ソウルの団地で暮らす地域猫が「引っ越し」 中心担ったイさんに聞く、猫との共生
再開発が決まり、取り壊しが進む、かつてアジア最大の団地と言われた韓国・ソウルの遁村団地。そこで暮らす250匹の地域猫たちの「引っ越し」を丁寧に追ったドキュメンタリー映画「猫たちのアパートメント」の公開が始まった。住民らによる活動で中心的役割を担った作家のイ・インギュさんに、猫たちへの思いや人と猫との共生のあり方について話を聞いた。
命を救い、守らなければならない
――住民が引っ越すことになった2017年夏から、団地が完全に撤去される21年末まで4年余りの「猫引っ越し大作戦」でした。かかわったきっかけは?
私にとって団地はふるさとでした。生まれも育ちも遁村(トゥンチョン)団地で、数年ぶりに戻ってみたら再開発の話が進んでいました。私はもともとエサやりなどをする「猫ママ」だったわけではなく、ふるさとの再開発事業を個人的に記録しようとしていただけでした。でも記録しているうちに、様々な課題が見えてきました。植えられていた樹木はどうするのか、子どもたちの学校はどうなるのか――。その一つが猫たちの問題でした。
私自身、団地から引っ越さなければならないことに不安がありました。ほかの住民たちもそうだったと思います。でも猫たちには、何が起きているのか全くわかりません。不安に思うことすらできない。引っ越さなければならない同じ境遇の者同士として共感が芽生え、何とかしなければいけないと「遁村団地猫の幸せ移住計画クラブ(トゥンチョン猫の会)」の活動に参加しました。命を救い、守らなければならないという大変なプレッシャーがありましたが、それこそが最後まで頑張れた原動力になりました。
――作品のなかで、トゥンチョン猫の会のメンバーのひとりが「猫ママたちの気持ちがわかってきた」という話をします。ご自身はどうだったのでしょう。
猫ママという言葉は、外で暮らす猫たちをお世話する、お母さんのような人たちという意味で使われています。ただ時には、勝手に世話をしている人たちという否定的なニュアンスが込められることもあります。私自身は猫たちを「ご近所さん」だと思っていて、社会のなかで共生していくのが理想です。
猫たちの世話をすることは、動物福祉の観点からもとても良いことです。でも、地域の一部の人たちとは様々な葛藤が生まれるんです。そうした状況のなかで、今回の活動は前例のない規模で展開しないといけなかった。そして、250匹すべての猫たちの行く末を考えないといけなかった。猫ママさんたちの気持ちになったら、本当に不安な日々だっただろうと思うわけです。私自身も活動を通じて、そうした猫ママさんたちに強く共感するようになりました。
フェンスの向こうにある生命の営み
――トゥンチョン猫の会の一連の活動を、チョン・ジェウン監督がドキュメンタリーとして撮影する。そのことを知った時、どのように受け止めましたか?
私は1982年生まれで、2001年に大学を卒業しました。その年にジェウン監督の「子猫をお願い」という長編映画が公開され、大ヒットしました。私はその作品のヒロインたちと全く同じ世代。だから私たち世代からすると、ジェウン監督は本当にすごい人なんです。そんな人がドキュメンタリーとして記録しに来るのだと知り、まず感動しました。そのうえ、ふるさとの団地の再開発事業と猫たちを巡る活動を、映画として記録に残してもらえる。こんなにうれしいことはありませんでした。
――実際に映画「猫たちのアパートメント」を見た感想は?
猫たちの引っ越しは長期間にわたって行われました。毎日がとても大変で、いろいろなことが起きました。すべてが終わった時、私は抜け殻みたいになってしまいました。私はいったい何をしていたんだろう……。そんなふうに、ちょっとぼうぜんとしてしまった。でも監督が心血を注いで、映画を完成させてくれました。それを見た時にようやく、苦労を振り返ることができました。そして作品のなかに、私たちが伝えたかった思いがしっかり込められていたことに、感謝しました。
――映画を見た人に伝わってほしいメッセージとは。
団地の再開発という今回の出来事は、猫にとっては災害みたいなものです。その地域にいる個人の問題ではなく、社会として取り組むべき問題ではないかと私は思いました。こうした問題は、ほかの地域でも頻繁に起きています。猫という存在に社会としてしっかり向き合い、どうやって命を救っていくのか。そのための環境をきちんと整えていくことが大切だと、私は考えています。韓国と日本とで社会における猫のあり方は違うかもしれませんが、そこに、作品を見た人が共感してくれたらうれしいです。
もう少し広い意味で、一つの巨大な団地が取り壊されていく過程を詳細に追ったドキュメンタリー映画というのは、世界的に見ても珍しいものだと思います。韓国では再開発というのはよくあることなのですが、再開発が行われているフェンスの向こうでは、猫が暮らしていたり鳥が巣を作っていたり、生命の営みがある。もちろん、かつてそこにはたくさんの人が暮らしていた。そんな場所がなくなっていくという、そうした影響にまで想像を巡らしてほしいという願いもあります。
猫にとってどうすることが幸せなのか
――皆さんの活動はTNRが軸になっていました。外で自由奔放に暮らしていたある猫を、屋内で飼い猫として慣らそうとしている時に「猫はそれで幸せなの?」と自問自答する場面もありました。韓国ではTNRが広く行われているのでしょうか?
