治療はしてほしいが獣医師に「渡したくない」 夜間救急を訪れる飼い主の特殊な心理
前回に続き、夜間救急動物病院で働く、動物看護部スタッフの浅野真里江さんのお話です。動物の体調が急変し、動揺してしまった飼い主の中には、日常ではあまり遭遇しない驚きのリクエストをする人もいるそうです。
待合室での様子と尿の色で重病だと直感
来院した動物に、待合室で初めて接するのは動物看護部のスタッフだ。患者の緊急性が高そうだと思ったら、すぐに獣医師に伝え、指示があれば他の患者よりも優先して診療へと駒を進める。
ある時、浅野さんが対応した1歳のオスの柴犬。事前電話なしでの来院だったため、動物に関する情報はまったくない状況だ。飼い主の女性に来院理由について尋ねると、「なんか元気がない」と言った。下痢など他に症状もないことから、女性からのこの情報を聞いただけでは、体の中で重大な異変が起きているとは想像しにくい。
さらにヒアリングすると、おかしいのは「散歩から帰ってきてから」だとわかった。つまり急に元気がなくなったということは、何かしら急性の病気に見舞われたようだ。
もし散歩中に道端の何かを食べてしまったのなら、中毒が起こったのかもしれない。だが女性は、その可能性はなさそうだと言う。
柴犬は警戒心が強いことが多く、こちらがさわろうとするとほえるなど激しく威嚇や抵抗をすることも多い。数々の動物に接してきた浅野さんは、女性の言うとおり、「柴犬なのに威嚇や抵抗が弱いことからも、明らかに1歳らしい活動性がない」と確信した。
犬猫の異常を知るテクニックとして、唇をめくり粘膜の色を見るというのがある。歯ぐきや舌が白ければ貧血やショック状態が考えられる。だが、興奮状態にある柴犬は、なかなか口をさわらせてくれない。ところがペロッと舌なめずりをした瞬間、舌の色が白っぽいのが見てとれた。
またその時、柴犬は緊張のあまり、おしっこを漏らした。その色が異様に濃い黄色であるのを見た瞬間、ひらめいた。
「柴犬の症状すべてを分析して考えたわけではなく、尿を見てほとんど直感したに近いのですが、若い犬であること、急に起こった病気であることなども考えると、もしかしたらアナフィラキシーショックかもしれないと思ったんです」
アナフィラキシーショックとは、体内に異物が侵入した時、抗体が異常に反応して起こるショック状態のこと。ワクチン注射や食物アレルギーなどにより引き起こされることが多く、場合によってはすぐに対処しないと短時間で命の危機にさらされる。
浅野さんは、柴犬はアナフィラキシーショックにより肝臓の機能が低下し、その結果、尿に黄疸(おうだん)が出ているのではないかと、うたぐったのだ。
女性に説明をしてから柴犬を預かり、すぐに処置室へ行き獣医師を呼ぶ。口の中の粘膜を見るとやはり白い。脈も早く、血圧を測ってみると非常に低いことから、柴犬はショック状態であった。獣医師が治療と同時に検査を行う必要があることを説明し、治療が即座に始まった。
獣医師がエコー検査をすると、アナフィラキシーに特徴的な胆のうの壁の腫(は)れが確認された。また血液検査では、予想どおり肝臓の数値が悪く、黄疸(おうだん)も認められた。これらの検査結果から、発症の原因物質はわからないものの、柴犬はアナフィラキシーショックと診断された。
もし最初の対面時に浅野さんがアナフィラキシーショックに思いいたらず、他に来院している動物の処置が終わるまで順番を待っていたら、柴犬はもっと重症化していたかもしれなかった。豊富な病気の知識が、危うかった柴犬の命をつなぎとめた。
動物を離そうとしない飼い主も受け入れる
普通の動物病院同様、検査や処置を行うには、飼い主の許可や同意を得る必要がある。
しかし気が動転している飼い主に難しい言葉を使っても、頭が回らず理解してもらえない。そこで浅野さんは、「静脈注射を打つ」は「血管からお薬を入れる」など、なるべくかみ砕いて説明することを心がけている。
大事にしているのは、「今、どういう状態だから危なくて、なぜ診察を早く開始しなければならないのか」を、きちんと説明することだという。
「ここを理解していただけないと、検査や処置のために動物を私たちに預けるのを拒まれる方もいらっしゃいます。『うちの子が危ない時に、そばにいられないのは嫌』『見えないところであれこれしてほしくない』といった心理なのだと思います。その気持ちも一人の飼い主としてすごく理解できるので、病状の理解を得ながらもその心に寄り添うことにも力を注いでいます」
治療を受けるために病院に来ているのに、「動物をさわらせたくない」とは一見矛盾した言い分ではある。だが、命の火が消えかかる動物を抱え、切羽詰まった飼い主が訪れるこの場所では、普通が普通としてまかり通らないこともある。そのため飼い主の心情と目の前に起きている病状を同時に考えることも、命を救うためには重要となる。
心を込めて説明したものの、「愛犬をどうしても離したくない」と拒まれたことがある。腎臓病の末期状態にあった高齢のオスのトイ・プードルは、その夜、容体が急変し、飼い主夫婦はこの病院に駆け込んだ。
トイ・プードルの心臓は、いつ止まってもおかしくない状態だ。本来なら一刻も早く集中治療室で体調を安定させたい。
だが、妻は「処置をすべて、私の目の前で、診察室でやってほしい」と言いきった。
「おそらく、『病院で愛犬が亡くなるのは嫌。長く腎臓病と付き合ってきた結果、みとるのならお家で』との思いが強かったのではないでしょうか」
その子の状態を考えると治療内容として十分に行えないため、獣医療的には難しいリクエストではある。獣医師に対し、「それは何のために必要なんですか?」「この数値はどういう意味ですか?」と質問を繰り出す妻。「大切なわが子に行われるすべてを理解することなしには、指一本ふれさせまい」という気迫が、愛犬に対する思いとともに伝わってくる。
浅野さんは飼い主のすべてを受け入れた。心電図や血圧など生体情報を計測するモニター、酸素濃縮器、点滴セットなどを処置室から診察室に持ち込み、動物が楽な状態になることと飼い主の前で処置することを両立できるよう、可能な限り整えていった。見守る飼い主に獣医師が説明を行いながら、息詰まるような処置は2時間ほど続いた。
女性の要望に応えるために、機材を診察室にすべて設置するには時間も人手もかかる。また限られた診察室のうちの一つが完全にふさがることになり、もしかしたらその間に訪れる複数の重症患者に対して、対応が遅れてしまうリスクもある。だが、浅野さんの提案に異を唱える者はいなかった。思いは同じ。
「『飼い主さんの理解がある上であれば、限られた条件下でも処置をしてあげたい。この子も飼い主さんも少しでも救ってあげたい』という思いがスタッフみんなにあったんだと思います」
この病院には救急の最前線にいる獣医師が集まり、最新機器もそろう。だが、それだけでは決して命は助けられない。動物の異常に気づいて動き、極限の心理状態にある飼い主にもに寄り添う動物看護のプロとして、浅野さんは“夜の動物病院”をしっかりと支えている。
(次回は12月27日に公開予定です)
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