愛犬が教えてくれた「老いるということ」 介護の経験いかし飼い主支える動物看護師

女性と犬
長野県の美ヶ原にて。山登りが趣味の高藤さん、休日にはチョイさんと、あちこちの山に出かけた(高藤さん提供)

 不思議な縁でめぐりあった、動物看護師の高藤雪代さんと、おじいちゃん犬のヨークシャー・テリア。最後にくれた贈り物は、いとおしさあふれる介護の日々でした。この体験を糧に、高藤さんは、介護に悩む飼い主に手を差し伸べています。

(末尾に写真特集があります)

名前を覚えて心の距離を縮める

 動物看護師になりたくて、初めて飛び込んだ動物病院でのこと。新人で、動物看護系の学校を卒業していない高藤雪代さんは、まわりとの能力差を痛感する。検査やオペの助手なんて、当分一人前になれそうにない。

「だったら私は受付に力を入れよう」

 受付カウンターに立ち、「この人は何を求めているんだろう」と、真剣に考える日々が始まった。

 思いついたのが、患者さんの名前を覚えることだ。飼い主と動物の名前を頭にたたき込む。次の来院時、診察券を渡される前に、「ああ、〇〇さん。□□ちゃん、久しぶりじゃない?」と声をかけてみた。

 名前を覚えてもらって、嫌な気持ちがする人はいない。打ち解けて、何でも気さくに話してもらえるようになった。

動物病院のカルテ
カルテがずらりと並ぶ受付。名前を覚えるのも大変そう

 みやむら動物病院本院(東京都江戸川区)に勤務し、あらゆる仕事をこなす今も、大事にするのはやっぱり受付業務だ。

「初めて来た人にも、『どうしましたか?』ってニコニコ話しかけて、不安を和らげて診察に送り出す。診察を終えて受付に戻ってきたら、処方された薬の説明をしたり、疑問があれば聞いてもらって、また不安をとってあげられます」

 病気の動物を抱える飼い主を、初めと終わりに二度、安心させてあげられる場所。人懐っこい笑顔と、明るくのびやかな声で、飼い主と気持ちを通わせる。高藤さんのいる受付は、ひだまりのようにあたたかい。

出会いは唐突に訪れた

 話は13年前にさかのぼる。ある朝、仕事に行こうと玄関を開けたら、1匹のヨークシャー・テリアがいた。「迷い犬だ」。抱っこしてあたりを歩き回ったり、警察署や保健所、動物愛護団体にも問い合わせたが、探している人がいるとの情報はなかった。

「体はノミだらけで、毛も爪も伸びっ放し。あまりいい飼われ方をしておらず、いなくなっても必死に探されなかったのかな。じゃあ、私が飼おうって思ったんです」

 オスのヨーキーは「チョイ」さんと名づけられ、毎日一緒に出勤するようになった。

2匹の犬
出会った頃のチョイさん。病院のスタッフ犬と(高藤さん提供)

 出会ったとき、おそらく10歳は超えていた。ともに暮らし始めて9年目、本格的な老いが訪れた。

 体がどんどんやせていった。目が見えなくなり物にぶつかる。昼夜逆転生活になり、夜鳴き、徘徊。やがて寝たきりになり、自力でご飯が食べられず、下の世話も必要になった。一歩ずつ老いが深まっていった様子を、高藤さんはこう表現する。

「きれいに年をとっていってくれたんです。ああ、年をとるってこういうことなんだって、全部経験させてもらいました」

 血だらけの床を見たときは悲鳴をあげた。立ち上がりたくて脚をジタバタさせる遊泳運動をしたところ、脚がこすれて出血したのだ。抱っこすると夜鳴きをやめるため、夜中じゅう抱っこしなければならず、睡眠不足の日々が続いた。

「でも、なぜか楽しかったんですよね、介護。他の人が抱っこしても、『違う』って夜鳴きをやめないけれど、私だと寝てくれるから、『信頼してくれてるんだな。じゃあ、私やるよ。任せといて』って。本当にいとおしかった」

