セラピー犬を抱きしめる少女 子ども保護する米施設の取り組み

ボードリーを抱きしめるヘザー
ボードリーを抱きしめるヘザー

 もじゃもじゃの髪をかき上げながら、大儀そうに現れたその少女は、まだ肌寒い4月の朝だというのに、裸足だった。それが、犬を見るとまっすぐに近づいてきて、すぐそばに座った。やがて彼女は犬に手を伸ばしてなで、抱きしめ、ついには犬といっしょにコンクリートの床に寝転がった。

 ここはシアトルにある「スプルース・ストリート・イン」(Spruce Street Inn)という施設。不安定で劣悪な家庭環境にいたり、性的に搾取されたり、家出を繰り返したりしている12歳から17歳までの少年少女を緊急保護し、つぎのステップへとつなげる施設だ。子どもたちの滞在期間は15日から最長30日まで。そのあいだに関係機関と連携して、安全な生活環境に移行させることをめざす。

 この施設には、毎週セラピー犬を連れたボランティアが来る。犬を介したさまざまな教育活動をおこなっている「プロジェクト・ケイナイン」(Project Canine)という団体のメンバーだ。私が訪問した日は、ボランティアのアンドレアがボードリーという犬を連れてきていた。

 アンドレアは教師だ。シアトルに来る前に住んでいたカリフォルニアでは、さまざまな問題を抱え、通常の学校で学ぶのがむずかしい子どもたちのためのオルタナティブ・スクールで働いていた。その学校には毎日セラピー犬が来ており、生徒たちの精神的な支えになっていたという。自分でもやってみたいと考えたアンドレアは、適性がありそうだったボードリーを生後2カ月のときにシェルターから引き取り、セラピー犬として訓練した。

 ボードリーはシェパードとボクサーのミックス犬。一見したところはこわもてだが、とても穏やかで優しい犬だ。

セラピー犬ボードリーと、飼い主でハンドラーのアンドレア
セラピー犬ボードリーと、飼い主でハンドラーのアンドレア

 ボードリーを抱きしめて離さない少女ヘザー(仮名・15歳)は、3日前にこの施設に来たばかりだという。施設長のドミニカ・グードによると、今朝は床に突っ伏して泣いていたそうだ。

 「この子たちは、ときには真夜中に、警察官やソーシャルワーカーに連れられて、ここにやってくるんです。みんな混乱し、動揺しています。明日どうなるかもわからず、大きな不安を抱えている。そんな彼らに、まずはシャワーを浴びさせ、食事を提供し、ここは安全な場所だよ、と伝えるのが私たちの最初の仕事なんです」

 ところが、ヘザーは、シャワーも食事も「いらない」と拒否した。それが、「いま犬が来てるよ。ちょっと下に行ってみない?」と声をかけたところ、ようやく起き上がり、裸足のまま庭に出てきたのが、冒頭の姿だったのだ。

ボードリーと地べたに寝転がるヘザーを、アンドレアは黙って見守る
ボードリーと地べたに寝転がるヘザーを、アンドレアは黙って見守る

 訪問時間が終わりに近づき、ようやくボードリーから離れたヘザーの黒いヨットパーカは、犬の毛だらけになっていた。アンドレアが毛を取る粘着ローラーを差し出したが、ヘザーは断った。その代わり、毛だらけの服を両腕でいとおしそうに抱きしめたのだ。まるで、ボードレーの名残をずっと持っていたい、と言うように……。その姿はなんとも切なく、思わず胸が詰まった。

 施設長のドミニカが言った。

 「彼女、さっき、シャワーを浴びなくちゃ、って言ったんですよ。セラピー犬のおかげで、今日は彼女にとっていい1日に変わったんです」

 私は長年セラピー犬など人を助ける動物たちのことを取材してきたが、このような場面に出会うと、ああ、やっぱり犬の力はすごい、と新たな感慨が湧き上がる。人間に傷つけられてきたヘザーのような子どもは人間には簡単に心を開かないが、犬に見せる表情はとても柔らかく、素直だ。動物たちはいつも、その子のなかのいちばん純粋で無垢なものを引き出してくれる。スプルース・ストリート・インのような施設にこそ、セラピー犬が必要だとつくづく思う。

◆大塚敦子さんのHPや関連書籍はこちら

大塚敦子
フォトジャーナリスト、写真絵本・ノンフィクション作家。 上智大学文学部英文学学科卒業。紛争地取材を経て、死と向きあう人びとの生き方、人がよりよく生きることを助ける動物たちについて執筆。近著に「〈刑務所〉で盲導犬を育てる」「犬が来る病院 命に向き合う子どもたちが教えてくれたこと」「いつか帰りたい ぼくのふるさと 福島第一原発20キロ圏内から来たねこ」「ギヴ・ミー・ア・チャンス 犬と少年の再出発」など。

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この特集について
人と生きる動物たち
セラピーアニマルや動物介在教育の現場などを取材するフォトジャーナリスト・大塚敦子さんが、人と生きる犬や猫の姿を描きます。
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