リードを離さなければ… 愛犬の交通事故で後悔する飼い主に看護の力で寄り添った
愛玩動物看護師など動物看護職の方々にお話を聞く連載。どうぶつの総合病院 専門医療&救急センター(埼玉県川口市)で働く愛玩動物看護師の高橋沙織さんが、仕事で大切にしているのが「気遣う、寄り添う、気持ちをフラットに保つ」ということです。中でも「寄り添う」を強く意識するようになったきっかけは、深夜に来院した飼い主と犬の、衝撃的な姿でした。
今も忘れられない感触
毎日の診療現場では、獣医療を提供する動物病院のスタッフにとって、もどかしいケースに出合うことがある。たとえば、家で薬を飲ませられず病気が悪化した、忙しくてリハビリができず改善しない、小さい子供に世話を任せたらけがを招いた、など。
「そうした飼い主様の事情で、動物が病気やけがをしたり、治療がうまく進まなかった時。以前の私は、その状況に対し、心のどこかで『もっと何とかしてあげられたんじゃないのかな』と思ってしまっていました」
そう打ち明ける高橋沙織さん。動物を思うがゆえに、自然にわき起こる感情ではあった。だが、ある時遭遇した出来事が、その考えを一瞬でくつがえすことになる。
高橋さんが病院の夜間救急に配属されていた時のこと。深夜、事前の電話もなく、一人の女性が駆け込んできた。腕に抱えているのは大きめの段ボール箱。驚いたのは、女性も段ボール箱も真っ赤に染まっていたことだ。
受付に入っていた高橋さんは駆け寄って、箱の中をのぞいた。そこに入っていたのは、どうしようもないほど血だらけで、息絶えているミニチュア・ダックスフンドだった。
「散歩中にリードが離れ、路上にダックスが飛び出した瞬間、タイミング悪く車が来てひかれてしまったとのことでした」
女性はパニック状態だった。ダックスはどう見ても、もはや息を吹き返せる状態ではない。それでも女性は、心肺蘇生をしてほしいと言った。
処置台に乗せるため、ダックスを抱っこした時、思わずハッとした。それまで体験したことがないほど、体がグニャグニャだったからだ。
「あの時の感触は、数年たった今でも忘れられません」
激しく損傷し、ろっ骨も折れたダックスの体は、もはや押すところもない。生き返らせるために心臓を圧迫したり、薬を入れたりできる状態ではないのだ。
残念ながらできる処置はないことを、獣医師が女性に説明する。だが、泣き崩れている女性には、その言葉は耳に入らないようだった。
目の当たりにした後悔と深い愛
飼い主自身の不注意が招いたこと。そう言ってしまえばそれまでかもしれない。だが女性の様子からは、ダックスを深く愛していること。そして、リードを離してしまったことへの猛烈な後悔が伝わってきた。それを見た瞬間、高橋さんの心には、強い思いが込み上げてきた。
「こうしてあげたらよかったのに」なんて考えるのは、こっちのエゴだったんだ――。
「動物のプロである私たちは、後からその時の状況を振り返って、『もっとこうしてあげればよかったんじゃないの?』と、アドバイスや改善案が心の中で浮かんでしまうことがあります」
と、高橋さんは言う。女性に対して、「リードを離さなければよかった」とも……。
「でも、血まみれのダックスの体を抱きしめ、泣き続けているお母様を見た時、飼い主様と動物の間には、その方々だけのかけがえのない日々や絆があり、私たちが後から『こうすればよかった』と言えるようなものではないのだとわかったんです」
心肺蘇生を望んだ女性だが、ダックスがもう助からないことは、おそらくわかっていたに違いない。それでも泣きながら、病院へと必死にたどり着いたのだ。
「困ってここに来てくださった飼い主様を、私たち動物医療の看護師は、責める立場になってはいけない。『こうすればよかったのに』なんて考えている時間があるなら、お相手のために何ができるのかを考え、動くことを優先すべきだと思いました」
エンゼルケアに気持ちを込めて
「今、目の前で悲しんでいらっしゃる飼い主様に寄り添い、何かできるのは、獣医師よりきっと私たち」
説明を終えた獣医師から引き継ぐように、高橋さんは女性を静かな個室に案内して、椅子に座ってもらった。
「普段はしないのですが、蒸しタオルもご用意して、少しでも体を温め、血が付いたお顔やお体を拭いてもらうようにしました」
涙は止まらないものの、女性はパニック状態は脱したようだった。高橋さんはこう伝えて、そっと部屋を出た。
「患者様のお体を、きれいにさせていただきますね」
ダックスのもとへ戻った高橋さんは、エンゼルケアを開始した。動物が亡くなった時、病気やけが、闘病のあとを取り除いて、苦しくつらそうな印象を軽減し、また、時間がたっても体液などが出ないようにして、きれいな状態を維持するためのケアだ。
「患者様のそれまでの生き方に敬意を払い、ご家族様の心理的ケアをスムーズに行うために、とても大事な処置だと考えています」
体についた血や汚れを洗い流し、毛並みも整え、痛々しいダックスの体を、気持ちを込めてきれいにしてゆく。
「ここ、縫ってもらえませんか?」
傷口が開いたところは、獣医師にお願いして、手術用の針と糸で閉じてもらう。
できる限り元通りのかわいい姿にしてお返しした時。泣きじゃくり、それまで一度も顔を上げられなかった女性がダックスを見て、小さな声でこうつぶやいたのを覚えている。
「あ、眠ってる」
たとえどんな事情があったとしても、目の前にいる動物と飼い主に一番寄り添う存在でありたい。高橋さんの看護者としての信念は、この夜生まれた。
さて、この時以来「寄り添う」が、大きなテーマとなった高橋さん。もっと寄り添いたい、寄り添わなきゃ、でもいったいどんなふうに……?
「寄り添おうと思いながらも、何となくぼんやりとしていた意識のピントが、しっかり合うきっかけとなった出来事があります」
それは実家から、風雲急を告げる連絡が舞い込むところから始まる。入院していた飼い犬が、打つ手なしと告げられ、退院することになったというのだ。このお話は後編で。
(次回は2月27日に公開予定です)
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