韓国では、野良猫の保護活動にTNRが活用されることが多いです。遁村団地でも引っ越しが始まる何年も前からTNRが行われていました。だから250匹という数にとどまっていたのです。
団地からの引っ越しにあたっては、三つの選択肢がありました。基本はTNRです。引っ越しにともなうストレスなどを考慮してワクチン接種をしたうえで、団地の外に移動しました。エサ場を徐々に移動していくことで、猫たちに団地の外へと出てもらい、移った先の地域猫にしました。脚が悪いなどの理由で自力では長距離を移動できない子、また群れで暮らしている猫たちは人の手でまとめて移動して、移動した先でしばらく大きなケージに入れて世話をしました。その地域の環境やもともとそこにいた猫たちとなじませるなどした上で、放ちました。トゥンチョン猫の会では、これらの猫のエサやりを続けています。引っ越した猫たちが生きている限り、私たちの活動は続きます。
一方で、人懐こい猫たちには新しい飼い主さんを見つけて、飼い猫になってもらいました。「猫はそれで幸せなの?」という言葉は、イェニャンという猫について、外でも十分に幸せなのに、譲渡するために屋内での生活に慣れさせないといけない――という状況に置かれていた時に発したものです。極論を言えば、すべてを捕獲して、すべてを飼い猫として屋内に入れて、十分にエサを与えるのが良い。外の生活は危険が伴うから。でも人間だって天気がいい日は外を歩きたいし、映画や食事にでかけたいですよね。都市部と郊外とで状況が違うとは思いますが、猫にとってどうすることが幸せなのか、確信が持てませんでした。今も、同じテーマで悩んでいます。答えは出ないですね。
――日本でもTNRは広く行われていますが、外で猫が暮らしていることに反感を抱く人が少なくありません。韓国ではどういうふうに受け止められているのでしょうか。
韓国でもやはり、猫が好きではない人たちからの反対意見はあります。猫が虐待される事件も起きています。一方で、猫の引っ越しをしていて感動したエピソードがあります。引っ越しを受け入れてくれた地域で野良猫たちの世話をしている方が、「うちの猫も、そっちの猫も一緒だよ」と言ってくれたのです。「引っ越してきたら、もちろん世話をするよ。当然でしょ」とも。
私たちの活動に共感して、手をさしのべてくれる人たちがたくさんいました。反対意見というのはどうしても大きく聞こえ、そちらばかりが注目されがちです。でもだからこそ、猫が好きで一緒に活動してくれる人たちと連携して、新しい文化を作っていければいいのではないでしょうか。
――ジェウン監督は「猫はこの社会の変化を示す物差し」と表現しています。遁村団地で起きた出来事は、社会のどんな変化を表していると思いますか?
いろいろな町に行き、そこにいる猫たちの状態を見ると、どういう町なのかがおおよそわかります。健康状態の良い猫たちがおだやかにくつろいでいたら、この町には心の温かい人がいっぱいいるんだろう、人も暮らしやすい地域なのだろうと思います。猫の状態から、地域の人たちの心が垣間見えるんですね。猫は確かに、地域を見極める物差しの一つになっていると思います。
トゥンチョン猫の会では、活動内容を積極的に外に向かって発信してきました。クラウドファンディングで活動資金を集めたりしたのもその一環です。その一つの結果として、ほかの地域で似たような事態に直面している人たちからも、徐々にですが声が上がるようになってきました。そのことで、私たちは、やはり猫の問題は個人で闘うべき問題ではなく、社会として取り組むべき問題であると、改めて確信しました。ほかの地域の人たちとの連携も始まりました。遁村団地で起きた出来事は、新しい文化が作られる変化の出発点になったのだと、いまは思っています。
- イ・インギュ(Lee In-kyu)/1982年生まれ。作家。遁村団地を記録した4冊の書籍と1冊の写真集を出版している。今年、遁村団地の生活史をまとめた論文をもとにした新著を刊行予定。
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