日本初のファシリティードッグ「ベイリー」 子供らに笑顔を届けた軌跡を振り返る
小児がんや重い病気と闘う子どもたちと一緒に遊んだり、「医療従事者」としてつらい治療や手術の前に寄り添いサポートしたりする。それが「ファシリティードッグ」。
今から10年前、日本で初めてのファシリティードッグが誕生した。彼の名は、ベイリー。たくさんの子どもたちに勇気と笑顔を届けたベイリーの物語。
(末尾に写真特集があります)
白血病で息子を亡くしたお母さんからのメール
2009年。ハワイにある「ファシリティードッグ」などの育成施設「Assistance Dogs of Hawaii(ADH)」に一通のメールが届いた。差出人は、息子のタイラーくんを白血病で亡くしたキム・フォーサイスさん。
タイラーくんは、2歳を迎えることなく旅立つまで人生のほとんどの時間を病院で過ごした。「同じ境遇の人たちの力になりたい」。キムさんは小児がんなど難病の子どもとその家族をサポートするNPO法人「シャイン・オン!キッズ」を設立。メールには「日本の小児病棟でファシリティードッグプログラムを導入したい」と記されていた。
ADHには「ファシリティードッグの配置はハワイ内でのみ行う」というルールがあった。しかし、キムさんの思いに動かされルールを変更。日本へのファシリティードッグの派遣が決まる。その白羽の矢が立ったのが、ベイリーだ。
ファシリティードッグ初の「バイリンガルドッグ」
オーストラリア・メルボルン生まれのゴールデンレトリバーの男の子。生後10週でハワイにADHにやってきた。子犬を預かって育てるパピーレーザーの家では、病気の痛みに耐える少年に寄り添うなど早くからその資質が開花した。
ところが月齢5カ月のときにてんかんの発作を起こし、一度はファシリティードッグの道を諦める。しかし、病を乗り越え、再びトレーニングに参加したベイリーは、人に寄り添い共感する力はもちろん、大きな体にもかかわらず医療器具の周りではとても慎重に行動することができた。まもなく卒業というタイミングで、キムさんからのメールが届いたのだ。
早速日本行きのトレーニングが始まった。ファシリティードッグは「相棒」となるハンドラーからのキュー(合図)を聞き分けて動くが、約90のキューはすべて英語。その他の会話は日本語で行うため、ベイリーはファシリティードッグ初の「バイリンガルドッグ」に。
「牢獄みたい」 病棟の子供たちの厳しい現実
数カ月後、マウイ島にあるトレーニングセンターに一人の日本人女性がやってきた。小児病等の看護師として働いていた森田優子さん。ベイリーのハンドラーになることが決まっていた。
「私たち医療関係者は、治療はもちろん、子どもたちに笑顔になってもらいたくて日々頑張っています。でも、以前働いていた小児病棟で、患者さんのお母さんから『ここは牢獄みたい』と言われたことがあったのです」
病院によってルールは違うが、その病院ではきょうだいの面会は禁止、院内の散歩にも許可が必要で、お菓子など好きなものを食べることも制限されていた。自由がないことが「牢獄」という表現につながったのだろう。病気の苦しみだけでなく、痛い検査や怖い手術に耐えている子どもたちにとって、病院が「嫌な場所」であることは間違いない。
そんな中、森田さんは日本で初めてファシリティードッグが導入されると知る。
「病院にわんちゃんがいたら、子どもたちは絶対に笑顔になれる! 病院が嫌なことばかりじゃなくなるかもしれない。そう考えたらとてもワクワクして、迷わずハンドラーに立候補しました」
ベイリー、生涯のパートナー・森田さんと出会う
最初にベイリーに出会ったときのことを、懐かしそうに振り返る。
「真っ白のフサフサの毛が光に照らされ、キラキラと輝いていました。なんて美しい子なんだろう、って」
ハワイでは、前半はトレーニングセンターで、後半には実際に小児病棟に入り研修を行った。センターでは順調だったものの、病院の実習では森田さんがガチガチに緊張してしまい、ベイリーが森田さんの言うことを全く聞かなくなってしまった。
「一緒に歩くのも目を合わせることも拒まれてしまい、『ヤダ!』とばかりにベイリーは出口に向かって突進していってしまって……」
ベイリーは生まれながらに人の表情や気持ちを読むことに長けている。だからこそファシリティードッグとして見込まれたわけだが、森田さんの緊張を敏感に感じ取ってしまったのだ。
