がんで闘病時、猫が元気をくれた 江戸家猫ハッピーさんのにぎやかで夢中だった日々

茶白猫
甘えん坊のチクワ「ママ、僕も引っ越しだね」

 イラストレーターの江戸家猫ハッピーさんは、名前の通り猫好きで、7匹の猫たちと幸せに暮らしています。7年前に闘病した時にも、猫の存在が大きな力になったそう。じつは“犬派”だったという俳優で芸人の父、3代目江戸家猫八さんとの思い出も振り返りながら、猫と歩む“これから”を明るく話してくれました。

(末尾に写真特集があります)

年長猫に背を押され

「片付けの最中ですが、よかったら、バナナに会ってください」

 そんな知らせを、イラストレーターの江戸家猫ハッピーさんから頂き、日本橋浜町(東京都中央区)の家を訪ねた。

三毛猫
バナナ(遺骨)の側に案内してくれたミカン

 猫ハッピーさんはこのたび「引っ越しを決めた」といい、居間は段ボールがいっぱい。その周りを猫たちが歩き回る。と、三毛猫ミカンが、ソファの横の棚に飛び乗った。

 そこには白い花と白い遺骨が置いてあった。先日旅立った年長猫のバナナだ。

 猫ハッピーさんが静かに話す。

「バナナは2月22日“猫の日”に逝きました。3週間の介護を経て、20歳目前で。ずっと私の守護神のような猫でしたが、『自分の役目は終わり、さあ次に進みなさい』と背を押された感じです……」

 数年前から、猫ハッピーさんは空気のよい所に行きたいと言っていたが、迷っていた。だがコロナの影響に加え、バナナとの別れで、ついに決心したそうだ。

「心機一転、猫と地方にいきます」

 じつは猫ハッピーさんは7年前、がんの手術をした。再発もなく、今はすこぶる元気だが、白と茶の模様の2匹の猫を抱き寄せ、こう続けた。

「私ね、猫を育てることで、ここまで元気になったと思う。このきょうだい猫、タマゴとチクワは、術後、通院で抗がん剤治療をしながら、自宅でミルクをあげて育てたんですよ」

姉の支えで猫育てを開始

 猫ハッピーさんは、40歳を過ぎた時に体に異変を感じたという。不正出血が続いたのだ。何人もの医者に診てもらったが、先生方は口をそろえて「数センチの子宮筋腫で経過観察」と言った。だが単なる筋腫ではなかった。

 最終的な診断が下ったのは最初の診察から1年後。子宮体がんだった。

「症状が筋腫と同じなのですが……私は明細胞がんでした。1年もわからなかったのに?とキツネにつままれた気分だったけど、仕事を休んですぐに手術を受けることにしました。入院の間、家にいたバナナなどの世話は、友人にお願いしました」

 広汎(こうはん)子宮全摘出術を終えると、猫ハッピーさんの心に、ある気持ちがふつふつと湧いてきた。

「猫、育てたい。“今”を生きるために“新たな命”を預かって育ててみたい」

 もともと動物のお世話するのが好き。できる範囲で子猫の世話をしてみたい、と願った猫ハッピーさんは、それからしばらくして(再発防止の)抗がん剤をはじめ、同時に、友だちや家族に子猫への思いを伝えたという。

「岡山に住む知り合いの獣医さんが“乳飲み猫”を育てるボランティアをしていて、そこのサイトで子猫を見て一目ぼれし、お願いしたんです。オペから3カ月後に会いにいきました。もちろん、周りの友だちや姉の支えがあり、体調が悪ければ世話をしてもらう体制を整えました。獣医さんも理解を示して下さり、私はタマゴとチクワの親になることができました」

 自分の寝室にケージを置いて、一生懸命、2匹にミルクをあげた。

「当時、自分は大丈夫だという気持ちと、怖いという気持ちが両方あったけど、猫に触れながら“生きる気力”がアップしたのは確かです」

女性と猫たち
病気後に育てたミカン、カツオ、タマゴ、チクワと猫ハッピーさん

 抗がん剤の副作用で数日ダウンし、姉に家に来てもらうこともあった。だが本当に起き上がれなかったのは一日だけで、「猫の世話をしよう」と思うと、元気がでてきたという。

 体調が安定していたので、その後、生後2カ月の猫のきょうだいも受け入れた。

「茨城の友人の家の納屋で、野良猫が6匹の子を産んだというので、『うちに連れてきて』といって世話をしました。2匹(カツオとミカン)を手元に残し、あとの子たちは家族を探したんです。とにかくにぎやか、そして、夢中でした」

