今も昔も「猫は家族」 母がいない寂しさの中、愛猫が毎晩ベッドで寄り添ってくれた
幼い頃に両親が離婚して以来、父と二人で暮らしてきた女性。そのそばには、“母代わり”の雌猫がいました。中学3年の夏にその猫と死別し、さみしい思いをしますが、高校生になって新たに白黒の兄妹猫を迎え、家の中が再び明るくなります。社会人となって独り立ちした今は猫たちと離れて暮らしていますが、無性に会いたくなると、実家に戻るそう。「猫はまぎれもない家族」という女性に、話を聞きました。
猫に会うため里帰り
「今日は1カ月ぶりに“猫チャージ”をしにきました。思い切り吸っちゃおう(笑)」
そういって、美容師の岡田真由子さん(23歳)が、2匹の白黒猫を抱き寄せる。両方ともハチ割れで顔が似ているが、よく見ると体の大きさや模様が違う。
「顔が丸い大きな子が雄のビックで、三角顔の小柄な方が雌のくーちゃんです。小心者の“びくびくビック”と、足先だけ白い“靴下のくーちゃん”(笑)。5歳の兄妹で、2匹とも大好き~」
この日は真由子さんが勤務する美容院が休みで、東京・世田谷のアパートから杉並の実家まで、自転車をこいで猫に会いにやってきたのだ。
「今日は父が仕事で不在ですが、今はこの家に父と2匹が住んでいます。私は就職を機に、去年6月、初めて一人暮らしを始めたんです。『そろそろ、独り立ちしたらどう?』と勧めたのは父でした。確かに、自分も大人だしと思ってアパートを借りて引っ越したのですが、速攻ホームシックになりましたね(笑)」
猫の鳴き声や砂をかける音などが聞こえない部屋は、しーんと静まりかえって、「猫がいない、さみし~」と友達に電話した。それでも少しずつ、慣れていったという。
「父によれば、猫たちも初めは『おねえちゃんまた友だちの家かな』『帰らないね』って顔をしていたみたいだけど、慣れてくれたようです」
今は“パパを独占している”ビックとくーちゃん。2匹と真由子さんが出会ったのは5年前、高校2年の8月だった。
「知り合いに紹介された保護主の方の家に、自分で『子猫いますか』と電話して、父と会いに行ったんです。1匹だけもらうつもりでしたが、会いに行くと2匹がちょっとおびえながら抱き合うようにくっついていて、引きはがすのが可哀想になって。『ねえお父さん、2匹にしない?』と小声で頼んで、兄妹一緒にもらうことにしました」
ビックは慎重で頭がよく、くーちゃんは天真爛漫(らんまん)なおてんば。キャラの違う兄妹猫は、真由子さんの家にすぐになじんだという。
「うちは(小学1年の時から)父とふたり暮らし。父が仕事に行き、私が高校に行っている間、ビックとくーちゃんは2匹で遊んだり、丸くなって仲良く寝て留守番をしていました。2匹が来てから、父とも話すようになりましたね。あまり会話をしていない時期もあったんですよ……」
じつは真由子さんは、中学3年の6月に、先代猫のみーこ(愛称みーちゃん)と死別していた。
みーちゃんは、幼い時に両親が離婚した真由子さんにとって、かけがえのない存在だった。
母代わりに寝かしつけてくれた猫
「みーちゃんは、もともと私のお母さんが幼稚園の頃にどこかからもらってきた猫でした。両親とも猫好きで、私が赤ちゃんの時から、ホタルとかニャンタとか家に数匹いたんです。お母さんが病気になった猫の世話をしていたのをうっすら覚えています。でも小学1年の時に両親が離婚することになり、私はみーちゃんと共に、父に引き取られました」
真由子さんは離婚後にもたまに母と会うことができたが、しばらくすると、母が病で倒れてしまった。容体が悪く、入院先の病院で真由子さんともあまり話ができないまま、亡くなってしまったそうだ。
当時、真由子さんはまだ7歳。一人っ子でもあり、「お母さんと二度と会えなくなった……」という寂しさから、泣くこともあった。そんな真由子さんに寄り添ったのが、みーちゃんだった。
「夜、いつも父が『もう寝なさいよ』と言って私をベッドまで連れていくのですが、そうすると、みーちゃんもついてきました。子守歌代わりに毎晩“ごろごろ”を聞かせてくれて、寝ついた頃に父のいる部屋に戻るんです。私が静かにしていると、立ち上がって行こうとするので『まだ寝てないよ、みーちゃんいかないで』というと、またそばに戻ってきて、すごく安心できた……特になつこいわけでもないけど、優しい猫でした」
真由子さんより2つ年下のみーちゃんは、「妹であると同時にお母さんのような存在だった」だったのだ。
そんなみーちゃんに異変が起きたのは真由子さんが中学3年になった時だった。
13歳になったみーちゃんが、春先から食べる時に不自由そうにして、うまくかんだり飲み込んだり出来なくなってしまったのだ。
