マッサージすると止まった心臓は何度も動き出した チワワが全身で教えた命のすごさ
肺水腫で危機的な状態となり、病院に運ばれてきたチワワ。動物看護部の旭あすかさんは、プレッシャーに襲われながらも、獣医師の補助につき必死で救命にあたります。そこで目の当たりにしたチワワの“強さ”は、それまでの仕事観を大きく変えるものでした。
消えてしまいそうな命の火
旭あすかさんは、りんごの樹動物病院(愛知県安城市)の動物看護部をまとめるリーダーだ。ある日の遅い時間、チワワを連れた飼い主が、顔色を変えて病院に飛び込んできた。
チワワはメスの「ショコラ」ちゃん。以前より僧帽弁閉鎖不全症という心臓の持病があった。これが進行し、肺に水がたまって呼吸困難となる肺水腫を引き起こしたのだ。
「明らかに命が危ないため、獣医師から飼い主さんの承諾を得たうえで、すぐ救命処置にかかりました」と旭さん。
この時、獣医師とペアで救命に入ったのが旭さんだ。獣医師の補助について次のような処置を進めてゆく。
口から気管チューブを入れ、人工呼吸器につないで酸素を送り込む。点滴と注射で利尿剤を投与し、肺に溜まった水を尿として排出させる。
だが、ここは救急病院ではないため、これほど命の危険がさし迫った動物が運ばれてくることはめずらしい。旭さんは完全にいつものペースを見失っていた。
「注射器に注射針を取り付けるといった、普段は何でもなくこなしていることが、緊張のあまり手が震えてしまいなかなかできないんです。『今、目の前にいる動物を助けなければいけない』というプレッシャーに負けてしまっていました」
ほぼ1時間ごとに獣医師が採血をし、その血液を旭さんが検査機器にかける。検査の数値は、血液中の二酸化炭素の量が多いことを示している。つまり、肺の機能は低下したままだ。自分の力で酸素を全身にめぐらせ、二酸化炭素を吐き出せるようになるまでに回復しなければ、気管チューブを抜き、人工呼吸器を外すことはできない。
ショコラちゃんの生体モニターを何度も確認する。心電図グラフの波が低くなっているのに気づき、獣医師に伝えた。
「心臓マッサージをしよう」
獣医師の指示を受け、夢中で胸を圧迫する。
ショコラちゃんの心臓は何度も止まった。そのたびにマッサージを開始する。すると驚くことに、何度でも復活してきた。止まっていたはずの心臓が、手の下で息を吹き返す。
「戻ってきたー!」
いつしか旭さんは圧倒されていた。ショコラちゃんの持つ生命力に。なぜだか涙がこぼれた。
刻々と夜が更けてゆく。そしてようやく人工呼吸器から外せた時には、世界は朝を迎えていた。結局一睡もせず救命処置を続け、何とか命をつなぎとめることができた。
看護体制の改革に乗り出す
ショコラちゃんの生命力に抱いた畏敬(いけい)の念。あの時をきっかけに、旭さんの中で何かが変化した。
「知識や技術がなければ、緊急状態の動物を救えない」
そう痛感したことから、救急に力を入れる他の動物病院に見学に出かけた。やはり救急に関心のある獣医師とともに、犬猫の心肺停止時における世界基準のガイドライン「RECOVER(リカバー)」の資格も取得。ここで得たノウハウを院内で共有し、この病院のスタンダードとした。
だが、旭さんだけが意識を高めても意味がない。動物医療はチームで提供するものだ。そこで動物看護部リーダーとして看護体制と教育の改革に乗り出した。
ほとんどの動物病院では、1人の動物看護部スタッフが、1日を通して様々な業務にたずさわる。だが旭さんは、動物看護部のメーン業務である「入院」「外来」「オペ」を担当制にした。担当業務は月ごとに替わる。特定の業務に集中的に向き合うことで、自分の好き、あるいは得意なことが見つけやすいと考えたのだ。
「仕事にやりがいを感じると、効率も質も大きく上がります。うちのスタッフはやさしくて遠慮がちな人も多い。もっと自信を持って、楽しく仕事をしてほしいと思ったんです」
また年に2回、個人面談を実施。自分で目標を設定してもらい、達成するための方法を一緒に考える。
すると、後輩達が生き生きと仕事に取り組んでくれるようになったという。
「『〇〇に挑戦してみたいので、見ていてもらっていいですか?』と頼まれることもあり、成長を感じます」
でも、一番変わったのはきっと旭さん自身だ。ショコラちゃんがくれた、リーダーとしての自覚。
「それまでは、『次の休みが待ち遠しい』と考えるような社会人だったんですけどね」と旭さんは笑う。
獣医師に言えない本音を聞く
さて、話はショコラちゃんに戻る。一命を取り留めたショコラちゃんは、自力でごはんを食べられるまでになった。だがやはり呼吸がつらく、酸素室を出ることができない。
心臓の手術を行っている専門の病院で診てもらうと、「完治に近い状態まで持っていける可能性があるがリスクも高い」と言われたが、飼い主は手術を決断した。だが予約はすでにいっぱいで、手術が受けられるのは半年先となった。そこから手術の日まで、動物看護部による長い看護の日々が始まった。
飼い主やその家族とひんぱんに会い、会話を交わすうち、心の距離がどんどん近くなる。ある時、飼い主からポツリと打ち明けられた。
「ショコラが喉が渇いて水をほしがるしぐさをしたり、水を飲めないせいかごはんを食べてくれないのを、見ているのがつらいんです。もう少し水を飲ませてあげることはできないかしら」
肺水腫の治療には飲水の制限が必要だ。ショコラちゃんに対しても、肺水腫の再発を懸念し、獣医師は1日に飲める水の量を厳しく制限していた。だが飼い主は苦しい胸の内を語りながらも、こうつけ加えた。
「でも先生の治療方針だから、先生には言えないわ。先生がおっしゃることだから……」
思いを獣医師に伝えることをためらう飼い主。旭さんはこんな言葉で背中を押した。
「先生はそう言っているけれど、ご家族の気持ちというのも大事にしていいと思いますよ」
そして飼い主の気持ちを担当獣医師に伝えた。それを獣医師は聞き入れてくれた。体調を注意深く観察しながら、水の制限を徐々にゆるめていったところ、落ちていた食欲も戻ってきたのだ。
「以前は、獣医師の治療方針に、私たちが意見を述べるべきではないとの空気がありました。でも飼い主さんは獣医師に、本当のことが言えない時もあります。ショコラちゃんのご家族と密にかかわる中で、そうした本音を聞き出し、飼い主さんの気持ちに寄り添えるようになりました。それにより、治療の幅も広がったと思います」
そして、いよいよ明日は手術のための病院へ移る日。
「うちの病院で初めてのことでしたが、スタッフ皆で寄せ書きをして飼い主さんに渡しました」
これまでの頑張りをたたえ、手術への励ましをつづった温かいメッセージが色紙にあふれた。他のスタッフ達にとっても、半年間ともに過ごしたショコラちゃんへの思いは格別だったに違いない。
手術は成功したけれど、その後ショコラちゃんはお空へと旅立った。でもあの夜、小さな体をめいっぱい使って伝えてくれた命のすごさを、旭さんは決して忘れない。
(次回は3月28日に公開予定です)
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