盲導犬めざす子犬を1年だけ預かる… 飼い主家族に大きな変化
「この世にこんな切ないことがあるなんて。部屋が妙に広く感じます。『サンディ』はがんばって訓練しているのかしら」
東京都内のマンションに住む高井明子さん(42歳)が、リビングを見渡して言う。高井家は、夫・悦裕さん(42歳)、長男・龍大(たつひろ)君(11歳)、長女・梨花子ちゃん(8歳)、次女・恵ちゃん(5歳)の5人家族。今年3月11日までは、ラブラドール・レトリーバーの「サンディ」も家族の一員だった。
(末尾に写真特集があります)
サンディは盲導犬の候補生。昨年3月、生後2カ月で高井家にやってきた。高井家が、1歳に成長するまで盲導犬を目指す子犬を世話するボランティア「パピーウォーカー」を日本盲導犬協会から引き受けたのだ。しかし、いきさつは意外なものだった。
「子どもたちが前から犬を飼いたがっていたのですが、私が踏み出せなかったんです。世話をするのは、結局は私。実はもともと動物が苦手で、責任を持って最後まで飼えるか自信がなかったんです。そんな時に主人が雑誌でパピーウォーカーの記事を読んで『どうかな』と提案されて、期限が1年とあったので、それなら大丈夫かなと思って、応募したんです」
協会にも規定があった。居間にケージ(犬が寝たり留守番をするハウス)とトイレのサークルを置けること、犬をひとりぼっちにさせないこと、先住犬がいないこと……それらをクリアした高井家に、パピー犬の委託が決まった。だが明子さんにすれば、1年間という期限があることが“決め手”だった。四季を通して1年の思い出が作れるし、奉仕活動につながる……。
昨年3月26日、子犬を迎える委託式の日がやって来た。
「出会いの日が、私たちの結婚記念日だったので、縁を感じましたね。当日になって初めて、家に来る子犬がメスで色がイエローだとわかりましたが、思った以上に可愛いくて、子どもたちは奪い合い(笑)。その日から我が家の生活が一変しました」
最初は大変だった。特にトイレのしつけ。サンディは排泄しそうな時、そわそわと回るので、その時にトイレのケージに移し、トイレシーツに乗せて「ワン、ツー」と号令をかける。ワンが排尿で、ツーが排便だ。これは盲導犬になった時にも続く重要な合図。最初が肝心だと、パピーウォーカーの先輩に聞かされ、明子さんは必死に世話をした。
「タイミングを間違えると、ウンチまみれ。人間の赤ちゃんだとオムツを着けるし、こちらのペースでできるから、3人の子育ての方が楽だった(笑)。夜鳴きもするので、はいはいと起きる。でもそのたびに、そばに行くと、鳴くのが習慣になるし。悩んでしまい、私もやせました」
子どもたちは学校などから帰宅すると、まず『サンディは?』と聞き、一緒に過ごした。末っ子の恵ちゃんの人形のバギーに入れて動かしたり、梨花ちゃんと一緒に昼寝をしたり。龍大くんは「クラス替えで、仲よしと離ればなれになった」と泣いて帰宅した時、サンディをぎゅっと抱きしめていたという。
サンディがトイレを覚えて落ち着いてくると、明子さんの苦労も減った。
「ワクチンを2度打つと表を歩けるので、待ってましたとばかりに散歩に出かけ、週末や夏休みには遠出もしました。大きな公園とか、山や川や海とかに、よく繰り出しました。成長期には、朝起きると『昨夜より大きくなってる!』と感じるほど、どんどん大きくなりました。初夏には幼稚園児の末娘の大きさを超え、夏を過ぎると(当時2年生の)次女には抱けないくらい」
月に一度はサンディとともに盲導犬協会で講習を受けた。呼び戻しをしたり、玄関前や段差前で止まる練習をしたり、家族がアイマスクをして、目の見えない人が犬をケアする体験もした。
「年が明けるとパピーウォーカー修了に向けての“カウントダウン”が始まりました。サンディの誕生日は2月1日ですが、預かるのは1歳の誕生日前後までと聞いていたので、協会から、いつ連絡があるかと、怖くなりました」
2月、ついに連絡が届き、修了式は3月11日と決まった。
修了式の1週間前から、龍大君はリビングでサンディと一緒に寝た。2日前からは家族全員がリビングでサンディと“添い寝”をした。一家にとって、サンディは離れがたい存在になっていたのだ。
修了式の数日前には、サンディに異変が起きた、と明子さんがいう。
「それまで日中、サンディは好きなクッションでくつろいでいることが多かったんですが、部屋で私の後をついて回るようになって。台所をのぞいて伏せをしたり、洗濯物を干しているとベランダに来たり。別れの予感を感じているのかなと思うと、愛しくて、切なくて。1歳を超えてからは互いの気持ちが読めるようになってきたんです。“交信できる”というのかしら」
そしてついに、別れの日がやってきた。
「夕方サンディを連れて、家族全員で盲導犬協会にいきました。そこで、修了証を頂き、式を終えました。盲導犬用のハーネスをつけて記念撮影をして、サンディは訓練士さんに連れていかれました。その時、思わず『サンディ』と呼んだんですが、サンディはシッポを振っただけで、一度も振り返りませんでした」
帰り道に寄った飲食店で、明子さんは家族の誰よりも号泣したそうだ。
「犬なんて好きでもない、1年だけならいいと思っていた私の目から、涙が止まらない。パピーウォーカーを引き受ける時、周囲から『別れのつらさを考えるとなかなかできない』と言われてピンと来なかったんですが、言葉の意味がわかりました。不思議なことに、気づくと、すべての犬が好きになっていて、外でも犬に『可愛いわねえ』と声をかけたりするんです」
修了式から約3か月半がたった。サンディが大好きだった長男の龍大君に思いを聞いた。
「サンディは僕の相談をいつも聞いてくれる気がした。今もたまに“毛”が落ちていて、アッと思うことがある。会いたくて、さみしい。盲導犬をリタイアしたら、引き取りたいんだ。そして、キャンピングカーでサンディと日本を回りたい。そのために18歳ですぐ車の免許を取らなきゃね。あと……僕、障がいのある人もない人も、差別なくいろんな人を診る、お医者さんになりたいんだよ」
近頃、真剣に勉強するようになったという龍太君に、明子さんが微笑みかける。
「お勉強を頑張れるのも、サンディのくれたギフトね。受験生のお兄ちゃんも、盲導犬を目指すサンディも、試験結果は、来年の同じころ。ママはがんばってほしいな、お互いに」
(写真提供=高井家、BSジャパン)
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