 半年ほどの介護生活をへて、チョイさんは旅立った。

「おじいちゃんになったね」

 高藤さんは毎日チョイさんを職場に連れて行き、スタッフの協力のもと、みんなで見守ることができた。だが、他の飼い主たちはもっと大変な思いをしているはずだ。

「介護している人に対して、助けってすごく必要だなと感じました。私は動物看護師だから、飼い主さんの気持ちをわかったうえで、サポートができると考えました」

 ずっと大切にしてきた受付業務。チョイさんの経験をへて、「介護の助けを必要とする人への声がけ」というミッションが、新たに加わった。

カゴの中の犬
病院ではカゴの中が定位置だった(高藤さん提供)

 子犬のころからみてきたオスの柴犬。白髪が生え、動きも年齢を感じさせる。会計のとき、高藤さんは声をかけた。

「おじいちゃんになったねー」

 長いつきあいだからこそ、ざっくばらんな物言いができる。

「最近、どんな感じ? ご飯は自分で食べられてるの? 夜は寝られてる?」

 すると、「いや、じつは徘徊がすごいから、私、眠れないの」と打ち明けられた。

「えーっ。夜鳴きとかは?」「うん、するする」

 この日の来院理由は下痢だった。診察室では獣医師に、下痢の話しかしていない。でも切実な困りごとは、それだけではなかったのだ。高藤さんはすかさずアドバイスする。

「お母さんが倒れちゃったら、この子の世話をする人がいなくなっちゃう。そういう行動って、薬でおさえられることもあるんだよ。△△ちゃんに寝てもらったら、その間、お母さんも一緒に休めるんじゃない?」

 親身に伝えると、「そういうのもあるんだ。じゃあそうしたいな」とお母さん。

「先生ともう一回、相談して決めたら?」と勧めると、今度は奥にいる獣医師に事情を説明し、「もう一回呼んであげて」とお願いする。お母さんと柴犬はUターンして、さっき出てきたばかりの診察室へ入ってゆく。

 認知症は薬の力を借りたり、寝たきりによる床ずれはパッドを当てて予防ができる。介護の悩みに対し、医療や看護の力でできることはあるのだ。解決できないと思い込み、一人で耐えている人に、手を差し伸べる。

散歩中の犬
千葉県の鋸山で(高藤さん提供)

「私は介護の先輩だから」

 飼い主をサポートするのは、「介護の時間を大切にしてほしい」との思いがあるからだ。

「最後の瞬間まで、一生懸命介護できた実感があると、深刻なペットロスを防げるんじゃないかな」

 疲れ切って体調を崩さないようにしながら、思い残すことなく介護に取り組んでもらいたい。

「飼い主さんには、『私は介護の先輩だから、何でも相談してね』って話しています」

 高藤さんが迎えた「最後のとき」はこんなふうだった。連日夜鳴きしていたチョイさんが、なぜかあの日はスヤスヤ寝てくれた。だから久しぶりに、一緒に枕で熟睡した。

「朝起きたら冷たくなっていました。でも、ふたりともやりきった感じでした」

 浮かんだ言葉は「ありがとう」。そして、「お疲れさま。私もチョイさんも」。

 自分と動物に「お疲れさま」と、心からねぎらえる介護生活を送ってもらうために。高藤さんは、チョイさんが教えてくれたことを生かして、飼い主をしっかりと支えていく。

(次回は5月24日に公開予定です)

【前の回】ペットの死を尊重したお見送り 動物看護師が家族と一緒にエンゼルケアを行う理由

保田明恵
ライター。動物と人の間に生まれる物語に関心がある。動物看護のエピソードを聞き集めるのが目標。著書に『動物の看護師さん』『山男と仙人猫』、執筆協力に動物看護専門月刊誌『動物看護』『専門医に学ぶ長生き猫ダイエット』など。

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この連載について
動物の看護師さん、とっておきの話
動物の看護師さんは、犬や猫、そして飼い主さんと日々向き合っています。そんな動物の看護師さんの心に残る、とっておきの話をご紹介します。
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