多頭飼育崩壊で飢えていた猫 15歳で譲渡、「じい」の名返上
「私を背後から襲ってくる狂暴猫。山に捨ててきて」。そう元飼い主は言った。多頭飼育崩壊の中で、ひもじさのあまり、ご飯を持つ飼い主の背中に駆け上がっていた猫。保護された時、10歳はとうに過ぎていた。保護主から愛情を込めて呼ばれた「じい」の名前を返上するほど、譲渡先で元気になり、穏やかな老後を過ごしている。
明るく暖かな家で寄りそう
東京近県の田畑の広がる町に、15歳になる猫「トム」は暮らしている。彼の家族は、籠バッグ作家の展子(のぶこ)さんと、推定5~6歳の元放浪犬「ニィナ」だ。
トムはこの家にやって来て、まだひと月足らず。なのに、ここで生まれ育ったかのような顔で、のびのび過ごしている。大きな窓がいくつもあって、どの窓からも暖かい日差しが降り注ぐ。窓辺も、ふわふわのソファも、猫ベッドも、ストーブのそばも、どこもお気に入りだ。先住の犬ニィナも怒ることを知らない温厚な性格で、新しい猫生のいい相棒になりそうだ。
4年前に多頭飼育崩壊から保護されたときにトムが手に入れたのは「飢えのない日々」。そして今、「寄りそう家族」も手に入れた。
「山に捨ててきて」と元飼い主
もともとトムは、初老の夫婦と娘が暮らす家で、お父さんに可愛がられていたという。だが、トムが3歳くらいのとき、お父さんが施設に入所。その後、庭に居ついたメス猫を母娘が家に入れた。
「不妊去勢をして飼う」という習慣も情報もない農村部で、近所付き合いもない家だった。娘が家を出た後、お母さんは老いていき、未手術のまま猫たちは増え続けていった。
この飼い主が知人にSOSを出したのは、4年前の秋のこと。「私を襲う猫がいて怖い。山に捨ててきてくれないか」という電話を受けて、駆けつけたのが笑里(えり)さん親子だった。
糞尿の匂いが鼻をつく部屋に、触ることもできないノラ状態の猫たちがいっぱいいた。2匹の成猫と20数匹の子猫たちを持て余し、飼い主は、1日に1回、ひと握りのカリカリを放るだけだった。猫たちはみんな飢えてガリガリだった。
なかでも、10歳過ぎのオスの成猫は、体が大きいだけに、いちばん飢えに苦しめられていた。だから、飼い主がカリカリを放る前に、その手めがけて背中を駆け上がっていたのだろう。
「恐ろしい猫」は、人恋しかったのか、笑里さんの目の前で、お腹を見せてゴロンと転がった。了解を得て、笑里さんは、その猫を緊急保護した。それが、トムだ。
笑里さんは、県内で福祉と連携した犬猫の保護・啓発活動を続けている保護団体のボランティアメンバーである。その後、トムのいた家には福祉関係者が入って、残る猫たちを新しい家に送り出した。
譲渡希望がないまま4年
笑里さん宅の預かり猫となり、三度三度ご飯にありつけるようになっても、トムは、食べ物に異常な執着を見せた。カリカリの入った袋を置いておこうものなら、噛みちぎってガツガツと全部食べる。ごみ箱を漁る。「食いっぱぐれることはもうない」と理解し、落ち着くまでには、かなりの時間がかかった。
他の保護猫や保護犬を見ると、よだれをダラダラ流すほど緊張してしまうトムだったが、去勢手術後は、コロリと人懐こく穏やかな猫に変貌した。
笑里さん宅での預かり期間、トムはたくさんのことを覚えた。人間に遊んでもらうこと、しょっちゅう声をかけてもらうこと、その声に「にゃあ」と返事を返すこと、撫でてもらうこと、スリスリ甘えること、ご飯の後にゆっくり毛づくろいをすること……。もしかしたら、それは、お父さんに可愛がられていた遠い日々、毎日していたことなのかもしれない。
年も年なので、譲渡先は「1匹飼い」の条件で探し始めた。ただ、そういう条件で、しかも老年期にさしかかる猫には、なかなか譲渡は決まらず、4年近くが経った。
穏やかで可愛いシニア猫
「このコがいい!」
譲渡先募集中のトムの写真を見て、一目惚れしたのが、展子さんだった。畑をさまよっていたところを保護され、動物保護指導センターから引き出されたメス犬ニィナと暮らしていた。いい相棒を見つけてやろうと眺めていた保護団体のブログで、ハートをつかまれたのは、犬ではなく、猫だった。
その猫は、チョコレート色と白の毛に、深い湖のような瞳と、ハートマークにも見える黒い鼻先を持っていた。在宅で創作作業をする展子さんには、いたずら盛りの犬猫は迎えられない。写真の猫は、保護されて約4年、推定年齢14~15歳とある。写真の表情に、その年齢ならではのいじらしさがあった。
トムが参加する譲渡会に出かけた。条件は「1匹飼い」とあったが、トライアルで、まずはニィナに会わせてみることとなった。
トムがやって来たのは、昨年のクリスマスすぎ。ニィナとトムは、何ごともなく穏やかに対面した。そして、トムは、すんなり展子さんの家族になった。
保護期間中は、笑里さんたちから愛情を込めて「トムじい」と呼ばれ、「しあわせになるんだよ」と送り出されたトム。ここに来てからなんだか若返り、体つきもいっそうふっくらしてきて、足取りも軽い。「じい」の名は返上だ。
「若くない猫の譲渡はなかなか決まりにくいと聞きます。でも、シニア猫や老猫は性格もよくわかって迎えられるし、年輪を経た穏やかさと可愛らしさがあって、付き合いやすいですよ」と、展子さん。
愛おしげにトムを見やり、こう話しかけた。
「好きなようにのんびり長生きしてね。ずっと一緒だよ」
ニィナは、2月17日にセンターから引き出された。トムは、10月6日に多頭飼育崩壊現場から保護された。それぞれ新たな命の始まりの記念日を、その名に持っている。
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