両親に寄り添い看護と介護をサポート すると犬にも人にも訪れた充実した最後の期間
愛玩動物看護師など動物看護職の方々にお話を聞く連載。愛玩動物看護師である高橋沙織さんによるエピソードの後編です。実家で飼っていた犬の「皐月(さつき)」が倒れたため、高橋さんは両親に、自宅でのお世話の方法をアドバイス。両親に無理が生じないやり方を考慮して続けてもらったところ、皐月は驚くほどの回復を見せてくれました。
突如始まった看護と介護の日々
ある時、高橋さんのもとに実家から連絡が来た。実家で飼っているメスのスコティッシュ・テリア「皐月」のことだった。
「急にグッタリしたため、かかりつけの動物病院に連れて行き、数日間入院したものの、『手の施しようがない』と言われ、退院することになったとのことでした」
両親の報告によると、どうやら慢性肝炎だと言われたらしい。だが高橋さんは、色々な病気を見てきた経験から、このなりゆきに違和感を覚えた。
この時高橋さんは、内科の二次診療に配属されてしばらく経った頃だった。母親から送られてきた検査結果のデータと共に内科の専門医に相談すると、専門医と高橋さんの意見は一致した。
「皐月はその3年前、おそらく副腎腫瘍(ふくじんしゅよう)を原因とする、クッシング症候群という病気だと診断されました。その病歴と、今回の検査結果を照らし合わせると、副腎腫瘍からの出血によるショックと貧血の可能性がもっとも高いと考えられました」
さらに、セカンドオピニオンを仰ぎたいと考えた両親が、皐月を別の近所の病院で診てもらうと、そこでの見立ても高橋さんたちと合致した。
13歳という年齢も考慮し、この病院では手術などの積極的な治療ではなく、止血剤を使用して腫瘍からの出血を緩和し、苦痛をできるだけ和らげる「対症療法」を提案。両親も賛成したため、以後はこの病院で通院治療を続けることになった。
「そこで、治療のことは病院にお任せし、私からは自宅でできる看護と介護の方法を、両親に指導する日々が始まりました」
寝たきりからの目覚ましい回復
意識がもうろうとし、自力で食べられなかった皐月だが、そうこうするうち全身の発作も起こすようになった。体にまひも生じ、最初に連絡が来てから1週間しないうちに、完全な寝たきり状態となってしまった。
高橋さんは、手順を動画に撮って送ったり、実家に帰って直接指導する形で、きめ細かなアドバイスを行った。住環境の工夫や、食事のレシピや強制給餌(きゅうじ)のやり方、出血したであろう腫瘍を圧迫しない抱っこのし方。夜間も発作に気づけるよう、皐月と同じ部屋で寝ることも勧めた。
「リハビリもしてもらいました。最初はマッサージと、関節を動かすところから始めて、少し力が入るようになってきたら、補助して立たせる。立ち姿勢が維持でき、一歩を踏み出せるようになったら、今度はお尻などを支えながら歩く練習を少しずつ」
両親の頑張りに応えるかのように、皐月は驚くべき回復を遂げた。寝たきりだったのが、ある時から歩行訓練用のハーネスをつけた状態で、さらにはハーネスを外しても歩けるまでになったのだ。
「最終的には自力でお散歩したり、階段も昇り降りできるように。自分で食べられるようにもなりました。治療のおかげで体調も安定し、元気な老犬に近い生活に戻ることができたんです」
皐月がくれた最後の時間
とはいえ、道のりはずっと平坦(へいたん)だったわけではない。最初の頃、皐月をでき愛する母親が、頑張りすぎた結果、疲れた様子を見せたという。
「立てない皐月の体を起こして歩かせるために、自分は腰を痛めてもかわないぐらいの勢いでした。睡眠時間も削ってずっと皐月を見守っていました。『それはお母さんの将来のためにもよくないでしょ』と、リハビリにハーネスを利用してもらったり、今の皐月の状況をかみ砕いて説明しつつ両親の不安をヒアリングしたりと工夫しました」
