断脚後、力強く歩き始めた引退ドナー犬 甘えん坊から「3本脚のスーパーヒーロー」に
動物看護師の三橋有紗さんにとって、姉と弟のように仲良しだった引退ドナー犬の番長が骨肉腫と判明し、断脚手術をすることに(前編)。三橋さんの不安を軽々と越えていくかのように、番長はたくましく立ち上がりました。
動物の「生きる力」に圧倒される
番長の病気がわかったのと偶然同じタイミングで、骨肉腫に効く新薬の治験の話が舞い込んだ(※この薬の治験はすでに終了。現時点で製品化されていません)。抗がん剤治療と併せて新薬での治療もスタートした。
そしてついに迎えた手術の日。見届けたくて、三橋さんはオペ看を申し出る。断脚手術自体は、仕事でこれまで何度も入り、見慣れていたはずだったのだが。
「いざ番長の脚を取る光景を見たらショッキングすぎて。切断後、執刀医に『血圧は?』って聞かれたとき、自分でもびっくりしたのですが、声が出なくなったんです」
だが直後、弱虫で甘えん坊だった番長の、思いもよらぬ姿に圧倒されることになる。
麻酔が切れ、目が覚めた瞬間はさすがにボンヤリしていたものの、すぐに3本脚で立ち上がった。わざと離れたところから、三橋さんは必死に呼んだ。「おいで! ここまでおいで」。すると、慣れない3本脚でフラフラになりながらも、懸命に歩いてきてくれたという。
「人間だったら、目が覚めて脚が一本なくなっていたら、どうしていいかわからないと思う。でも動物って生きることしか考えてないし、あるものでどうにかするのが当然なんですよね」
この子たちは、人間の考えがおよぶことのもっと先にいる。それにくらべて私たちって、なんて足踏みしがちなんだろう――。
包帯はたちまち寄せ書きになった
術後、患部に巻かれた包帯に、スタッフは思い思いに落書きをした。番長を励ます絵や言葉が集まり、にぎやかな寄せ書きになった。
「番長本人は、書かれていることの意味はわからない。でも、皆がニヤニヤしながら自分に近づいてきて、笑っているのを見るのは、番長にとっても楽しいことだから」
三橋さんが書いた言葉は「スーパーヒーロー」。3本脚で力強く歩き始めた番長に贈る言葉だった。
おそらく治験の薬が効いたのだろう。骨肉腫が見つかってから2年3カ月がたった。病気の悪性度を考えると、誰も想像していなかった快挙だった。
だがある日、肝臓にできものが見つかる。良性のものか、骨肉腫の転移なのか、別の悪性腫瘍なのか、この時点での判断は困難なため、経過観察することとなった。
それからわずか20日後。闘病開始後、3回目の誕生日を祝い、番長の好きなドッグランに連れて行った。番長は大はしゃぎ。さんざん遊んで帰った翌日、パタンと元気がなくなった。
輸血で命をつなぐ
超音波検査をすると、おなかの中が血の海だった。肝臓にできたできもの(のちの検査で血管肉腫と判明)から大量に出血したのだ。
かつてはドナー犬として数々の命を救った番長が、輸血される側に回った。このとき病院にドナー犬がいなかったため、かかりつけとしていた飼い主に急きょ連絡すると、大型犬数匹を引き連れてかけつけてくれた。血液が適合した1匹からすぐに血を抜かせてもらい、番長の体に入れる。
わざと血を抜かずおなかを血でパンパンにふくらませ、これ以上血がたまるスペースがない状態にすることで、自然と止血するのを待つ。だが、一時的に出血がおさまっても、もろくなった腫瘍(しゅよう)はまた出血を繰り返す。
だるそうに輸血されている間、三橋さんも番長の部屋に入り、一緒に寝転がった。すると、立ち上がれないほど重度の貧血で、もう顔を上げるのもしんどいはずなのに、三橋さんの背中にドンッとあごを乗せてきて、やがてそのまま寝てしまう。一般家庭の大型犬たちに協力してもらい、輸血で当座をしのぎながらの厳しい闘病の日々が続いた。
