところなら、まだ見えるかもしれません。物の配置は変えないであげて、足元にライトを置いてみてはいかがでしょう」など、物にぶつかることに配慮しながら、自宅で飼い主と動物が笑顔で過ごせるためのアイデアを絞り出す。
「命を救うにはさまざまな形があります。治療することもその一つですが、飼い主さんに寄り添い、話を聞くだけでも救われる人もいると信じています」
飼われている動物の背後には飼い主がいる。治療を受けるのは動物だが、うちの子の病気で落ち込み、心の支えが必要となるのは飼い主の方だ。そんな飼い主をサポートすることも、動物看護師の大事な仕事だ。
かつて目の前で消えていった命。くやしい気持ちが外の世界へと連れ出し、受け身の働き方から自分を変えた。動物看護師という仕事を通して、新谷さんはこれからも命に本気で向き合い続ける。
(次回は3月22日に公開予定です)
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