動物看護部スタッフの愛猫が突然血栓塞栓症に 事前に安楽死と決めていたはずが…
激しい痛みと苦しみに襲われる。動物看護部リーダーの小野結さんは、血栓塞栓症(けっせんそくせんしょう)で運ばれてくる猫の苦痛に接する中で、「もしうちの子がこの病気になったら安楽死を選ぶ」と決めていました。ところがある日、愛猫の体調が急変。はたして病院で診断された病名は――。
つらい選択を迫られる飼い主
札幌夜間動物病院(北海道札幌市)は、夜、突然体調を崩した動物を受け入れる救急病院だ。
「ここには明日まで命がもたないかもしれないような、重症の患者さんもたくさんやって来ます」と話すのは、動物看護部リーダーを務める小野結さん。
よく来る重症患者の一つが血栓塞栓症の猫だ。動脈に血栓が詰まり、血流がうまく流れなくなる病気で、心筋症という心臓の病気が原因となる場合が多い。
「夜の病院だからなのか、北海道という地域柄なのか、冬になるとこの病気で駆け込んでくる子が増えるんです」
ある日突然、激しい痛みが猫を襲う。後ろ脚はまひして動かなくなり、もがき、のたうち回り、大声で鳴く姿に驚いた飼い主があわてて電話をしてくる。
血栓塞栓症を発症した時には、肺に水がたまり呼吸がさまたげられる肺水腫を併発していることもよくあり、猫をいっそう苦しめる。
重度の血栓塞栓症の猫を治療で救うことは難しく、致死率は非常に高い。
「ほとんどのケースで獣医師は、『お薬で痛みの緩和はできるけれど、根本的な心臓病を治してあげるということはできません』と、飼い主さんにとって酷な話をしなければなりません」
肺水腫や血栓塞栓症に対しての治療を試みるも、運ばれてきた病院でそのまま亡くなる子もいれば、安楽死を選択する飼い主もいる。
「苦痛にあえぐ猫を見ながら、飼い主さんは深い悲しみの中、それぞれの選択をする。それなのに私たちは、何もしてあげることができません」
猫本人はもとより、飼い主も、病院のスタッフもつらいのが、この血栓塞栓症なのだ。
せめてあと数日、一緒にいたい
さて、小野さんの家族に「ヤギ」という名前のメスの黒猫がいた。8歳の時、何げなく勤務先の動物病院に連れて行きエコー検査をしてもらったところ、獣医師にこう告げられた。
「この子、心臓病あるよ」
ヤギは心筋症だった。すぐに治療をスタートさせる。
同時に心に浮かんだのは、これまで何度も見てきた血栓塞栓症を発症した猫達の姿だ。小野さんは家族にきっぱりと宣言した。
「もしヤギが血栓塞栓症になったら、あまりにかわいそうだから、その時は安楽死を選択することになると思うよ」
数日後、事態は急展開する。外出していた小野さんの携帯電話に、母親から電話がかかってきたのだ。
「ヤギがすごく鳴いて、変な動きをしているんだけれど、どうしたのかな?」
急いで帰宅する。勤務先の病院は閉院の時間帯だったが、院長先生に連絡すると、「今から病院へ行くから」と言ってくれた。ヤギを連れて病院へ向かう。
診断の結果はやはり血栓塞栓症だった。院長はこう言った。
「どうする? 小野さんはもう、この病気をよく見てきたと思うけれど」
口をついて出た言葉は、自分でも思いがけないものだった。
「血栓を溶かす治療をします」
あの時の心境を小野さんはこう振り返る。「心に決めていた安楽死。でも私はそれを選択することができませんでした。本当に突然のことだったから、せめてあと数日でも、一緒にいる時間がもらえればと思ったんです」
すぐに治療が始まった。血栓を溶かす薬を注射し、点滴で痛み止めの薬を流す。だが血栓がうまく溶けるかどうかはわからない。溶けたことで、そこにたまっていた毒素が血液とともに体をめぐり、逆に命取りとなるリスクもある。
「痛み止めを使っても、完全に痛みが取れるわけではありません。病院という慣れない場所で、点滴につながれ自由に動くこともできず、ヤギにとってむごいことだったとは思います。つらそうなヤギを見ながら、『これでよかったのかな』って、ずっと悩んでいました」
飼い主にかける言葉に悩む
あれから2年が経過した現在。ヤギは小野さんや獣医師の予想を裏切り、退院を果たしただけでなく、見事回復を遂げていた。
「歩けるようになり、ごはんもよく食べて、猫らしい生活を送れています」
治療が成功したのは強運としか言いようがなかった。飼い主として、これほどうれしいことはないのだが、一方で複雑な思いにとらわれる。
「『数日一緒にいたい』という気持ちで治療をしたら、そこから2年も生きてくれている。そう考えたら、いったい何が正解だったのかわからなくなってしまって。同じ病気の子に会った時、飼い主さんに何て声をかけてあげるのがよいのか、今まで以上に悩むようになりました」
猫を苦しみから解放してあげたい。でも、もうちょっとだけ一緒にいたい。相反する2つの思いの間で飼い主の心は動く。小野さん自身がそうだったように。
「かつては安楽死という選択肢が、自分の中でもっと大きかったと思います。『息がある限り、このつらさから解放してあげられないのなら……』と。今も安楽死に反対ではありません。でも、もし『あと少しでも一緒にいたい』との気持ちが強いなら、猫ちゃんに頑張ってもらうのもいいのかもしれない。正解はなくて、飼い主さんの、その時の気持ちのままに選ぶことが最善なのかな」
重い選択に悩む飼い主をどう支えるべきなのか。ヤギがくれた「宿題」を、小野さんはこれからも考え続ける。
「まずはしっかり動物を見て」
血栓塞栓症で苦しむ愛猫を目の当たりにしたことで、来院する動物達に対して、意識の変化があったという。
「動物の苦痛に、いち早く気づいて治療につなげてあげたい。そのためには動物をよく見ようと思うようになりました」
苦しみに気づくことで、体にどんな異変が起きているのかがわかれば、適切な治療ができる。治療中もしんどそうだとわかれば、たとえば痛み止めの量を増やすよう、獣医師に提案もできる。
救急動物病院に来る重症の動物は、あっという間に体調が変わりやすい。
「変化を見逃さないためには、見続けることが大事。見続けているからこそ、『5分前とは呼吸が違う』とわかります」
見るためには動物の前で足を止める必要がある。経験の浅いスタッフは、「忙しい現場で動物を何度も見ていたら、先輩や獣医師に怒られるのでは」との気持ちが邪魔して、行動に移せないこともあるという。そんな後輩達に、小野さんは声をかける。「そんなことは気にしないで、まずはしっかり動物を見て」と。
痛みや苦しみを言葉で伝えることができない動物達。それを聞き取るのは動物看護部スタッフの役目だ。動物が発するSOSを逃さないように、小野さんは今日も動物達の心の声に耳を澄ませる。
(次回は4月11日に公開予定です)
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