あちこちの病院で診察を断られた犬も激変 行動学で診療現場を変えた動物看護スタッフ
診察台で震える犬、病院に来ただけで体調を崩す猫。前村真由美さんは、治療のため動物に無理を強いてしまうことにジレンマを感じていました。ところが、ある時出会った動物行動学の知識を診療現場に組み入れたところ、おびえていた動物達の様子がみるみる変わってゆきました。
大阪府堺市にある会亀(かいかめ)動物病院で、動物看護スタッフとして働き始めた前村さん。仕事にも余裕が出てきた頃、ある疑問が胸に沸いた。
「嫌がっている動物をこんなに押さえつけないと、治療ってできないのだろうか。私、こんなことがしたくてこの仕事に就いたのかな……」
この時覚えた違和感は、消えることはなかった。
やがてキャリアを積むと、病院勤務と並行して、動物看護の専門学校で講師を務めるようになる。ある日の休憩時間。講師仲間に、何げなくあの悩みを話してみると、意外な答えが返ってきた。
「犬猫の行動を知っていれば、負担をかけずにできることもたくさんありますよ。知り合いに動物行動学の先生がいるから紹介しましょうか?」
「……! ぜひお願いします!!」
かくして紹介されたのが、動物行動学専門医として活躍する尾形庭子先生。「臨床の現場に動物行動学を浸透させたい」と、動物看護職の人々を対象に勉強会を開いていた。さっそく願い出て、参加した勉強会は、「目からうろこ」の連続だった。
たとえば初対面の犬には、真正面から近づいたり、最初から目を合わせることは避ける。そうすれば、「あなたに敵意はありませんよ」とメッセージを送ることができる。
猫は匂いに敏感で、体に知らない匂いをつけて帰宅すると、同居猫に警戒され、仲が悪くなりかねない。そこでなるべく毛布を介するなど直接ふれないようにする。上下に重ねた猫の入院用ケージは、下段は猫に緊張を強いるので、なるべく上段に入れてあげる。動物の来院時と、診療を終えた時にもごほうびのおやつをあげれば、来院のストレスを減らすことができる……。そう、動物病院の現場は、動物行動学を活用できる場面であふれていた。
「尾形先生の教えを実践してから、動物がこちらの要求を受け入れてくれ、動物と病院スタッフ、お互いに歩み寄っての診療ができるようになりました。それどころか、多くの動物が、喜んで病院に来てくれるようになったんです」
怒りん坊の犬がやって来た!?
ある時、柴犬を連れた女性が来院した。
「女性が言うには、前に訪れた複数の病院ではスタッフにかみつきそうな勢いで大暴れ。『うちでは診られません』と断られたとのことでした」
いったいどんな怒りっぽい犬が待っているのか。待合室に出てみると、荒々しい様子はまったく感じられない。女性も「今日は落ち着いているわ」と意外そう。
診察室に呼び入れると、しっぽを振って勢いよく入ってきた。
「それで、そのまま診察台にスッと乗せました。そうしたらおとなしくしてくれて、採血でも何でもできたんです」
動物行動学に基づく接し方をしたことで、柴犬の気持ちは自然と落ち着いていったに違いない。問題児扱いされ、あちこちで診察を断られた柴犬の激変ぶりが、診療における動物行動学の大切さを証明してくれた。
尾形先生の教室は、生徒が自分の病院で、パピークラス(子犬のしつけ教室)を開くことを最終目標としていた。パピークラスは、飼い主と犬が必要な知識を得られるのはもちろん、犬自身がそこでの楽しい体験を通して、動物病院を好きになるメリットがある。
だが前村さん、開催する勇気が持てず、なかなか始められずにいた。
そんなある日、年配の夫婦が困り果てた様子で、柴犬の子犬を連れて来院した。
「定年退職のお祝いにプレゼントされたけれど、飼い方がわからず、段ボール箱に2週間以上入れたままにしていたようです」
ストレスだらけの環境で、鳴きわめく柴犬。もともと神経質な性格でもあるらしい。
「『この子を何とかしなければ』と思ったのを機に、ついにパピークラスを始めることを決意しました」
パピークラスへの参加にくわえ、何度か病院で「預かり保育」もさせてもらい、人と暮らしやすい犬になってもらうためのイロハをじっくり教えていった。
「おかげで病院が好きになり、少し前に亡くなるまで、うちに通ってくれました」
なかなかにてこずった「一期生」を皮切りに、前村さんはパピークラスの開催に情熱を注ぎ続けている。
ウォーターワークに夢中になる
さて。会亀動物病院ではベリーという名前の、メスのラブラドルレトリバーを飼っていた。生まれつき股関節不全があり、生後9カ月ぐらいの頃、軽く足を滑らせたのを機に痛みが出たため手術を行った。術後はリハビリをしないと、みるみる筋力が落ちてしまう。
「ベリーがリハビリするのによさそうなプールが、どこかにないかな」
インターネットで探していると、ウォーターワークの講習会が琵琶湖で行われているとの情報が目に入った。
ウォーターワークは、日本ウォーターワーク協会が実施する、水難救助犬育成のためのトレーニング。最終的には水難救助犬として実働できるレベルを目指すが、「愛犬と一緒に活動したい」という愛好家が、スポーツとして楽しんでいる。
「でも私は、そんなことは何も知らなくて。『これならベリーに筋肉をつけられる』と思い、軽い気持ちで参加しました(笑)」
ウォーターワークでは、飼い主がハンドラーとなり、犬とペアになって溺れ役の人の救助に臨む。
「犬は飼い主さんから遠く離れ、危険のある沖へひとりで行かなければなりません。しかも、助けてくるよう指示されるのは、犬にとって知らない人。これらは犬にとって非常にハードルが高く、飼い主との並大抵の信頼関係ではできません」
水泳経験のなかったベリーは、最初は水を怖がった。だが、トレーナーに教わりながら少しずつ水にならすと、みるみる泳げるようになった。
「すると、ベリー自身、ウォーターワークがとても楽しくなってきた様子でした。『それならもっとやってあげよう』って、毎年講習会に参加するようになりました」
ボートから飛び込むのが怖い!
だが、ベリーにも苦手なことがあった。ウォーターワークには複数の種目があるが、ボートから飛び込み、溺れている人のもとへ行く種目では、いつも尻込みして飛び込めない。
「私が水に入って呼んでもダメ。『今年もできなかったね。じゃあまた来年頑張ろうか』って感じでしたね」
そして2年後、ベリーはついに飛び込んだ! その勇気に、前村さんも、仲間達も、ベリーへの賛辞を惜しまなかった。
この出来事は、前村さんに、「待つ」ことの大切さを教えてくれたという。
「パピークラスで教えたことがすぐにできなくても、『今、犬が考えているから、ちょっと待ってみよう』って、飼い主さんに言えるようになりました」
その後も精進を重ね、ベリーは7年間かけて、協会が認定する水難救助犬の試験に合格。現在前村さんは協会公認インストラクターとして、ウォーターワークの素晴らしさを伝えている。
この春、前村さんは長らくお世話になった勤務先の病院を離れる。「診療現場に動物行動学を取り入れたい」と考える院長に請われ、新たな病院(どうぶつ眼科専門クリニック・大阪府豊中市)に転職することになったのだ。これまで積み上げた知識をスタッフに伝え、動物にやさしい病院作りを目指す。
犬猫がおびえていても、病気さえ治せば問題ない? そんなの時代遅れ! 動物行動学を現場に大きく組み入れる前村さんのチャレンジが、動物病院のあり方を変えてゆく。
(次回は2月28日に公開予定です)

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