飯舘村で出会った「マメ」。いつも足元まで一直線に歩み寄ってきた(2012年6月3日撮影)
飯舘村で出会った「マメ」。いつも足元まで一直線に歩み寄ってきた(2012年6月3日撮影)

福島原発事故の被災地 取り残され、人を待ちわびる犬猫たち

 2011年3月に起きた福島第一原子力発電所の事故によって、全村民6000人ほどが避難を余儀なくされた福島県相馬郡飯舘村。仮設住宅への犬猫の同伴避難が認められなかったため、飼い主の多くが犬猫を自宅に残していきました。無人と化した村に、少なくとも約200匹の犬と約400匹の猫が取り残され、飼い主の帰宅を待ちわびていました。私はこれまで90回ほど飯舘村を訪れ、犬猫の撮影をしてきました。事故で犬猫たちの身に起こったこと、そして現状を2回に分けてお伝えします。(フォトグラファー 上村雄高)

 

山の上の犬たち。人の訪問に鳴き声が響き渡る(2012年2月19日撮影)
山の上の犬たち。人の訪問に鳴き声が響き渡る(2012年2月19日撮影)

 私が原発被災地に取り残された犬猫の存在を知ったのは、2011年秋。2012年2月19日から、本格的に飯舘村の犬猫を撮影し始めました。人の姿に歓喜してフードを勢いよく頬張る犬猫たち、鎖につながれた犬たち……。その日、目の当たりにした光景が脳裏に焼き付き、私の足は自然と飯舘村へ向くようになりました。

 犬猫たちは、一時帰宅した飼い主とボランティアが運ぶペットフードで、命をつないでいました。

 ただ、犬猫たちが飼い主や人と過ごせる時間はわずかでした。飼い主たちは突然生業を失い、避難先での新しい生活を築いていかねばなりません。村へ通うのは、容易ではなかったはずです。

「マメ、またね」。帰り際は、いつも後ろ髪を引かれる思い(2012年5月8日撮影)
「マメ、またね」。帰り際は、いつも後ろ髪を引かれる思い(2012年5月8日撮影)

 茶トラ猫の「マメ」が、人と過ごせたのは、4日に1度一時帰宅する飼い主との数時間と、週に1~2度訪れるボランティアとのごくわずかな時間のみ。人の温もりや、朝晩のごはん、それまで当たり前だった暮らしをマメは失っていました。

 取材で私が滞在している間、私のそばを離れないマメ。「まだ帰らないよ」。そんな言葉をかけながら、2時間、3時間、彼と一緒に過ごすのが常となっていきました。

一時帰宅した飼い主のそばを離れないマメ(2012年10月22日撮影)
一時帰宅した飼い主のそばを離れないマメ(2012年10月22日撮影)

 2012年当時、飼い主の男性は83歳でした。「マメに会うのが生きがい」と言って、スクーターで1時間以上かけて避難先から飯舘村へ。しかし、時間の経過とともに、帰宅する頻度が減っていきました。生業だった農業ができなくなり、男性は体力と気力の両方を奪われていったように見えました。

 マメが怪我したのをきっかけに「危険のある場所にマメを戻すのはかわいそう」と考え、男性はマメを保護団体に託しました。現在、マメは東京で新しい家族と穏やかに暮らしています。

 一方、飼い主の男性は避難先で病に倒れ、帰村がかなわぬままです。

半径3メートル弱がつながれた「やま」の世界(2012年3月10日撮影)
半径3メートル弱がつながれた「やま」の世界(2012年3月10日撮影)

 つながれた犬たちがお腹を満たすには、人の力が必要です。

 朝晩の食事という当たり前のことが消えた土地では、多量の置き餌が犬たちの主食となりました。

 過食と運動不足による肥満、犬たちの健康はむしばまれていきました。

 また、犬たちの怪我や病気がすぐに発見されることはまれで、発見の遅れにより、致命傷となったケースもあります。

 人目のない土地で、犬たちの健康管理は容易ではありません。

「小春」は何かを訴えるように懸命に鳴きながらこちらへ(2012年5月26日撮影)
「小春」は何かを訴えるように懸命に鳴きながらこちらへ(2012年5月26日撮影)

 もしも時計を巻き戻せるなら、その日まで戻って保護したいと思う猫がいます。

「小春」という猫。何かを訴えるように歩み寄ってきたところを撮影しました。

 このおよそ1年半後、小春は野生動物に襲われ、この世を去りました。

 カラス、タヌキ、キツネ、ハクビシン、アライグマ、アナグマ、イノシシ、サル。人の営みが消えた土地では、野生動物が行動範囲を広げています。犬猫の命をつなぐための置き餌は、同時に野生動物をも引き寄せてしまいます。

猫の餌台(2014年6月10日撮影)
猫の餌台(2014年6月10日撮影)

「より安全に確実に猫たちの口にフードを届けたい」。ボランティアたちによって設置された猫の餌台は、最も多い時で、村内40カ所ほどに達しました。ただ、野生動物たちも食欲は旺盛です。一晩で2~3キロのフードが空になることも珍しくありません。高さや入口の形状などで野生動物の侵入を防ごうと餌台の改良が重ねられました。

飯舘村で出会った子猫たち。今は私の家で暮らしています(2012年6月30日撮影)
飯舘村で出会った子猫たち。今は私の家で暮らしています(2012年6月30日撮影)

 2015年頃まで、春と秋には、子犬と子猫が生まれました。とりわけ目立ったのが子猫です。飯舘村では犬猫の不妊去勢の習慣がなく、猫の外飼いが珍しくなかったためです。

「保護しても保護しても、終わりが見えない」。保護施設はどこもキャパシティいっぱいの犬猫を抱えていました。幸運な一部の猫は保護されて新しい家族を得たものの、多くの猫が不妊去勢手術を施され、再び人のいない土地に戻されました。

小柄な3匹は2013年生まれ。不妊手術後に生家に戻され仲間と寄り添って生きる(2014年6月24日撮影)
小柄な3匹は2013年生まれ。不妊手術後に生家に戻され仲間と寄り添って生きる(2014年6月24日撮影)

 原発事故の前、犬猫は人々に寄り添って生きてきました。人の営みが失われた土地で、犬猫が自力で十分な食べ物を得ることはできません。

 犬猫を置いていく、不妊去勢を施した後に猫を元の場所に戻す。そして、フードを絶やさぬように人が犬猫の元へ通い続けるのは、やむを得ない事情があっての苦肉の策です。人にも犬猫にも、大きな負担が何年にもわたってのしかかっています。

 私たちの国には依然50基を超える原子力発電所があります。自然災害はいつどこで起こるかわかりません。国内では犬猫合わせて1844万6000頭が飼育されています(一般社団法人 ペットフード協会調べ)。同じ被害を繰り返さないために、私たちは原発被災地の経験から学ぶ必要があります。

 野良猫も含む不妊去勢の徹底は、有事に被害の広がりを抑える効果があります。自分の住んでいる自治体で、犬猫の同伴避難が可能であるのか、もしできなければ、自分はどうのようにして愛犬や愛猫を守るのか、ぜひ考えてみてください。

 次回は、3.11から7年を迎える飯舘村の犬猫の現状をお伝えいたします。

sippo
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