保護した兄弟の子猫が猫白血病と判明 短い生が愛玩動物看護師に伝えたメッセージ
愛玩動物看護師など動物看護職の方々にお話を聞く連載。愛玩動物看護師の山本梓さん(京都府城陽市在住)は、駅に捨てられていた2匹の猫を保護します。あどけない子猫たちに待ち受けていたのは、厳しい闘病生活でした。
検査の結果は陽性だった
年に数回しか電車を利用しないという山本梓さんが、たまたま用事があり、電車に乗ろうとした4月のある日。駅の階段の下に、段ボール箱が置いてあるのが目に入った。
カサカサッ。
音が聞こえた気がした。開けてみると、まだへその緒がついた子猫が2匹入っていた。
山本さんは猫アレルギーだ。動物病院で働き始めた頃は、顔じゅう真っ赤になるほど強い症状が出た。今はだいぶましになり、薬を飲みながら仕事ができている。だが、猫を飼うとなれば強い症状が出るのは避けられない。そこで2匹を保護し、もらい手を見つけようと考えた。
順調に成長しているように見えた兄弟猫。ところが、保護してから2カ月もたたないうちに、当初の譲渡計画は変更を余儀なくされる。
オスのハチワレの「くろべぇ」が下痢をした。薬を飲ませるが良くならず、体に紫斑(しはん)も出たため、勤務先の動物病院で検査してもらうと、猫白血病ウイルス感染症と判明したのだ。
「この時、くろべぇにはもらい手が決まっていました。でも、猫白血病の子猫の致死率は高く、大人になるのは難しいことが経験上わかっていたため、うちで飼うことにしました」と山本さん。
かわいそうな気はしたが、感染を防ぐため、すぐに兄弟であるオスのキジ猫の「ひじき」と離し、飲み薬や点滴で回復を図る。
ある時、顔が白っぽく見えたため、検査すると重度の貧血を起こしていた。急きょ、病院スタッフの飼い猫から血をもらい輸血すると、少し元気を取り戻した。だが、それから3カ月後の7月、くろべぇは短い生を終えた。
悲しんでいる暇はなかった。くろべぇが他界してわずか1週間後ほどで、ひじきも調子を崩してしまったのだ。くろべぇと一緒に猫白血病の検査をした際は陰性だったが、再検査すると、今度は陽性という結果が出てしまった。
「じつは、ひじきのもらい手も決まっていました。引き渡しの日がくろべぇのお葬式と重なったため、ずらしてもらっていたんです。その間に、この子も猫白血病とわかってしまって……」
懸命に治療を続けたが、ひじきも9月に息を引き取った。
24時間、気を抜けない日々
入れ替わり訪れた2匹の闘病生活。特に過酷だったのがひじきだ。ひじきが患っていたのは、猫白血病だけではなかった。
「いつも私のあとを追って、階段を勢いよくのぼってくるひじきが、ある日、なぜか追いかけてこない。レントゲンを撮ると、心臓に異常があるとわかりました」
呼吸状態が悪いため、酸素濃縮器とつないだチューブを鼻に入れ、酸素を送り込む。自力での食事が難しくなり、もう片方の鼻にも流動食を流すためのチューブを入れた。
貧血もどんどん進行していった。病院のスタッフや、親しくしている飼い主の愛猫たちの協力を得て、輸血した回数は6回にのぼる。
心臓に負担をかけないよう、点滴や輸血は微量ずつしか流せない。山本さんは毎日ひじきと出勤し、帰宅後も病院から借りた点滴の機械を使って、24時間かけて流し続けた。
「寝る時も、1時間おきにタイマーをかけ、チューブが外れたり、体調が急変していないか確認しに行きました。病院の昼休憩の時間に、他のスタッフにひじきを見てもらい、わずかの仮眠を取る毎日でした」
胸水もたまり、獣医師に何度も抜いてもらう。愛らしい盛りの子猫には似つかわしくない治療の日々に、山本さんの心は揺れた。
