筋金入りの犬好き一家に猫が来た たちまち家族はデレデレ、犬たちにもいい刺激に
猫の持つ魔力の一つに「人を変えてしまう」というのがあるらしい。車のエンジンルームから救出され、代々の犬好き一家の家にやってきた1匹の黒キジ猫も、高齢の和子さんを変えてしまった。「毎日にこやかで、まるで別人のよう」と娘が驚くほどに。
「うちにね、猫が来たのよ」
千葉県北東部の町に住む佳代子さんは、大の猫好きである。福島県で保護された「笑(えみ)」ちゃんと、繁殖用でお払い箱としか思えないような状態でうち捨てられていた盲目の梵(ぼん)ちゃんを飼っている。
同じ路地には、代々の犬好き母娘が住んでいる。娘の多恵子さんは50代前半でピアノの先生。母の和子さんは80代後半で、きまじめな雰囲気の女性である。以前はよく和子さんが犬の散歩をさせていたので、犬も好きな佳代子さんと立ち話で犬を話題にすることも多かった。が、猫の話は一度もしたことがない。犬ひとすじで猫は眼中にない一家であることをよく知っているからだ。
ある日、佳代子さんが多恵子さん母子の家の前を通りかかったとき、和子さんがいかにも秘密っぽく手招きをするではないか。そして、目じりを下げてこう言うのだ。「うちにね、猫が来たのよ」
その後、和子さんと多恵子さんが、リュック型キャリーにその猫を入れて、わざわざ見せにきてくれた。洋種が入っていると思われる長毛の黒キジの男の子である。「ポン太です。奈良からやってきたの」と紹介しながら、2人ともにっこにこである。
ボンネットから救われて
多恵子さんの家では、犬が代々飼われてきた。父も母も亡き兄も、一家を挙げて大の犬好きだった。初代の犬は、兄が駅前で拾った捨て犬。2匹目も父が職場で拾った犬だった。動物好きのやさしい兄は、20代の若さで白血病に侵され、早世した。
息子を亡くした和子さんのそばに寄り添い、深い悲しみを癒やしたのは当時飼っていたマルチーズだった。父を見送った後の今は、「早太郎(はやたろう)」という目も耳も不自由となった老パピヨンと、「賢斗(けんと)」という12歳のボーダーコリーがいる。2匹は「売れ残り」「大特売」犬だった。
1年前の秋のある日、多恵子さんは、SNSつながりの友人がアップした子猫兄妹の写真に目を止めた。なぜか心が動いた。早太郎が老いて寝たきりとなった今、初老の賢斗の遊び相手に、猫ならちょうどいいかもしれない……。
兄妹猫は、キジトラが雄で、黒猫が雌だった。関西のとある町に捨てられていた2匹で、車のボンネットに入り込み、エンジンルームに潜ってしまったのを何人かで救出したという。 2匹は、保護されて譲渡先が見つかるまで、奈良県に住む預かりボランティアのまゆきさんの家で過ごしていた。
多恵子さんが、黒キジの子猫を迎えたいと話すと、和子さんは、こう言い放った。
「猫なんて! とんでもない。どうしても迎えるんなら、アンタの部屋でケージに入れて飼いなさいよ。私は、いっさい知らないからね!」
奈良からはるばるまゆきさんが運んできてくれた子猫は、くりくりした目の愛らしい子だった。多恵子さんは、母との約束通り、しばらくしてケージから出すにしても自分の部屋飼いとするつもりだった。
翌日のこと。外出先から帰宅した多恵子さんは、驚く光景を目にする。なんと、和子さんが部屋に入り込み、ケージの前で、猫じゃらしを振っているではないか!
あれよあれよと、家じゅうを篭絡(ろうらく)
ぽん太がケージから出されるのに、そんなに時間はかからなかった。全室自由出入りになるのにも。
ポン太は、すぐに賢斗にべったりとなった。賢斗も「しようがないなあ」という風にやさしく受け入れた。
和子さんも多恵子さんも、猫初心者である。佳代子さんの家に和子さんがやってきては尋ねる。
「ポン太は、ご飯をやっても、回り回って食べるのだけれど、大丈夫かしら」
「おもちゃを買ってきたら、マタタビ入りって書いてあるのだけれど、マタタビって何?」
多恵子さんは多恵子さんで、「聞いて聞いて」と、和子さんのポン太溺愛(できあい)ぶりを佳代子さんに話す。多恵子さんが母を和子と呼ぶのは、親愛ゆえである。
「冷蔵庫の中に、和子がポン太のおやつをいっぱいため込んでるの。無添加乾燥シラウオ、無添加煮干し、フリーズドライ鶏、歯磨きジャージー、毛玉ケアスナック、その他もろもろ」
「私がポン太をひざの上に乗せていると、取り返しに来るの。ポン太は渡さん、って」
「毎晩毎晩、和子は猫じゃらしを振って、ポン太と廊下を行ったり来たりの運動会」
毎晩、和子さんが猫じゃらしでポン太と遊ぶのは、夜ぐっすり眠ってほしい親心からである。だが、ポン太は夜にたっぷり遊んだにもかかわらず、早起きしてみんなを起こす。ほとんど寝たきりの早太郎おじいちゃんの寝床にも行って、つんつんと起こす。朝は3匹そろって食べるのが日課なのだ。
「ポン太のために長生きしなくちゃ」
「犬好きが猫に転ぶと、人が変わってデレデレになってしまうサンプルみたいね」
そう笑いあった後、ふたりがひそかに和子さんのことを「サンプル和子」と呼ぶようになったことを、和子さんは知らない。
ともかく、和子さんは毎日がとても楽しいし、多恵子さんも佳代子さんも、和子さんが胸の奥に深い悲しみを抱き続けて生きてきたことをよく知っているから、毎日笑顔の和子さんを見るのがとてもうれしい。もちろん、2匹の犬たちも、これまで通り愛されているし、ポン太が来たことがいい刺激になって、少し若返ったようだ。
多恵子さんは、最近気づいた。10年前に亡くしたシーズー犬の金太郎と、同じ目をポン太は持っていることに。母と自分の部屋を行き来しては、ふたりに寄り添ってくれた犬だった。東日本大震災の直後、他市から食料をいっぱい抱えて戻った多恵子さんに駆け寄って、心臓発作で亡くなった。
つきたてのお餅のような感触や、匂い、ひょうきんな性格、ポン太のすべてが金太郎に生き写しだった。
「猫は初めてだったけど、動物の可愛さは犬も猫もないんだわ」と、多恵子さんは思う。
サンプル和子さんは、朗らかに言う。
「ポン太が来てよかったかって? もうね、頭のてっぺんからしっぽの先まで、ぜーんぶ可愛いの! そうね、ポン太のために長生きしなくちゃね」
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