本の街の路地に生きた猫 ひっそり、愛され25年
本の町、神保町。かつては路地路地に猫が歩いていたこの町でも、時代と共に外猫の姿は消えて
いきました。町の人々に愛されて長生きした喫茶店の外猫。そして今もひっそりと生きる路地猫。
二つの物語をご紹介します。(文・写真 佐竹茉莉子)
町の人気者
本をかじるネズミ除けのために、古書店で猫が飼われることが多く、平成初めまでは路地猫も多かったという東京神保町。その町の片隅で、下村幸雄さんは、奥さんの東美さんと共に、「プリマベーラ」という喫茶店を続けてきた。「33年前、ここで店を開いた時は、周りに路地猫がいっぱいいましたよ。
ミーコに出遭ったのも、すぐ裏の鰻屋の前。平成6年頃だったかな。まだ若くて、器量よしだったなあ」
おやつの差し入れでなついたミーコは、店を突き止め、引っ越してきた。店でも家でも飼えないので、夫妻は店の脇に寝床小屋を作ってやった。朝、マスターが出勤すると、ミーコが店の前で待ち構えている。そして、自転車の前籠にひらりと飛び乗るのだ。
「ふたりで町内ツーリングを楽しむのが、ミーコの若い頃の日課でした。『ミーちゃん、おはよう』って、あちこちから声がかかってね。平成前期の神保町には、まだまだのんびりした雰囲気がありましたねえ」
ミーコは賢い猫だった。ひとりで散歩に出かける時も、右を見て、左を見て、また右を見て横断歩道を渡るのだ。大型犬が向こうからきても、カラスたちに囲まれても、全く動じない肝の据わった猫でもあった。
毎朝、通る人たちに牛乳受けの箱の上から「にゃあ(おはよう)」と声をかけるミーコは、界隈の人気者だった。
最後の大冒険
ミーコは、ゆっくりと年をとっていき、やがて遠出もしなくなった。向かいに建ったビルにひなたぼっこの場所を奪われた後は、店内の片隅に置かれた箱ベッドで寝入ることが、いつしか多くなった。店先の木陰に移した頑丈な高床小屋で、夜は眠った。
去年の4月5日のこと。朝からいくら探してもミーコの姿が見当たらない。
24歳を過ぎ、片目は白内障で、耳も聞こえなくなっているから、そう遠くには行かないはずだ。
「横断歩道を渡っていた」という目撃情報が入った。なんと、幾つかの通りを渡って、ずいぶんと離れた大きな交差点である。さらに通りを渡った食材店から「通行人に撫でられていた」との裏通り情報も。自転車で駆けつけるマスターは、ふと、いつもは通らない近道をした。物陰から「にゃあ」という声がかかった。
「やあ、ミーコか!」
懐かしい自転車の音を、聞こえなくなった耳が聞きつけたのだ。目撃情報より店に近い路地だったから、家をめざす途中だったのだろう。
久々の町内ツーリングで衆目を集めながら帰還するや、ミーコは猫缶3つをぺろりと平らげた。
25歳の大往生
神保町大冒険以後、ミーコは、完全店内暮らしとなった。営業時間は箱ベッドで眠り、店が空いたときは、ママの膝の上で甘えて過ごした。夜は店にミーコだけになるので、マスターが深夜12時に様子を見に来た。
秋になり、店に置けなくなるほど老衰の進んだミーコを、主治医の老先生が大切に預かってくれた。25歳の大往生は、笑っているかのようだったという。
「オムツも買ったけど、使う前に旅立った。お別れの覚悟をする準備期間もくれて、本当にみごとな一生だった」
「ミーコの面倒を見るようになってからは、旅行にも行けず、盆も正月もなしだった。
でも、ミーコに生かされ、ミーコを中心に回っていた日々は、しあわせな23年だったわ」と夫妻は口をそろえる。
小屋のあった店先の木陰を、今でものぞき込んでいく人がいる。「会社に行きたくない日も、ミーちゃんを見ると元気が出た」「つらい時もミーちゃんに会えたらがんばろうと思えた」と言う人もいる。
ミーコは、今も、この町の人々や店の客たちの胸に生きている。
今も、路地に
ミーコ亡き後も、マスターが夕飯を運ぶ猫がいる。ちょっと離れた路地で暮らす、オッドアイが美しい白猫のゆき(25歳♀)だ。
ゆきは、民家の軒下にねぐらがあり、10年前までは、母と兄との3匹で寄り添って暮らしていた。母猫のはなが旅立ったあとは、兄猫のしろと仲良く暮らしていたが、数年前、ひとり残された。とはいえ、民家の家族、周りの印刷工場や古書店、食堂などの人たちに可愛がられ、会社帰りに撫でていく人も多い。
「窓を開けていると、下から、ゆきちゃんに話しかけるいろんな声がしょっちゅう聞こえてくるんですよ」と、すぐ近くのビルの2階にある古書店の有川里江さんは言う。 猫小屋の真向かいも、マンションの建築工事が進み、レトロな路地の風景は変わりゆく。古書店や食堂などの小さな店は次々と畳まれ、オフィスビルに変わっていく。どんな思いで、ゆきはこの変貌を見つめているのだろう。
誰からも意地悪をされることなく、いつも誰かに話しかけられて、ひっそりとつつましくも路地猫が長生きできたのは、この町が本好きの穏やかな人が集う町だったからかもしれない。そんな町の最後の路地猫が、ゆきなのだ。残る猫生も幸せあれ。
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