福島原発事故の被災地 進まぬ帰還、取材にも大喜びする犬猫たち
福島第一原子力発電所の事故で被災した福島県飯舘村は、一部を除き、2017年3月末に避難指示が解除されました。しかし、今年3月1日現在の帰還者は260世帯の537人、事故前の人口の1割にも届きません。道の駅やコンビニエンスストアがオープンし、ガソリンスタンドが再開するなど、県道沿いはにぎわいを取り戻し始めています。しかし、通りを一本入れば、主を失ったままの家々がひっそりと残り、庭では犬猫が人の訪問を心待ちにしています。(フォトグラファー・上村雄高)
(末尾に写真特集があります)
飯舘村は福島第一原発の北西に位置します。2014年から2015年にかけて、放射性物質を取り除く工事(除染)が盛んに行われました。除染により放射線量は大きく減りました。しかし、除染されたのは家屋、農地、道路、家屋周辺の森林のみ。村の約75%を占める森林は、除染されないまま、家屋のすぐ裏にまで迫っています。
除染により犬猫の放射線被曝も大幅に軽減されました。しかし、人が住んではいけない場所に、犬猫が置かれ続けたのは大きな疑問です。もし当初から、長期間自宅には戻れないという判断があれば、飼い主たちの行動も違っていた可能性があります。
放置され老朽化した建物が次々に姿を消した2016年から2017年。多くの猫が雨風をしのぐ寝床と餌場を失う危機に直面しました。村内に40カ所あった猫の餌場は、15カ所ほどにまで減少。家屋解体の最盛期には、100匹を超える猫たちがボランティアに保護されました。このため、すでに飽和状態にあった猫の保護施設は、キャパシティをはるかに超える猫を受け入れざるを得なくなりました。
7年という月日は、犬猫の寿命の半分ほどに相当します。飯舘村で寿命を迎える犬猫も少なくありません。ライフもその1匹です。最後の半年ほど、帰還した飼い主と過ごせたのが、ライフにとって、せめてもの救いだったでしょう。来る日も来る日も、飼い主やボランティアの訪問を待ち続けた犬猫たち。彼らは何を思っていたのか……。
飯舘村の大部分で避難指示が解除されたものの、人の営みはほとんど戻ってきていません。いまだ放射性廃棄物が入れられたフレコンバッグ(袋)が、そこかしこに山積みされ、その数は230万個を超えています。中には家屋から20~30メートルしか離れていない保管場所もあり、村民帰還の足かせとなっています。放射性廃棄物は、福島第一原発近くの中間貯蔵施設に移動されますが、施設はまだ建設途上。今、飯舘村で生きている犬猫の多くが寿命を迎える前に、村が元の姿を取り戻すとは考えにくい状況です。
犬の「チャコ」は、息子の「マリ」「シロ」と暮らしています。人の姿を見つけると二本足で立ちあがって小躍りするように喜び、散歩に連れ出せばゴムマリのように弾みます。
チャコの飼い主は80代の老夫婦。年齢を重ね、車の運転に不安を感じるようになったため、自宅へ戻る頻度が減っています。現在の避難先は、飯舘村に比べて周辺に人家が多く「鳴き声がうるさいのではないか」と思い、犬たちを連れて行けずにいます。飼い主たちもそれぞれに事情を抱えています。飼い主が「戻りたくても戻れない」状況が続くうちは、ボランティアによる犬猫の給餌サポートが依然必要とされています。
当たり前の暮らしを失って7年。それでも犬や猫たちは、人間に親愛の情を示し続けてくれています。
たまにしか顔を合わせない私にさえ、ピッコロは全身で喜びを表し、大歓迎してくれます。ピッコロの笑顔や甘える姿を見ていると、飯舘村で生きる犬猫たちが、私たちの傍らで暮らす愛犬、愛猫と何ら変わらぬ存在だと感じます。
私たちの記憶が薄れるのは仕方のないことです。しかし、くったくない笑顔を見せてくれる被災地の犬猫たちが、私たちと同じ時間に同じ空の下で生きていることを時折思い出してください。彼らはかわいそうな犬猫ではなく、それぞれが個性を輝かせて生きる命です。
原発事故から7年が経った今、飯舘村でボランティアのサポートを必要とする犬猫は減ったものの、まだ犬が約50匹、猫が約100匹います。そして、すでに保護された多くの犬猫が、新しい家族との出会いを求めています。保護された犬猫が譲渡されれば、保護施設は新たに犬猫を収容できます。
犬猫の里親募集サイトは、家族を求める犬猫であふれかえっています。保護犬猫の譲渡会も各地で頻繁に開催されています。犬や猫を飼おうと思うなら、保護犬や保護猫にぜひ目を向けてください。
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