 子猫たちの世話をしながら、猫ハッピーさんは「はじめて子猫を育てた20歳の時」を思い出したそうだ。その頃は実家に住み、父も元気だった。

猫嫌いな「猫八」を口説いた日

 猫ハッピーさんの父は、『鬼平犯科帳』などに出演した俳優で、芸人としても広く活躍した3代目江戸家猫八さん。“猫八”というと動物の鳴きまねを思い起こし、猫好きに違いないと思う人も多いかもしれない。

 だが父は、「猫が苦手」だった。

 猫ハッピーさんが説明する。

「そもそも“猫八”は、昔の大道芸人が使っていた呼称で、猫と関係ないのです。私の祖父が“江戸家”をつけて最初の寄席芸人となりました。父、3代目は“犬好きの猫嫌い”でした。猫は犬と違って呼んでも来ない、気ままだからと」

 そのため猫ハッピーさんは、幼い頃から犬と育った。猫は好きだが“出会う機会”もないまま大人になった。

 ところが20歳の時、家の前のバケツに、生まれたての子猫がビニールに入り捨てられていたのを見つけた。ゴミ収集車が回収に来る前に猫ハッピーさんが気づき、拾い上げた。

「父に飼えないかというと『猫は“俺ひとり”で十分』という。それで、『子猫の家族が見つかるまでの間、面倒を見させて下さい』と頼んだら、父が、健康に育つように健ちゃん、康ちゃんと命名してくれたんです。名をつけたら、世話する方は愛情がわいちゃいますよね」

子猫と女性
20歳の頃に保護した健と康。「今いるタマゴとチクワに似ている」(猫ハッピーさん提供)

 猫育ては人生で初。綿棒にミルクを浸して吸わせるなど工夫すると、健、康はすくすく育った。命はあたたかく、そして愛らしかった。

 猫ハッピーさんは姉と相談し、一緒にこう父に告げた。

「猫の面倒をみて、親の気持ちがわかったよ」「お父ちゃん、ありがとう」

 すると、父の態度が一変した。

「そうか、わかったか。この子たちのお陰でそれがわかったなら、猫を家で迎えよう」

 そうして、20歳の猫ハッピーさんは、念願の猫の飼い主になれたのだった。

家族と猫
父の江戸家猫八さん、姉の江戸家まねき猫さん(中央)と。1994年6月号の『Cats』の記事より。(撮影は森川光生さん)

「父を口説き落とせてうれしかった(笑)。健と康は茶白猫で、私が(がんの後に)迎えた、茶白のタマゴとチクワに似ていたんです。父の好物のおでんの名を付けたのも、当時を思い出したせいかもしれない。父は健、康が10歳の頃に亡くなったけど、猫と住んだ頃のことは、今もよく思いだします……」

自然が多い場所でのびのび

 今年の夏までに、猫ハッピーさんは緑豊かな地方に移る予定だ。

「国立公園なので、自然を残して家を建てないといけない、そこがまたいいんですよね。姉を連れていったら、いいわねといってくれました」

 猫ハッピーさんはオンラインショップ猫満福庵で、猫のぬいぐるみやグッズ作成をしている。

座る猫
昨年のクリスマスごろは元気だったバナナ 「心はずっと一緒」(猫ハッピーさん提供)

 それに加え、猫との生活のため、現地での仕事も考えているそうだ。

「近くに動物園があり、そこでカピパラやカンガルーなど動物たちの“エサを切る”バイトを募集していて、興味を持ちました。動物と実際に触れあって、イラストを描いて、グッズを作れたら最高だな」

 新しい家には、猫がのびのび過ごせるように「風通しのよいサンルーム」を作る予定だ。

 猫ハッピーさんと、後輩猫たちの新たな生活を、天国のバナナも応援していることだろう。

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藤村かおり
小説など創作活動を経て90年代からペットの取材を手がける。2011年~2017年「週刊朝日」記者。2017年から「sippo」ライター。猫歴約30年。今は19歳の黒猫イヌオと、5歳のキジ猫はっぴー(ふまたん)と暮らす。@megmilk8686

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この連載について
ペットと人のものがたり
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