深夜3時、ついにそのときが訪れた
夜中、携帯電話が鳴った。電話口で、夜勤の動物看護師はこう告げた。「3時の見回りで来たら、もう(心臓が)止まってたんだよね」
「覚悟はしていたはずでした。でも、その言葉を聞いたとき、自分がどうなったのか覚えていません。多分、ウワーって叫んだみたい。別の部屋で寝ていた母親が起きて駆け寄ったほどだったから」
車を走らせ、病院に到着したときには、すでに夜勤の動物看護師2人が、あの重い体を持ち上げて全身をきれいに洗い、処置を終えていた。三橋さんは入れ替わるように、「寝ていいよ」と2人に声をかけた。そして番長の部屋で横になり、朝まで一緒に寝た。布団のない部屋で過ごす3月の夜は、まだ寒かったけれど。
翌日。番長が眠る巨大な棺は、スタッフらが供えた花で埋め尽くされた。ドナー犬として貢献し、スタッフの癒やしとなってくれた番長への感謝が、棺の中いっぱいにあふれていた。骨肉腫判明から2年5カ月。11歳2カ月の生涯だった。
「お別れまで半年もないって思っていたものを、2年半ももらえてすごくいい時間を過ごせたので、『ありがとうだな』って思えたし、重度のペットロスにならずにすみました」
でもやっぱり寂しさは訪れる。いつもぴったりついて歩くから、かかとを踏まれまいとふとよけようとして、「あ、いないんだった」と気づくとき。番長がいた部屋を通りがかって、そこにいないことに驚いてしまうとき……。
飼育動物委員会、立ち上がる
番長とともに過ごした日々は、三橋さんら病院のスタッフに「改革」を巻き起こした。ひとつめは、病院犬・猫についての見直しだ。
「これまで自然のなりゆきで色んな子たちを病院に迎えてきたけれど、スタッフみんなの子という状況は、色んなことがあいまいになりがち。たいてい動物看護師が面倒を見て、最後の別れでつらい思いをするのもその人ですし、自分の立場が宙ぶらりんでは、動物も気の毒です」
そこで院内で立ち上がったのが飼育動物委員会だ。「供血のため」「持病の治療がスタッフの勉強になるから」など、その動物を病院に迎え入れる目的を明確化。いざ病気になったとき誰が治療の決定権を持つのかなども定めたガイドラインを作成した。
ドナーを登録制へ新たなる挑戦
もうひとつ、番長がドナー犬引退後に着手したのが、ドナー登録制度への挑戦だ。輸血が必要なときに備え、献血に協力してくれる犬猫を一般家庭から募集し、ドナーとして登録を行う。いざ募集を始めると、たくさんの人が名乗り出てくれた。
「血液って、お金を出せばどうにかなるものでも、人の手で作れるものでもない。もちろん健康に影響のない範囲だけれど、生きている子から命を削って出してもらう、ものすごく大切なもの、命そのものなんですよね」
ドナー登録してくれる動物や、番長らドナー犬・猫への感謝を、三橋さんはこんな言葉で表現する。この制度により血液は安定してまかなえていることから、現在、ぬのかわ犬猫病院には、ドナー犬・猫は1匹もいない。
そして何より番長が残してくれたもの。それは、「自分が泣いていたらご飯を食べなかった。笑ったら食べてくれた」あの出来事だ。
今も折にふれ、飼い主にこう話している。「どんなに質のいいお世話や治療をしても、そこに飼い主さんの笑顔や楽しそうな姿がなければ、何の意味もないんだよ」と。
「弱虫だったけど、やっぱりすごいやつだなあと思って(笑)」
番長からメッセージを受け取った三橋さんが、今度は伝える番となって、これからも多くの人に届けていくつもりだ。
(次回は3月8日に公開予定です)
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