カラスに襲われ大けがした子猫 奇跡のように回復し、自分を助けた女性のよき相棒に
都心の会社勤めから心機一転、有機農業を生涯の仕事と定めた尚子さんは、ある朝、野菜の納品に行く道で、カラスが集まって騒いでいるのに出くわした。いやな予感は当たり、弱った子猫が取り囲まれていた。保護したその猫は、折れた骨盤がずれ、尾骨が曲がり、腹膜もないという大ケガを負っていた。獣医さんは「この小ささでは手術も何もできない。自力排尿も難しい」と告げたが、奇跡のごとく自然治癒ですべてが回復。猫は尚子さんの農家人生のよき相棒となり、尚子さんがコロナで寝込んだときはずっとそばから離れなかった。
障子破りが得意なやんちゃ娘
尚子さんは古民家を借りていて、縁側に面した障子戸は枠二つ分が空いている。そこから、トパーズ色の瞳を持った愛らしい猫がのぞくと、身を乗り出してひらりと縁側に飛び降りた。
尚子さんと暮らす「つな」である。部屋からお気に入りの縁側に出るには、障子を破れば簡単と知って以来、張り替えても張り替えても威勢よく破るので、尚子さんはあきらめて枠二つ分を彼女の出入り口として開放してやっている。
この家には古道具や農具がいっぱいあって、つなは毎日かくれんぼを楽しんでいる。
「いつも、物陰から獲物を狙うかのようにじーっと私を観察していて、ロケットのように飛び出してじゃれついてきます」と、尚子さんは笑う。
つながこんなに元気になってやんちゃをしてくれるなんて。尚子さんはうれしくてたまらない。2年近くがたつが、初めて会ったときの、あのぐったりした姿とせつない目は脳裏に刻まれている。
カラスの群れにたかられて絶体絶命だった
一昨年の6月のある朝。育てた有機野菜を隣町の道の駅に納品しに行く途中、行く手の路肩でカラスが集まって騒いでいる。車を止めてよく見ると、生後1カ月ちょっとくらいの子猫にカラスたちがたかっていた。数メートル先には、すでに餌食と果てたきょうだい猫らしい姿があったが、この子はまだ動いている。カラスを追い払い、パニックに陥ってバタついている子猫を股の間に置いて運転し、ともかくも納品先に急いだ。
「そこで子猫拾っちゃって」と告げると、道の駅の人たちは、すぐに小さな段ボールやタオルを探してきてくれた。
子猫は少し落ち着いたが、ぐったりしている。顔や体につつかれた傷があり、脚の動かし方がヨロヨロと不自然だった。
そのあと、共同出荷場での出荷作業が待っていたが、作業場の仲間たちは口々に「作業は俺たちがやっとくから、獣医さんに急げ」と言ってくれた。
駆け込んだ動物病院でレントゲンを撮ると、子猫はひどい状態だった。骨盤の骨が折れて内側にずれ、そのせいで尾骨も内側に入り込んでいる。おまけに「腹膜がなくなっている!」というのだ。
カラスの野生としての知恵で、食べやすくするために、空に持ち上げて落としたものと思われる。
こんな小さな今は手術も何もできない、と獣医さんは言った。自然治癒でどの程度回復するかはわからないが、避妊手術の頃に、どんな手術が必要かを決めることとなった。自力排尿は難しいだろうとのことだった。
「先生は、圧迫排尿の方法をていねいに教えてくれましたが、骨盤の骨が折れて腹膜もない子の下腹を押すのはこわくて、しばらく通院しました」
そもそも尚子さんは猫を飼ったことがなかった。しかも、ひとり農家である。仕事中に、排尿のお世話などの必要な子猫を留守番させられようか。急いで家族のいる譲渡先を探さなければ。さいわい、大家さん夫妻は、身寄りのない猫たちの保護もしていて、尚子さんが子猫を保護したことをよく理解してくれた。
「うちの子になる?」
子猫の仮の名は「つな」とした。仕事の合間にこまめに様子を見に帰り、こわごわとお世話をした。
保護して5日目。子猫が尚子さんの顔を見ながら、置いてあった木綿の上着の上でシャーッとおしっこをするではないか。
「『自分でおしっこをしたの!よかったね、よかったね、いい子だね!』と、拍手喝さいをしてほめちぎりました。つなはほめられたものだから、それ以来、服の上でおしっこをするようになって。それでもうれしくてほめてやりました(笑)」
