寄り添い暮らした介助犬 そのペットロスから救ったのも犬だった
事故で車椅子生活となり、介助犬に支えられて生きてきた男性がいる。その介助犬が逝き、男性はペットロスに。その後、縁あって高齢の保護犬を引き取った。その新しい犬がもたらした変化とは。
(末尾に写真特集があります)
3月初旬、東京都大田区にある特定相談支援事業所「森の実相談室」を訪ねた。道に面したガラス戸の向こうに雑種の犬が見える。ドアを開けたとたん、ワン、と小さく吠えた。
「この子が、すなちゃんですよ」
電動車椅子に乗った相談室所長(医学博士)の今崎牧生さん(55歳)が、穏やかな表情で紹介してくれた。そばに男性の介護者もいる。
「すなちゃん、こっちにおいで。おすわり」
今崎さんが声をかけると、「すな」は車椅子の横に座り、今崎さんの顔を一途な瞳で見上げた。そして、おやつをひとつもらうと、嬉しそうに、ぱくっと食べた。
「12歳、妙齢の女の子だけど、若々しいでしょう?」
保護犬の「すな」が、今崎さんのもとに来たのは3年前だ。
「元々ご高齢のご夫婦が飼っていたのですが、どちらかが倒れて“やむなく”保健所に連れていかれようです。早いうちに母犬から離れたうえ、家からも出たことがなかったのか、他の犬と過ごすストレスがひどく、職員が帰る時は猫部屋で過ごしたらしいですよ」
そんな「すな」を民間のレスキューグループ「ドッグシェルター」が引き出し、知人を通して、今崎さんのところに預けたのだ。
「このくらいの中・大型犬サイズになると、預かりボランティアがあまりいないらしくて、それで預かることにしたんですよ。ちょうどその頃、僕は失意のどん底にいて」
介助犬ワカとの出会いと別れ
2014年4月、「すな」が家に来る半年前に、今崎さんは長年一緒に過ごした介助犬「ワカ」(オスのラブラドール・レトリーバー)を失っていた。
「『ワカ』は訓練を受けて2歳でうちに来て、14年半も間、僕を支えてくれた。ずっと一緒にいた相棒だったので、いなくなったら体の一部が失われたような感覚になりました……」
今崎さんが車椅子を利用するようになったのは、25年前、30歳の時だという。心療内科医として働いていたある日、交通事故に巻き込まれた。
「知り合いの車に乗っていたら、対向車が車線をはみだして突っ込んできた。事故自体は割と軽く、運転手も助手席の知人も軽傷だったのですが、後部座席の僕は居眠りをしていて受け身が取れなかった。気づいた時は病院にいました」
頸椎5番目を骨折。首から下が麻痺してほぼ動かなくなった。指先や足先にも知覚がない。
「僕は内科医だし、頸損(頸髄損傷)について詳しく知らず、どれほど重いかわからなかった。悲嘆にくれたという記憶はあまりなくて、これからどうするかという思いと、やるべき事でいっぱいでしたね」
障害者自立支援法がない時代。8カ月のリハビリを経て退院し、マンションの隣に住む妹に手伝ってもらいながら、いくつかの福祉制度を使って生活した。学位論文を書いたり学生指導をしたりして、2年ほど経ってからメンタル中心の診察に復帰したという。
介助犬「ワカ」と出会ったのは、事故から6年経った頃だった。
「身体障害者補助犬法もまだなく、正式な介助犬はいませんでしたが、厚労省のモデル事業として介助犬の話がきました」
ワカが来た翌年、人間総合科学大学の准教授となり、車に乗って一緒に通勤した。もともと犬が好きな今崎さんだが、ワカにどんどん惹かれたという。
ワカの適応力の高さに驚かされたのだ。例えば、痰が詰まって声が出づらかったり苦しい時、コマンドを出していないのに介助者を呼びにいったり 物を落とすと、手にぴったりのところに拾い上げてくれたりした。
「手動の車椅子が室内の狭いところにはさまった時に“カモン、バック”というと、後ろに回って立ち上がり、絶妙な力で車椅子を押してくれて、本当に賢かったなあ」
ワカが11歳を過ぎて介護犬をリタイアした後は、ペットとして傍に置き、介助者とともに晩年の面倒を見た。
「生きる意欲にあふれた犬で、身体が動かなくなっても立ち上がろうとして、最期の日もがっつり食べました。いよいよという時、介助者が僕のベッドに載せてくれて、一緒に看取りました」
ペットロスから救った新しい犬
だが、ワカの死後、がくっと、今崎さんは落ち込んでしまった。一人暮らしでもあり、寂しくて仕事先から家に帰るのが嫌になった。保護犬の預かりの話が舞い込んだ時も、悲しみは癒えていなかったが、「ワカに癒やされ助けられたので、犬へ恩返しをしよう」と思ったのだという。
そうして「すな」を迎えたが、“預かり”なので、最初はあえて距離を置いた。そんな今崎さんに「いい子だし、このまま家の犬にしたらどうですか」と勧めたのは介助者だった。
「彼らも犬がいなくなって寂しかったのか、犬のいない僕を見ていられなかったのか……。預かりから1か月半後に飼い犬として迎えることにしました」
「すな」は環境に慣れると同時に、身体の毛の色がどんどん濃くなったという。
名前を付けた介助者の鈴木康嗣さんがいう。
「来た時は白と灰色が混ざった砂のような色だったので『すな』にしたんですが、今は黒っぽい部分が多くなりました(笑)。犬もストレスが減ると白髪が治るのか、と驚きました」
今崎さんは現在、重度訪問介護という制度を使い、9人の介助者が交代で付き添う。「すな」は、長い時間を共に過ごす介助者と今崎さんとの間の“潤滑油”にもなるという。
「彼らが僕より『すな』が好きなのは、ほぼ間違いない(笑)。ここに来る相談者も『すなには会いたい』と言ってます」と今崎さんは冗談めかして笑う。
介護犬ワカとはもちろん違うが、それでもいい、そこがいい、というのだ。
「『すな』には未来の概念がない。常に今が一番ハッピー。ごはんを食べる時の満足そうな顔や、広いところで夢中で遊び回る姿を見ると、生き生きした生を感じ、嬉しくなる!」
今崎さんは数年前から知覚のなかった指先や足先に痛みを感じるようになったそうだが、純真な「すな」の存在が、状態の緩和にも少しつながっているのかもしれない。
「すな」にとっても、今崎さんとの出会いはかけがえのないものだっただろう。
「あとで散歩にいこう」
今崎さんの言葉に「すな」が目を輝かせる。見えない赤い糸が、そこにあるようだった。
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