定年後、愛犬との散歩で地域デビュー 「幸せを分けてくれた」
バリバリ仕事をして、家のことは妻に任せ切りだった男性が定年退職し、家に戻ってきた。定年後に地域社会と関係を持つ“地域デビュー”の橋渡しをしたのは、成犬で引き取った愛犬だった。男性は70歳を過ぎた今も愛犬の世話にいそしんでいる。
二子玉川駅(東京都世田谷区)から徒歩で10分ほどにある閑静な住宅街。そこに元保護犬のアンディ(推定13歳、雑種)が暮らす家がある。
出迎えてくれた飼い主の橘益夫さんは71歳。5年ほど前まで、大手広告会社で働いていた。
「今は同期と作った社団法人で、シニア層に働く生き甲斐を提供したり、OBを中小企業や自治体につなぐ仕事をしています。もっとも最近一番忙しいのは、愛犬の散歩ですが(笑)」
デニム姿で颯爽と階段を上がる橘さんについて2階にあがると、廊下のマットに茶色い犬が寝そべっていた。お気に入りの場なのだそうだ。
「数カ月前から足が悪くなって。加齢によるものですが、何とか維持しています」
今年はじめ、アンディは歩く時に後ろ足を地面にするようになった。動物病院に連れていくと、加齢による神経症状で、「歩けなくなる恐れがある」といわれ、数日間入院した。獣医師から「今後はあまり歩かせないように」とアドバイスされ、カートを用意したが、アンディは入るのを嫌がり、自分で歩きたがった。
「犬にもプライドがあって、カートに乗ったり、弱いところは見せたがらない。今は薬で痛みがおさまっているので、昔よりは短い距離ですが、日に2度の散歩を楽しんでいます」
夫婦2人で散歩してみたが
妻の昌子さんが外出から戻ると、アンディが尾を振った。
「この2、3年は僕が面倒をよく見ているけど、ママの方がいいんだよなあ」
「あら、ひがまないで(笑)」
アンディが橘家に来たのは6年前。その年、一家は先住の老犬を失くしていた。
昌子さんが、“家族と犬の歴史”を説明する。
「24年前、次女が小学6年生の時に犬を欲しがって、まず柴犬ぺルを飼って、その後、2匹の迷い犬ピピとポポを迎え、賑やかに暮らしてきました。3匹連れて2時間かけて駒沢公園に行ったり、河原で遊んだり。散歩から戻ると“12本の足”を拭いて。シャンプーの時なんて1人で半日かかり。でも楽しくてね……」
当時は橘さんの両親と同居をしながら子育てもしていたが、犬の存在が生活を豊かにしてくれたという。ぺルとピピはガンで、ポポは老衰で旅立った。最後のポポがいなくなった後は、いわれもない寂しさに襲われたという。
「主人と2人で散歩をしても、よその犬を目で追ってしまって……。そんな時に知人から保護団体(ミグノン)を紹介されて、ネットで保護犬たちを見るようになり、譲渡会に行きました」
そこで出会ったのが、アンディだった。福島で被災し、保護された犬だった。なかなかもらい手がなく、ボランティア宅に1年もいたという。
「その時、推定5、6歳ということでしたが、すぐに相性の良さとご縁を感じ、ミグノンのサポートのおかげもあり、うちに来てもらうことにしたんです」
しばらくすると、地域でも「橘さんちのワンちゃん」と知ってもらえた。「犬同士が仲良くなるだけでなく、おやつをもらったりしてアンディも近隣の人に慣れてきて。そうして町になじむと、散歩も楽しくなりました」
犬を通じ、町ぐるみでつきあい
昌子さんは、犬を飼う喜びのひとつは「地域とつながりを持つこと」だという。若い人から同世代、もっと上の人とも、知り合いになれるのがいいという。
「苗字がわからなくても、『○○ちゃんのママ』というふうに互いに覚える。いつだったか近所でアンディに似た犬が保護されたことがあって、『お宅のワンちゃん、逃げていませんか?』と尋ねて来てくれた人がいたんです。みんなが心配してくれたんだと嬉しくなりました。主人は『あの坂の上の犬じゃないか?』なんて、他の家に聞きにいったりもしました」
外で忙しく働いていた男性は定年後、“地域デビュー”がうまくできずに孤立することもあると聞く。橘さんの場合は、アンディが地域に入る橋渡しをしてくれたようだ。
「家内がベースを作ってくれていたので、地域に戻るのが確かに楽でした(笑)。実は家内が腰を痛め、昨年くらいから朝晩とも僕がアンディを散歩させるようになったんですが、『最近パパさんばかり散歩をしているけど、奥さんの具合が悪いのでしょうか?』と家内の身を案じてくれる人もいて。その時、地域のつながりを実感しましたよ」
橘さんはもともと世田谷区の出身。アンディの散歩をしている時に、幼馴染みに「久しぶりだな」と声をかけられることもあるという。
高齢になっても
アンディを迎え入れた時、橘さんは65歳を過ぎていた。行政や保護団体の一部は60歳以上の人には犬を譲渡しないと決めているところもあるが、「そうやって年齢だけで判断するのは残念ね」と昌子さんはしみじみいう。
「主人は私の声には耳が遠いのに(笑)、アンディの咳や気配には敏感で、研ぎ澄まされている感じ。私より年上の方で、盲導犬にならなかった犬を迎えて、『これから15年がんばる』と張り切っている方の話を聞いて、『そうなのよ、犬や猫たちペットの力はすごいのよ』と声をあげたくなりました」
もちろん命を預かる責任は重く、橘さん夫妻も万一何かあれば娘たちにサポートを頼むつもりだという。災害時の準備もしており、犬を連れてこのルートでグランドに避難……と決めて、家族やご近所にも告げている。
夕方になって、橘さんが「散歩に行くか?」と声をかけると、ずっと伏せていたアンディが嬉しそうに立ちあがった。パパのことをアンディは大好きだ。
「アンディ君は幸せですね」と声をかけると、橘さんは首を振った。
「僕らが、幸せを分けてもらっているんです」
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