東日本大震災 あのとき、心の支えになってくれたのは「犬の幼馴染たち」
「災害時、飼っているペットは一緒に連れて逃げる」。それが今の常識になりつつあります。
しかし、10年前はどうだったか。この「新常識」は、あの東日本大震災がきっかけで生まれたのです。ペットのために避難所に入れなかった飼い主は? ペットたちは? 経験者に話を聞きました。
引き取った譲渡犬ムクはとんでもない頑固者だった!
お話をうかがったのは、仙台市内でムク(赤柴・13歳オス)と向日葵(黒柴・5歳メス)、大志(トイプードル・4歳オス)を飼っているムクママさん。
東日本大震災当時の愛犬はムクだけでした。
「幼いころから犬は大好き。ですが、シングルマザーとして子ども3人を育てていて、とても犬を飼う余裕はありませんでした。一番下の子が小学2年生になったころ、そろそろ子どもたちのためにも犬を迎えようかと思い、ペット可の家に引っ越して、譲渡犬を探したんです」
愛護団体のホームページでみつけたムクは当時まだ生後10カ月。体はほぼ成犬でしたが、中身はまだまだ子どもでした。
「譲渡会会場で前の飼い主さんにも会ったのですが、ムクを手放す理由は『ペットの飼えない物件に住むことになったから』。人それぞれに事情はありますから仕方がありませんよね。私は犬を飼うつもりで引っ越ししたので、だったら私がこの子を引き取ろう、と決めました」
しかしそのムクは、やんちゃの限りを尽くします。よその犬には吠えかかる、人間のいうことは聞かない……。ほとほと困ったムクママさんは、家の近くにあったドッグランに行ってみることに。
「そこにはいろんな犬たちが集まっていました。小型犬が多かったので、ムクが行くとみんな身構えるんですよ(笑)。でも次第にほかの犬たちにもなじんで、飼い主さんたちからアドバイスをもらったりできるようになって。ドッグランのオーナーもしつけや飼い方をレクチャーしてくださって。本当に助かりました」
あらゆるサイズの犬たちが一緒に遊べるドッグランだったため、大小・老若男女(?)さまざまな犬たちと触れ合えるように。犬にも人間にも、たくさんの友達ができたのです。
グラッときたとき、ムクは一匹で留守番だった
2011年3月11日。ムクママさんは仕事先に、子どもたち(一番上の子は独立して千葉県に)は学校に行って不在でした。自宅にはムクだけがいたのです。
ムクのお留守番スタイルは、玄関に置かれたケージの中。下駄箱は倒れかかってきましたが、ムクにケガはありませんでした。
「家の中はすべての家具が倒れ、割れたガラスや食器などが散乱。ムクのケージもひしゃげましたが、ケガするには至りませんでしたし、むしろ室内で自由にしていたら、割れたガラスでケガをしていたかも」
地震による津波は自宅まで2㎞のところまで迫っていました。
ムクママさんは職場から5時間かけて帰宅。無事だったムクちゃんを連れて、学校まで子どもたちを迎えに行きました。
自宅は半壊し家の中はめちゃくちゃ。電気もガスも止まっていて、とても住める状況ではありません。
しかし、当時の避難所はペットの同行・同伴が許可されていなかったため、入ることはできません。結局、より内陸部に住む友人宅に、家族全員とムクちゃんとで身を寄せることになりました。
それからは毎日、自宅に通って少しずつ片づけを続けるしかありません。まだ寒い3月のこと、雪も降るし、停電していて暖房も使えません。
「幸い、ムクにはアレルギーも病気もなくて、何でも食べられる子だったので、手に入るペットフードでなんとかまかなえました。食べ物に気を使わなければならない子や病気のある子などは、大変だったろうと思います」
力になってくれたのはドッグランの仲間たち
自宅にも帰れず、ライフラインの復旧も進まない。原発事故の影響こそありませんでしたが、先の見えない不安な日々が続きました。
そんなとき誰からともなく、ドッグランに愛犬家たちが帰ってくるようになったといいます。
「ドッグランは田んぼがいっぱいある地域にあって、倒れて壊れるような建物もなかったから無事だったんです。みんな避難所に入れないから、被災した家にいて毎日片づけに追われていて。それでも、せめて犬だけは自由に遊ばせてあげたい。久しぶりに会って、人も犬も本当にうれしそうでした。のびのびと走り回る犬たちの姿にいやされたり、飼い主同士情報交換したり。困ったことや愚痴を言い合えることが、精神的な支えになったと思います」
ムクママさん家族が元の家に帰ることができたのは、震災からひと月ほど経ってから。「ガスが復旧してから」だったといいます。
「それからというもの、車には常に、ペットフードやペットシーツなど積んでおくようになりました。いざという時、取りに戻れなかったり、持ち出せないことだってありますから。それと、予備のリードや首輪も。被災してパニックになって逃げだしてしまった子などが、ふらふらと街をさまよっていたと聞きました。そうでなくても、ときどき迷っている犬を見かけることもあります。そんな時、保護してあげられたらいいなと思って。一匹でも迷い犬をなくして飼い主さんに返してあげられたらいいですよね」
平穏な日々が戻ってから、ムクママさんはムクちゃんにマイクロチップを入れました。たくさんのペットが飼い主とはぐれ、身元が分からないために、もとに帰れなかった子もいたからです。
「その後、縁あって黒柴の向日葵、トイプードルの大志も加わって、今は犬が3匹。全員、マイクロチップも迷子札もつけています。たとえはぐれても、必ずまた再会できるように」
10年経った今もトラウマに
震災を経験して、ムクちゃんに変化はあったのでしょうか。
「震災直後はやはり過敏でしたね。まず、携帯から聞こえる地震速報の音。何か大きな音がするのも怖がるようになりました。今は歳をとったので、以前ほど怖がらなくなりましたが、地震の揺れや地鳴り、雷(低くて大きい音や体に響く振動など)は怖がります。多分怖かった記憶が消えないんでしょうね。トラウマなんだと思います」
未曾有の災害を体験したムクママさんとムクちゃん。今、犬を飼っている人たちに伝えたいことは?
「東日本大震災を機会に、ペットと防災についてもずいぶん考え方が変わりました。ペットを連れて逃げ込める避難所も増えていますし、一緒に逃げる時のノウハウも、ネットや雑誌に情報がたくさん出ています。読んでいる人も多いとは思うんですが、ぜひ『自分のこと』として考えてみてほしいんです」
ムクママさんがきかん坊だったムクちゃんをドッグランに連れていき、社会性を身につけさせ、しつけができたように、ある程度の社会性があってしつけのできた子にしておくのは飼い主の責任なのです。
「たとえば、他人に対して攻撃的にならないことはとても大切。ほかの人にお世話されても受け入れられる子になること。ケージやクレートなど囲まれたものに入れられてもパニックを起こさないこと。長い間犬を飼っていれば、災害がなくても人に託さねばならない場面は1度や2度はあると思うんです。例えば犬が病気して数日入院するとか、飼い主が旅行や出張で、誰かに預けるとか。そんな時、預けやすい子にしておくことが、結果、飼い主にとっても犬自身にも、幸せなことだと思うんです」
残念ながら、ムクたちが楽しく集っていたドッグランは復興住宅が建てられることになって閉鎖になってしまいました。
しかし、その時仲良くしていた犬の幼馴染たち、飼い主さんたちはその後もつながりを持ち続け、仙台で暮らす犬と飼い主のための「NPO仙台わん子」を立ち上げるまでに。
今も絆を深めながら、幸せな愛犬ライフを追求しているのです。
(写真提供:ムクママさん)
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