避難指示の解除で、居場所を失う猫たち 原発事故の被災地
東日本大震災から間もなく6年。2017年春には、帰還困難になっていた地域も、部分的に避難指示解除となる。だがそれは、この地のネコへの新たな試練でもある。
東日本大震災による福島第一原発の事故で、福島県双葉町、浪江町、飯舘村など、放射線量が高く避難区域となった地に、やむなく残されたネコたち。
震災当初は家主が帰宅できず家畜やペットが餓死する実態が話題になった。やがて全国からボランティアが集い、救出作業が始まった。保護して里親を探したり、エサを置いたり。放射線量の高い地域に独断で入り、保護活動を続ける人もいた。
あれから約6年。震災直後にはうろついていたウシやブタも見られなくなり、イヌもほとんどが保護された。ネコはまだまだ残っているが、保護や譲渡が進み、数は減った。ところが、人間の避難指示が解除に向かう今、ネコたちは新たな問題に直面している。
エサ場や住処が解体
福島県飯舘村には多くのトラックやブルドーザーが行き交う。避難指示解除の見通しが2017年3月となり、被災者の帰村と生活の再建を目指して、放置されていた家屋や建物は次々と解体。新築工事も盛んだ。
「解体される建物の中には、ネコたちのエサ場だったり、雨風をしのぐ住処だったりする場所が少なくないんです」
そう話すのは、福島でボランティア活動をしている女性、ブログネーム「犬班A」さん(47)。震災後、東京から実家のある福島県会津若松市へ移った。その後、取り残された動物の保護や給餌活動、また、保護した動物をケアするためのシェルター「福猫舎」を郡山市に立ち上げた。
共に暮らせる地域を
犬班Aさんは、土地や家屋の所有者に許可をもらってネコたちのエサ場を設置していたが、帰還のめどがついてくるに従って、「もうこれ以上エサ場にしないでほしい」と申し入れされることが多くなったという。
福猫舎に出資し、神戸から郡山市に移住して給餌活動を続ける日比輝雄さん(71)は、その理由をこう考える。
「農家なら、イヌは害獣を追い払う番犬であり、ネコはネズミ対策、と役割をもった動物と考える人もいるでしょう。皆がペットとして可愛がるとも、ネコ好きとも限らない。帰還されるのは高齢の方も多く、負担を強いるわけにはいきません」
給餌場所にはネコだけでなく、野生動物も集まってくる。新生活を営む人の住む家のそばに、エサ場を継続して置かせてほしいと頼むのは難しい。
一方で、厳しい冬は迫ってくる。ボランティアたちは一匹でも多く助けたいと思っているが、給餌に、治療やケア、輸送や譲渡手続きと、かかる人手は常に不足している。
福島の動物シェルターはどこもいっぱい。福猫舎も80匹の猫を保護し、犬班Aさんも限界に近い。ブログを通して寄付を呼びかけ、今は「一匹でもいいから、家族に迎えてくれる人を募っている」という。
東京から、ほぼ隔月、給餌に通い、福島からのネコを東京の自宅で預かっている鈴木亜矢子さん(47)は話す。
「帰還後は、各地域の『地域ネコ問題』になってゆくでしょうね。ボランティアがいきなり手を引くことはないとは思いますが、私たちの活動は、これまでに保護したネコたちの里親探しにシフトしていきます」
被災地にとって前進の象徴である避難指示解除が、ネコにとっての幸せにもつながるように。人もネコも伸びやかに暮らせる地域づくりへの模索は、これからも続いていく。
(文・浅野裕見子/写真・太田康介/AERA増刊「NyAERA」から)
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