どうしていいのかわからず、森田さんは食堂で一人、涙を流した。しかし、一緒に泊まり込んでいたホテルの部屋で森田さんがトイレに立とうとしたとき、ベイリーが「お母さん、どこ行くの?」と尋ねるかのようについてきた。「家族」として心が通じた瞬間だった。生活も共にするファシリティードッグとハンドラーは、家族としての絆がとても大切なのだ。
「現地のトレーナーからは『常にポジティブに、そしてリラックスして』と言われました。それを心がけると、ベイリーも落ち着いて動いてくれるようになったのです」
病院側の制限を打ち破ったのは子供たちだった
2011年、静岡県立こども病院で、ベイリーは日本初のファシリティードッグとして、森田さんとともに活動を開始した。前例のない取り組みに、院内には犬を入れることによって感染症やアレルギーが起きるのではないか、犬が苦手な子もいるのではと、反対の声が根強く、当初の活動は週3日、入れる病棟は一つと制限された。その壁を打ち破ったのは、ベイリーと患者である子どもたちだった。
「いつも採血の時に泣き叫んでいた子が、ベイリーがそばで応援すると泣かずにできた。腰に太い注射を指す骨髄穿刺(こつずいせんし)という激痛が伴うつらい検査も、『ベイリーと一緒に寝られるから、あと100回やってもいい!』という子もいました」と森田さん。
同病院の看護師・加藤由香さんは、「痛みを取る薬はあるけれど、検査や痛みに対する恐怖を取り除いてあげる薬はない。でも、ベイリーが寄り添ってくれると、子どもたちの顔から恐怖が薄れる。笑顔を見せてくれる子もいる。薬を使う量を減らせることもあり、子どもたちの体への負担も軽減できるのです」。そしてこう続ける。
「親御さんや、ましてや私たち医療スタッフがどんなに言葉をかけても、子どもたちをあんな風に勇気づけることはできない。ベイリーの存在の大きさに、不安や反対の声は払拭(ふっしょく)されていきました」
ベイリーは患者の家族にも寄り添った。「わが子の闘病がどんなにつらくても、悲しむ姿を見せたらお子さんはもっと不安になってしまう。廊下でベイリーをぎゅっと抱きしめ思い切り泣いてから、スッキリした顔で病室に入って行く。そんなご家族の姿を幾度となく目にしました」(加藤さん)
医療スタッフにも笑顔が。当時同病院の看護師としてファシリティードッグプログラムの導入準備に携わった平野友子さんは、こう振り返る。
「ベイリーが来る日は、ベイリー会いたさに医師の数がいつもより増えるんです(笑)。本当に病院のアイドルでしたね。患者さんやご家族と医師、看護師のコミュニケーションも円滑になり、院内の雰囲気がとてもよくなりました」
検査中、ベイリーは医師や看護師から尻尾を踏まれてしまうこともあったが、ピクリとも動かなかったという。
そんな思慮深くガマン強いベイリーだが、仕事を離れると食いしん坊キャラが炸裂! 日本に来て初めての誕生日、病院スタッフがドッグカフェでサプライズパーティーを開いてくれたときのこと。
「生まれて初めて食べるワンコ用のケーキがよほどうれしかったんでしょうね。ものすごい勢いでケーキに突進し、お皿が割れちゃって。みんな大爆笑でした」(加藤さん)
ベイリーの活動はどんどん広がり、平日は毎日出勤。病室はもちろん手術室へも入れるように。そして、ICUでの活動も許可される。そこには、ある少年とベイリーの友情の物語があった。
(後編に続く)
- クラウドファンディング実施中
- 10月25日から、クラウドファンディングサービスReadyforで「『入院中の子どもたちを笑顔に』の先へ 心のケアでつなぐ家族と未来」と銘打ち、シャイン・オン!キッズ全体のプログラムに対するクラウドファンディングがスタート。リターン品の目玉は「犬アート」。絵の具とキャンバスをプラスティックバッグの中に入れ、ファシリティードッグがそれを舌や足で広げて作るアート作品。抽象的ながら味のある作品に仕上がっている。寄付のみの場合、税額控除の領収書の発行も可能。
・目標金額:1,000万円 ※目標金額に達しない場合、全額返金となるAll or Nothing形式。
・公開期間:2021年10月25日12時~2021年12月16日23時
>https://readyfor.jp/projects/facilitydog4
sippoのおすすめ企画
「sippoストーリー」は、みなさまの投稿でつくるコーナーです。飼い主さんだけが知っている、ペットとのとっておきのストーリーを、かわいい写真とともにご紹介します!
LINE公式アカウントとメルマガでお届けします。