猫トイレに、おしっこをした服を入れることで、やがて服なしでトイレを使えるようになった。
有機農家たちの共同集荷作業場である「おかげさま農場」の2階は事務所となっている。尚子さんは、仕事中はつなを事務所に預かってもらうことにした。つなは、ぴょこんぴょこんした歩き方だったが、みるみる元気になって、ソファにも飛び乗るほどになった。
「あんな大けがをした子が、こんなにもがんばってる姿を見たら、私も腹をくくらなきゃと思ったんです。『うちの子になるか?』と聞いたら、つなはじっと私を見つめました。『そんなこと、当たり前じゃない』という顔で」
医者も驚く自然治癒
やがて、つなは、ひとりでも家で留守番ができるようになったが、いろいろなものを落としたり、障子をバンバン破ったり、隠れていてとびかかったり、かなりのやんちゃ娘となった。半年たって避妊手術のために動物病院へ連れていくと、つなを触診した獣医さんは、びっくりして声を上げた。「あれー、全部、治ってる!」
尚子さんが、ここ千葉県成田市の郊外で、農業を始めてから13年目の春になる。尚子さんにとって、この仕事は「大変」よりも「楽しさ」が勝っている。ことに農繁期は、文化祭の前のようにワクワクする。
東京のビル街に勤めていた頃、春になるたび、ホームからの飛び込みで電車が止まった。事務職だったが「私、ここで、この仕事をずっと続けていけるだろうか」と自信が持てなかった。通っていた保育園や小学校には畑があって、みんなで種をまいて収穫して食べた野菜の、体にしみこんでくるおいしさがよみがえった。
そんなとき、有機農家訪問バスツアーのあることを知り、参加。まだ有機農法が世に知られていなかった頃、「食は命の根源」と、成田で有機農法を始めた高柳さんのもとで、農業を学ぶ決心をする。農家として独り立ちしたのは、10年ほど前だ。
「おかげさま農場」の場長である高柳さん夫婦は、以前は畑を荒らす猫を嫌っていたが、今では納屋で生まれた子猫やノラを家に入れてやり、慈しんでいる。仲間の石上さん夫妻は、次々と保護した猫4匹と暮らしている。3年前、出荷場にさまよいこんできた痩せた猫も、「チャーリー」という名とあたたかなねぐらをもらい、みんなに可愛がられている。
「数年前までの私は、どんな猫を見ても『猫』としか見ていませんでした。それが、出荷場でチャーリーに触れ、つなを迎えたら、どの猫も顔や性格が違って、ひとつひとつ懸命に生きている命なんだと思うようになりました。自分が育てる野菜と同じに」と、尚子さんは言う。
この地で、共に生きていく
つながやってきて1年ちょっとたった、昨年秋。尚子さんはコロナにかかってしまった。高熱が出て、何も食べられず、起き上がれない。農家仲間や大家さんやご近所さんが、かわるがわる玄関先に食べ物や飲み物を置いていってくれた。
回復まで丸々ひと月もかかったが、その間、つなは、枕元から離れず、いつものやんちゃもせず、つきっきりで看病してくれた。元気になってつなの面倒を見なきゃと思えばこそ、気をたしかに持てた。
「つながいなかったら、私、どうなっていたことか」
尚子さんが回復したとたん、今度はつながダウンし、数日の通院となった。つなも気が張りつめていたのだろう。
「私がこうして野菜出荷農家になったのも不思議ですが、さらに、どうしてこんなに不思議で面白い生き物が私の家にいるんだろうと、毎日毎日思います(笑)」
つなも農業に大いに興味があるようだ。玄関の土間で出荷の作業をしているときも、庭先の畑に種をまくときもそばから離れない。手伝う気満々でチョイチョイ手を出してくる。
つなのきょうだいを救えなかったことは、ずっと心の底に悔いとしてあるが、あの子の分も元気いっぱいでいてくれるつなを相棒に、この大地でおいしくて安全な野菜を作り続けていきたい。
道の駅に行くと、いまだにみんなに「あの子は元気にしてるか」と聞かれる。「せつない」目をしていたので「つな」と名づけた子だったが、いのちや縁を「つなぐ」子だったのかな、と尚子さんはふと思う。
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