「動物病院で診てもらうと、首に血腫ができていたんです。先生は、もしかしたら高い所から落ちて首を強く打ったことが原因かもしれないとおっしゃいました……助けたいけど、体力的に手術が難しいといわれ、そのまま家でゆっくり過ごしてもらうことにしたんです」
みーちゃんはだんだん弱っていったが、それでも真由子さんにずっと寄り添い続けた。まるで、「旅立つタイミングを見計らっていたみたいだった」という。
「亡くなったのは(中学3年の)6月半ばの土曜でした。前の週の日曜に、習っていた新体操のチームの大会があり、平日に4泊の就学旅行があり、私はばたばたしていたんです。修学旅行から戻った夜は、みーちゃんを居間のクッションに寝かせていたのですが、早朝、にゃーんと呼んだので、『どうしたの?』と見に行ったら、苦しそうだったので、クッションごと父の部屋に運びました」
父とふたりで声をかけながら体をなで続けると、みーちゃんの瞳孔が開いていき、静かに息を引き取った。
「いま死んじゃったんだね……と私が父に抱きついて泣いたら、ふだん泣かない父も泣いていました」
亡くなった日は、家の近所でピアノのレッスンがあった。
真由子さんが号泣しながら近所の先生のところにいき「今朝みーちゃんが亡くなって、一緒にいたいのでお休みさせてください」というと、先生は、「これでお花を買いなさい」とお花代を渡してくれたという。
「私の家の事情をよく知る先生は、親戚のように接してくれていたので、みーちゃんが支えだったこともご存じで。すごく心配してくれたんですよね」
真由子さんは、きれいなアジサイや桔梗(ききょう)などのお花を用意して、みーちゃんが愛用したクッションと「みーちゃん大好き」と書いた手紙を箱に入れて、父とともにみーちゃんに別れを告げたという。
父と娘を再びつないだ猫たち
いつでも猫がそばにいる家だったが、みーちゃんが旅立った後は、真由子さんも父も、新たな猫を迎える気持ちにはならなかった。父と話す時間も減っていった。
「ちょうど思春期で、友達と話す時間が楽しかったし、家に帰ってもみーちゃんがいないし、さみしい時間が続いて、お父さんとも距離ができちゃったんです。学校から戻っても、すぐに自分の部屋に入っていました」
けれどそれから2年ほど経った頃、父と娘、どちらともなく「猫、飼わない?」「いたほうがいいよね」といいだし、知り合いに相談。現在、家にいるビックとくーちゃんとの出会いにつながったというわけだ。
「猫の名前は父とふたりで決めました。お父さんは最初、くーちゃんを『逆三角顔だからトライアングルのトラ』といったんです。でもしっくりこなくて(笑)。私がくーちゃんにしようと提案しました。2匹を迎えてからは自然とお父さんと話すようになりましたね。『ねえこれ可愛くない?』と、猫たちの写真をお父さんに見せたり。ビックって頭がよくて何でも察するね、なんて話したり。父との新たな時間がまた動きはじめたように感じました」
ビックとくーちゃんを迎えた高校2年の夏から、家を出るまでの5年間。それは、真由子さんにとって心を立て直したり、将来を見つめる大切な時間だったようだ。
「私は高校を卒業して、いったん動物看護大学に入ったのですが、同時に美容にも強い興味があって……。結局1年で大学を辞めて美容の専門学校に入り、進路を変えたんです。父も応援してくれているし、これからしっかり、美容師として生きていきたいと思っています」
真由子さんに案内された父の部屋には、母の遺影とみーちゃんの写真を飾ったお仏壇があった。
「子供の頃から、いつも帰宅すると『お母さんただいま』といっていたんですが、みーちゃんが逝ってからは、『お母さんただいま、みーちゃんただいま』というようになりました。そうすると、人と猫の“ふたりの母”が、『お帰り』って空から見守ってくれるような気がして……」
一人暮らしのアパートにも、みーちゃんや、赤ちゃんの頃にいた猫の写真を飾っているという。それは真由子さんを支える大事な「お守り」でもあるのだろう。
真由子さんの仕事は忙しいが、これからも時間を見つけて、実家に帰ってきたいという。
「昨年、私がこの家を出て1カ月して戻ったら、2匹に『え、誰?』みたいな顔をされたけど、ごはんをあげたら思い出してくれました。ビックとくーちゃんは5歳、お父さんは来年60歳。まだまだ若いけど、猫も父も心配で気になるので会いにきたい。といいつつ、私が甘えにくるんですけどね(笑)」
そういって真由さんは、白黒柄の“家族”を再びそっと、抱きしめた。
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