最期を迎えた妹猫をいたわる兄猫の姿に 「猫も『在宅での看取り』が大切」と実感
コロナ禍を経て、「猫も『在宅での看取り』が大切だ」と思うようになった。我が家の猫「とら」は、11年間一緒に暮らした妹の「さくら」を昨年11月、弟分の「くま」と一緒に見送っている。2匹の献身的な看取りによって、私と母は癒やしを感じることができた。
「2匹一緒に」と言われて授かった「とら」と「さくら」
生後3カ月ほどのとら(オス)とさくら(メス)がやってきたのは、2011年の夏だった。「猫の不妊手術推進の会」(富山県富山市)からの受託である。会のスタッフから「女の子をご希望とのことですが、この子にはお兄ちゃんがいます。何とか2匹一緒にお願いします」と言われ、断ることができなかった。
2匹はアレルギーの影響からいつも涙を流していた。獣医さんから目薬を処方されたが、子猫に点眼するのはひと苦労。点眼しようとすると、どんぴしゃのタイミングで目をつぶるために目薬をほとんど無駄にした。点眼を早々に諦めてしまったのは、2匹のうるうるの目を愛らしいと思っていたからでもある。
さくらは、とらよりかなり小さくて、大柄なとらに押さえつけられたり、ご飯を横取りされたりしていた。でも、眠るときは必ず一緒。さくらは母猫のおっぱいが恋しいのか、とらの胸やおなかをチュウチュウと吸って眠りにつくのが習慣だった。とらの小さな乳首を探して一生懸命、吸い付く。それは3歳ごろまで続き、寝起きのとらのおなかはいつも、さくらの唾液(だえき)でぬれていた。
2匹は成長に早い遅いこそあるものの、順調に育って個性の違いが現れるようになった。とらは大食漢で、おおらかで、やんちゃ。さくらは甘えたがりで、誰にでもよくなつき、優しい。そこに半年遅れて黒猫のくま(オス)が加わった。
11年間、一緒に年齢を重ねてきた
くまは最初から、先輩2匹に気をつかっている様子だった。とらとの初対面ではオス同士、うなり声を上げてけん制し合ったが、数日で距離を縮めて「アニキ」と認めた。おおむね従順に振る舞うものの、取っ組み合ってじゃれたりもする。とらの見えないところでさくらにちょっかいを出すこともあった。
しかし、冬になればストーブの前で3匹がもたれ合い、寝て過ごすようになった。3匹は絶妙の距離感のまま、11年間一緒に年齢を重ねてきた。
2020年1月には、さくらが私の父の看取りに際し、献身的な姿を見せてくれた。その後、急激に弱ったが、持ち直した。ただし、さくらは体重が落ちてずいぶん軽くなり、寝て過ごすことが多くなった。私は「歳を取ったもんね。人間にしたら50歳ぐらいかな。同世代になったね。もう少ししたら追い越されるな」と加齢を前向きに受け止めていた(当時の記事はこちら)。
2022年11月初旬、さくらの姿に「ちょっと元気がないかも」と思った。出したばかりのこたつに入ったきり出てこない。電源が入っていないのに。眠っている時間がほとんどになった。食欲がなくなり、上手に水が飲めていないと気づいて、やっと「変だ」と思い獣医さんのところに連れて行ったら即入院となった。
もともと腎臓の疾患を抱えていて定期的に検査を受けていたが、気がつかないうちに心臓も弱っていた。獣医さんからは「入院して酸素室に入り、状況がよくなったら治療できる」と言われた。
間が悪いことに私は関西方面への出張が入っていた。いつもなら一泊して旧友にも会いたいところだが、さくらの病状が気になって日帰りした。翌朝、急いで獣医さんのところに行ったら、「ご飯を食べる様子がない」と言う。高齢の母はデイサービスに行く予定だったが「気になって落ち着かない」と取りやめた。
「1、2日がヤマ」