例えばごはんも数日分まとめて作り、1食ずつ小分けにしておけば準備の時間が短縮できる。両親のタイムスケジュールを確認し、どこまで皐月に時間をかけられるのかを相談しながら、無理のないやり方を提案していった。
「どこまでできるのかは、その人やご家庭で違います。くわえて、両親に限らず飼い主様の中には、自分をないがしろにしても、動物に尽くそうとする人も少なくありません。でも、無理があると続かなかったり、心身ともに疲れ果ててしまいます。聞き取りをしながら、その人にとって実践可能なアドバイスをする大切さを痛感しました」
やがて両親の心に良い変化が訪れた。それは、ある時から口にするようになったこんな言葉に表れていた。
「皐月がくれた最後の時間」
それまで元気だったのに、突如「手の施しようがない」と告げられた時は、絶望的な気分だっただろう。だが、充実した看護と介護を実現できたことで、気持ちが前を向き、残された時間は皐月への感謝といつくしみあふれる日々へと変わっていった。皐月が倒れてから、いつしか3カ月半がたっていた。
朝の4時半に、母親から電話が鳴った。
「呼吸状態が悪い」との言葉を受け、ビデオ通話で確認すると、死戦期(しせんき)呼吸と呼ばれる、医療従事者が「最後の呼吸」と判断する呼吸だった。高橋さんは、延命処置はしないという、以前からの両親の意向を再確認し、最後の時が迫っていることを伝えた。
「初めは泣いていた母ですが、いつしか楽しかった思い出話へと変わってゆきました。20分後。皐月は母の腕の中で、両親に見守られながら、そのままスッと息を引き取りました」
一瞬の表情の変化を逃がさない
今回の出来事を、高橋さんはこう振り返る。
「私は看護や介護の方法を指導し、両親はそれを実践。獣医師は両親が望んだ方針で適切な治療をしてくれた結果、皐月も応えてくれた。できることをできるだけ、かかわった人がした結果、『充実した最後の期間を過ごせた』との思いを全員が持てた体験でした」
高橋さんは、動物医療の看護師について、「私たちはサポーター」と表現する。飼い主や獣医師、その他の病院スタッフなどがそれぞれの立場から、患者に集中して向き合える環境をサポートする人なのだと。皐月の件では図らずも、それと同じようなことをしていたことになる。
前編で、飼い主に「寄り添う」大切さに気づいた高橋さん。だが、どういうふうに寄り添えばいいのかは、はっきりイメージできずにいたという。
「動物をめぐる環境も方針もそれぞれ違う中、その方が何ができるかを、その方の視点に立って考えること。そうすれば、動物と一緒に過ごせる大切な時間の質を、上げたり維持できるのだと、あの時知ることができました」
自分が両親にしたことを、他の飼い主にもしてあげることができれば、それが寄り添いとなる――。皐月がくれた最後の体験。それこそが、高橋さんが探していた「寄り添う」の形だった。
高橋さんが働く二次診療内科に紹介されてくるのは、大半が長期の治療や看護が必要となる動物たちだ。
「自宅で投薬や点滴、栄養チューブでの給餌を長く続けていただくケースもあり、ご家族様の協力が非常に大事になります」
これらのやり方の説明を、愛玩動物看護師である高橋さんが任されることも多い。
皐月での経験を生かし、説明の最中、気にかけるのは、飼い主の表情やしぐさ、反応だ。
「1日3回の給餌を……」と口にした瞬間、わずかに顔を曇らせる人がいる。そんな時は、「3回、多いですか?」「朝は大変ですか?」と、やさしく不安をすくいあげ、解決策をともに考える。
「そうやって向き合っていると、飼い主様の表情が一気にやわらぐことがあり、うれしいですね。チューブや注射にふれるのは初めてという人も多い中、『やってみます』と言ってくださるのは本当にすごいこと。これからも飼い主様と患者様、一人ひとりに寄り添いながら、闘病期間を乗り越えるお手伝いができたらと思っています」
(次回は3月12日に公開予定です)
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