河川敷に餌をもらいに来ていた白猫「シロ」 ふたりのおじさんに愛され、生き抜いた
東京都と神奈川県の境を流れる多摩川の河川敷にはたくさんの野良猫が暮らしています。しかしそこは大雨や台風、開発工事……と猫には厳しい環境。猫たちと、猫に手を差しのべた男性たちとの結びつきをつづった『おじさんと河原猫』(扶桑社)が発売されました。川べりで撮影する立場から一転、メスの白猫「シロ」を保護して飼うことになった、著者でカメラマンの太田康介さんに、話を伺いました。
河原の事務机で寝る猫たち
「僕が、劣悪な環境で生きる河原猫たちの存在を知ったのは2009年3月。テレビ番組で知り、自分にも何かできないかなと思って多摩川の猫の情報をネットで調べるなかで、テレビが映さなかった(川崎の)ある場所を知り、バイクを走らせました」
太田さんが、河原に生きていた猫たちとの出会いを振り返る。
当時、綺麗に整備された堤防に、2台の事務机がぽつんと置かれていた。スーパー堤防を作る工事のさなかに取り残された猫のために、ボランティアたちが寝床用に置いた机だった。
「河原にいる猫たちは11匹。茶トラのボスがオス2匹とメス8匹をまとめていました。そしてそんな猫たちを世話する加藤さんという段ボール回収業のおじさんがいて、河川敷に毎日2回、餌やりにきてくれていたんです」
しかし河川敷には猫を好きでない人や虐待する人がいた。猫の健康状態も決してよくなかった。1匹、行方不明になった猫もいた。
太田さんは河原に通ううちに、ボランティアや加藤さんと顔見知りになり、猫について話し合うようになった。そして2カ月くらいした頃、「この子たちがここで生き続けるのは難しいし、保護をしよう」と、“思い”が一致したという。
「多摩川に通い始めた時は、カメラマンとして河原に生きる猫たちの姿を伝えようとしていたのですが、『見ているだけでなく自分も何とかしないとダメだろう』という思いが膨らみ、保護の当事者になったわけなんです」
ボランティアや太田さんのブログで「猫を預かったり、飼える人」を募集すると、希望者が現れたため、10匹の救出作戦が始まった。そうして、1匹ずつ捕獲をしていった。
河原に通ってくる白い猫
太田さんにはとくに気になる猫がいた。河原に暮らす猫グループとは別に、近くの公園からふらっと餌をもらいにくる白猫で、太田さんは6度目の訪問でやっと会えたという。
「綺麗なメスの猫で、シロと呼ばれていました。7年前に子猫で多摩川に捨てられたようです。シロは餌ではなく加藤さんを待っていて、“ふたり”は特別な仲のように感じました」
加藤さんがシロを引き取ることができれば……。しかし、加藤さんは持病があり、また、すでに10匹近くの猫が家にいたため、飼うことがどうしてもできなかった。
猫が次々と保護されて静かになった夕暮れの河原で、ぽつんと佇むシロをみたときに、太田さんの心が激しく動いたのだという。
「うちの子にならないか?迎えたからには絶対に幸せにするぞ、という気持ちでした」
太田さんの家には、子猫の時から育てていたメスの『とら』と『まる』という猫がいた。外にいたおとなの猫を迎えるのは初めてで不安も大きかったが、覚悟を決めて捕獲をした。
「慣れた場所を離れるし、なじんだもうひとりのおじさん(加藤さん)とも会えなくなるので、僕はひどいことをしたのかなと悩みましたよ。でもあの場所よりは家の方が安全なはずだし、加藤さんから注がれた愛情を“今度は僕が注ぐ番だ”と自分に言い聞かせました」
こうしてシロは太田家の猫になった。2009年7月のことだった。
家猫になりますます美しく
シロは猫エイズ陽性だったため、先住のとらとまるには、念のため、ワクチンを接種した。2匹とは上手に距離をとりつつ、だんだんと近づいていった。シロは河原でいろいろな猫と触れあっていたので、空気を読むことができたのだ。
「河原時代もボスにはあいさつしていましたが、“とらはここのボス、とらを落としたらこっちのもの”と察知し、自らあいさつにいってました。まるのことは少しなめていましたが(笑)」
すっかりなじむまでには3カ月かかった。慌てずに見守る太田さんとシロの絆はどんどん強くなった。
「シロは河原で“おじさん”に愛されていたからか、僕にべたべたになりました。じつはシロが来てから、僕はシロを呼ぶ時に加藤さんを真似て、『シロ、シロ』と続けて名を呼んでいたんです。家に来て毛艶がよくなり、一層、美しくなりました、本当にきれいだったな」
シロを迎えたのと同じ年の5月に、太田さんは町内にいたオス猫のぽーをTNRし、3年後、家に迎えている。さらにその後に迎えた保護猫たちとシロは仲良くなったのだという。
7年間河原で過ごしたシロは、7年10カ月、太田家で過ごした。最後の3カ月は介護の日々だったそうだ。
「寒い時期に発作で倒れて寝たきりになりました。2時間おきに寝返りを打たせ、給餌をすると、また歩けるようになったのですが……。加藤さんより少しだけ長くうちで面倒をみたことになりますね。僕は幸せだったけど、シロはどうだったかなあ」
太田さんは、介護の時も、加藤さんを真似て「シロ、シロ」と声をかけつづけたのだという。シロは“ふたりのおじさん”に愛され続けたのだ。
ふたりのおじさんも、深く猫を愛した。
「加藤さんは今施設におられますが、本をみた加藤さんの姪御さんから『おじのこんないい表情は見たことがない』と連絡をいただいたんですよ」
もうひとりのおじさんと多摩川の猫
「昨年の秋、関東を襲った台風は記憶に新しいと思いますが、じつはあの時、多摩川で命を落とした男性と猫がいたんです。僕がシロと初めて会った2009年に河川敷で会った、ホームレスの高野さんという方です。空き缶を集めて、その空き缶代でたくさんの猫の世話をしていました。遺棄された犬の散歩をしていたこともあります」
そんな高野さんが、昨年、台風で増水した多摩川に、世話をしていた猫とともに飲み込まれてしまったのだという。今も行方不明のままだ。
「川が氾濫して、誰もが命の危険を感じて逃げていく中で、猫たちを助けようと川に向かっていったようです。でも住所がなかった高野さんのことは、ニュースにもならないのです…」
高野さんが可愛がっていた猫のうち3匹が生き残り、今は女性ボランティアが世話を引き継いでいるのだという。
「高野さんが動物に寄せた愛は尊いものでした。じつは多摩川では、高野さんのような優しい人を当てにして犬や猫を捨てに来る人が後を絶ちません。そうした動物を遺棄する行為が人を死に追いやってしまうとは、思ってもいなかったのだろうけど……」
太田さんは、現在、多摩川の大田区側で、猫の保護の手伝いをしているという。河川敷には野良猫が多くいて、問題はまだ続いているのだ。
「今年10月半ばから、氾濫を防ぐために川幅を広げる工事を始めた箇所があります。河川敷で(ホームレスの)小屋を住み処にしていた猫たちは、行き場を失ってしまうわけです。この1カ月で8匹の猫の家族を見つけましたが、まだまだ捨て猫やそこで繁殖した猫がいます……心から助けたいと思う方に猫を引き取ってもらいたいし、そういう場に猫がいるということを知ってほしいです」
◆太田さんのブログ「うちのとらまる」
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