入院から5日目。週末を前に獣医さんから電話が入った。「何も食べず、おしっこも出ない状態が続いています。ここ1、2日がヤマだと思うので、おうちで過ごしてあげてください」と言われ、さくらを連れて帰ってきた。
毛布をたたんで敷いて簡易ベッドとし、そこにさくらを下ろすと苦しいのか小刻みに動いて体勢を変えた。ずっと眠れず、しんどいはずなのに、横になると辛いのだろう。ずっと頭を上げている。とらとくまが寄ってきて体を支えるとさくらはうれしそうに、とらの柔らかいはらに顔をうずめ、頻繁に動くのをやめた。
さくらはじっと目を閉じて体をとらに預ける。するととらがさくらの顔をなめた。くまはさくらを挟んで反対側に横になり、とらと同じようにいたわった。オスの2匹はいずれもぽっちゃりしている。柔らかいはらや背中でさくらを包み、時々なめてやる。その3匹を私と母が見守る。そんな状況が10時間ほど続いて朝になった。
穏やかな時間を過ごしながら、「もしかしたら回復するかも」という期待は捨てないでいたが、やはり別れの瞬間はやってきた。
朝方、「フニャン」という小さな声を上げてさくらが少量のおしっこを出し、息を引き取った。ほとんど苦しまず、息が止まった後も2匹は気づいていないようだった。献身的にさくらをなめ続け、側にいた。
夕方になると大声を出して探し回る
その後、ペット葬儀業者に頼み、さくらを火葬してもらった。盆の上には生きていた時と同じ形で遺骨が並べられており、母と私は脚の骨から順に、丁寧に一つ一つ骨を拾って骨つぼに入れていった。「骨まで白くてかわいいね」と言いながら……。
帰宅して小さな骨つぼを仏壇の前に置き、さくらの写真と友人からもらった花を飾った。時々、とらとくまがやってきて、仏壇の前に座る。妹を失ったとらが悲しみを感じているようには見えない。相変わらずよく食べるし、愛嬌(あいきょう)もある。しかし、夕方になると大声で鳴きながらカーテンの影やテーブルの下を歩き回った。さくらを探しているように見えた。
我が家でさくらの最期に寄り添うことができた
私はさくらが亡くなって1カ月ほど、「何でもっと早く異変に気づけなかったのだろう」と後悔し続けた。抱っこするたびに「軽くなったなぁ」と思っていたからだ。しかし、「何度も大病をした猫だし、歳を取ってきたから、そんなものだ」とも思っていた。「どうすれば、さくらは死なないで済んだのだろう」と気に病んでいた。
しかし、最期の時間の3匹を写した写真を見ると、少し後悔の気持ちが和らいだ。「いい最期だった」と思えたから。とらとさくらが来る前、「まるちゃん」という猫を13歳で亡くしたことがある。当時は人間3人が猫1匹を看取り、切ない気持ちがずっと残った。
さくらの最期は、2020年1月に母とともに在宅で父を看取ったように、とらとくまがずっとさくらの側にいて看取った。母と私は2匹の献身的な姿に「死を迎える時間は決して悲しいばかりではない。目の前の最期の姿に集中しよう」と思った。何となく、2匹にリードされて看取り、癒やされていた気がした。さくらの死は悲しいけれど、いい思い出となったように感じる。
新型コロナウイルスの感染拡大により、終末期を迎えた人が医療機関や介護施設に入ってしまうと面会できない日が続き、家族と会えないまま亡くなってしまうケースが少なくなかった。父はコロナ禍の前だったから家族によって看取ることができた。とらとくまも、我が家でさくらの最期に寄り添うことができてよかったと思う。
さくら亡き後の変化は、さくらが独占していた母のひざを、とらとくまが交互に上るようになったこと。2匹ともさくらのように甘えたがりになり、くまはとらに遠慮しなくなった。2匹だけになったので、とらとくまの距離は縮まったようだ。
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