下町の喫茶店、15歳の看板猫 足腰が弱っても客もてなす心意気

 ドアを開けると、「いらっしゃいませ!」と、ママの明るい声。そして、店の奥からいそいそと小走りで挨拶にやってくるのは、喫茶店の看板娘の黒猫「さくら」ちゃんだ。

(末尾に写真特集があります)

お客様が大好き!

 ここは、荒川区南千住。素盞雄(すさのお)神社から千住大橋に向かう日光街道沿いにある「リオ」は、昔ながらの町の喫茶店である。マスターとママ、そして看板猫のさくらちゃんを加えた家族経営。「おいしいランチと居心地のよさ」で地域の人たちの憩いの場となっている。

「さくらは、おなじみさんでも初めてのお客さんでも、すっ飛んでいってご挨拶します。2階で眠りこけていても、下から『さくらちゃん、お客さまだよー』と声をかけたら下りてくるくらい仕事熱心」と、ママは笑う。

 

食事が運ばれてくるまで、向かいの席でご相席
食事が運ばれてくるまで、向かいの席でご相席

 さくらちゃんは、丸いお顔に丸い目がキュートな小ぶりの猫だ。アイ・コンタクトで「いらっしゃいませ」をした後、「お客さまだ、うれしいな」とばかり、しばし店内を尻尾を揺らしながら歩き回る。

「正面から見たら若々しいでしょ。でもね、後ろ姿はもうおばあちゃん。ここにきてもう15年ですもの。足腰がずいぶん弱ってきたけど、相変わらずお店が好きで好きで」と、さくらちゃんを見やりながらママは言う。

生き残った1匹

 喫茶店を開く前の夫妻は、同じ場所で八百屋を営んでいた。

「それなりにやっていけてたんだけどね、大きなスーパーがあっちにできたら、買い物客の流れが変わっちゃって」と、マスターは40年前を振り返る。

「なんとかしなくちゃ」と一念発起したのがママだった。上野の喫茶店で修業して、コーヒーのいれ方や接客を学び、八百屋を喫茶店に改装した。

 八百屋時代にも売っていた自家製の野菜うま煮や天ぷらのついたランチが人気を呼んだ。昼休みに遠くの工場から自転車で駆けつける客あり、夕飯を食べて夜勤に向かう客あり、店は賑わった。

 その頃、ネズミ除けとして、もらってきたのが、初代さくらちゃん。白黒のメス猫だった。初めて飼う猫の愛らしさと賢さに、夫妻はたちまち魅了された。

 その初代さくらちゃんを亡くし、気落ちしていた2003年秋に、店に出入りの女性がポケットに入れて連れてきたのが、生まれたての子猫。ネズミほどの小ささだった。それが、今の2代目さくらちゃんである。橋の向こうの町の縁の下で、ノラ母さんが産み棄てた3匹のうち、さくらちゃんだけが生き残ったのだという。

 哺乳瓶で大切に大切に育て上げたのは、マスターだ。

お客さんが入ってくると、うれしくて尻尾がゆらゆら
お客さんが入ってくると、うれしくて尻尾がゆらゆら

看板猫としての心意気

 さくらちゃんは、幼くして自ら看板娘を志願した。大好きなマスターのそばから離れたくなかったせいもあるだろうが、さくらちゃんなりの恩返しをしたかったのかもしれない。子猫時代は、お客さんが来るたびハイになって、よく柱を駆け上がったものだ。

 誰にも愛想よく「いらっしゃいませ」をする看板娘は、ここに集う人々をみな笑顔にし、知らない者同士をもすぐに仲良くさせた。

 さくらちゃんには、看板猫としての心意気がある。足元で甘えたり、向かいの席で相席したりしていても、食べ物が運ばれてきたとたん、「どうぞごゆっくり」とばかり、スッと席から離れる。また、「この人はいま落ち込んでいるな」と察すると、そっと隣に座るなどして、とりわけやさしく応対するのが常だった。

 さくらちゃんがゆっくりと年をとっていったこの15年で、界隈の風景はずいぶん変わった。町工場がどんどんなくなり、地方からの労働者が町から消えた。

「5~6年前までは、正月も店を開けて、故郷に帰らない人たちのためにお雑煮やおせちメニューを出していたんですよ。去年は私が夏バテしてしまって、お店のたたみどきかな、とも考えました」と、ママは言う。

 だが、それを思いとどまらせたのは、なじみ客たちからの「休みを増やしても続けて」という訴え。そして、足腰が弱っても昼寝の時間がだんだん長くなっても、昔と変わらず接客にいそしむさくらちゃんの楽しげな仕事ぶりだった。

 夫妻は話し合って、閉店時間を19時から15時に引き上げた。さくらちゃんも、午後にゆっくり店に出てくることが多くなった。

「この先は、定休日を増やすなど、マスターと私の体力に応じて営業していくことになるでしょう。お客さんがここでの食事とさくらとの時間を楽しみにしてくださる限り、私たちもさくらに負けずに続けます」

新聞紙の上にドサッと寝そべって「新聞よりアタシを見て」
新聞紙の上にドサッと寝そべって「新聞よりアタシを見て」

不死身の猫

 実は、さくらちゃん、別名を「不死身のさくら」という。

 よちよち時代、ボードに「今日のランチメニュー」を書きこんでいたママの足元にやってきたのを、気づかなかったママに思いきり踏まれて、ピクとも動かなくなった。息をしている気配もない。

「ああ、死んでしまった」とママが泣く泣くペット火葬の手配まで考えていると、翌日の早朝、「にゃあ」と起きてきた。

 3年前には、急にガクッと元気がなくなった。獣医さんでレントゲンを撮ったところ、「黒い影だらけ。がんの末期でもう手遅れ」との宣告。家で看取ろうと連れ帰った。

 ところが、2日後、「体も冷たくなってきたし、そろそろかも……」と覚悟していると、2階から店に下りてきて、ぐるりと店内を一巡。好物のサバをむしゃむしゃ食べて、大復活。その後、何事もなく、元気だ。

 ピカピカの目が「まだまだ看板猫がんばるわよ。アタシの天職だもの」と言っている。ちなみに初代はネズミ番の名人だったそうだが、2代目は、ネズミ番に関しては「何の役にも立っていない」そうだ。

「さくらちゃんに会いに来ました~」

 そう言いながら、お客さんが入ってきた。さくらちゃんがうれしそうに尻尾を立てて飛んでいく。

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佐竹 茉莉子
人物ドキュメントを得意とするフリーランスのライター。幼児期から猫はいつもそばに。2007年より、町々で出会った猫を、寄り添う人々や町の情景と共に自己流で撮り始める。著書に「猫との約束」「里山の子、さっちゃん」など。Webサイト「フェリシモ猫部」にて「道ばた猫日記」を、辰巳出版Webマガジン「コレカラ」にて「保護犬たちの物語」を連載中。

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この連載について
猫のいる風景
猫の物語を描き続ける佐竹茉莉子さんの書き下ろし連載です。各地で出会った猫と、寄り添って生きる人々の情景をつづります。
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