「正直、どこまでやってあげたらいいかわかりませんでした。でも、まだうちの犬と遊ぼうとしたり、酸素用とごはん用のチューブを両方の鼻に入れながらも爪とぎしている姿を見ると、やっぱりあきらめきれなくて。『もう、とことん最後まで』と思いました」
最後はひじきを抱っこしながらみとった。保護してから半年に満たない、9月のことだった。
もう二度と猫を飼いたくない
立て続けに失った若い2つの命。子猫たちと暮らした日々の大半が、容赦なく襲いかかる病との闘いで占められたことになる。
当時、山本さんが勤めていた動物病院の獣医師は、折にふれこんな言葉を口にしていた。
「『もう二度と動物を飼いたくない』と、飼い主さんに思ってほしくない」
だがこの時、山本さん自身が、まさにその心境にあったのだ。
「あまりにもつらかったので、もう二度と、猫を飼いたくないと思いました」
3年の月日が流れた。ある時、衰弱したオスの子猫が保護され、病院に運ばれてきた。子猫を見るなりハッとした。くろべぇと同じ、見事なハチワレだったからだ。
「じつは夫が、ハチワレを気に入ってしまい、『くろべぇと同じ、ハチワレの男の子だったら飼っていいよ』と言っていたんです」
あの子たちは大人になれなかったけれど、この子が大きくなっていく姿を見てみたいな――。山本さんは引き取りを申し出た。突然現れた子猫が、かたくなだった心を溶かしていった。この時の猫が「ぽんず」。幸い、病気もなくすくすくと育ち、山本家に幸せを運んでいる。
兄弟猫がくれた贈り物
動物との闘病と別れを体験したことで、「あの時のことを思い出すから、病院の前を通るのもつらい」と打ち明ける人もいるという。
山本さん自身、同じ苦しみを味わった。
「だからこそ、そんな思いを飼い主さんにしてほしくない、させてはいけないのだと、徐々に思えるようになりました」
その後、わが家に来てくれたぽんずが、ネガティブな心を吹き飛ばしてくれた。「二度と飼わない」を貫いていたら、今のぽんずとの豊かな日々はない。
「あの獣医師の言葉の意味が、今になって本当によくわかります」
飼い主の力になりたくて、山本さんはグリーフケアやペットロスの勉強を始めた。
病気の動物を抱えた飼い主は、病気にばかり注目し、「病気だから、あれをしてはダメ、これも我慢させなくては」と、治療を頑張りすぎてしまいがちだ。その結果、動物が亡くなってから思い出す記憶は、「病気をしてからのこの子」や「つらい闘病生活」一色に塗りつぶされてしまうのだと山本さんは言う。
頑張っている飼い主に、山本さんは、たとえばこう話しかける。「この子は何が好きですか?」
「もし心臓や脚が悪くて歩かせてあげられなくても、抱っこやキャリーカートを使えば、好きな散歩をあきらめなくていい。亡くなってから、『この子と楽しく暮らせてよかった』と思ってもらえるように。最後までその子らしい日常が続けられる方法を、飼い主さんと一緒に探せたらいいな」
さて、山本さんに大きな影響を与えたくろべぇとひじきだが、じつはこんなプレゼントも残してくれていた。
「この子たちの病気がわかり、『うちで飼う』と決心した時から、それまで出ていた猫アレルギーの症状がなぜかピタッと治まったんです。今では薬もほぼ飲まずに仕事ができています」
なんと、体質まで変えてくれた兄弟猫。小さな体で精いっぱい生きたあかしは、深みを増した山本さんの看護の中に、たしかに息づいている。
(次回は10月10日に公開予定です)
sippoのおすすめ企画
「sippoストーリー」は、みなさまの投稿でつくるコーナーです。飼い主さんだけが知っている、ペットとのとっておきのストーリーを、かわいい写真とともにご紹介します!
LINE公式アカウントとメルマガでお届けします。