妻に内緒で引き取った黒猫 猫エイズを乗り越えて
冬の夜に車にぶつかってきたエイズキャリアーの黒猫クロスケ(推定5、6歳)。運転していた女性の職場で保護されて2カ月、里親が見つかった。引き渡しは昨年3月14日のホワイトデー。クロスケにとって、そして迎える家族にとっても、その出会いはかけがえのない贈り物となった。
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その日は朝から、皆がそわそわしていた。
車にぶつかったクロスケを事務所で世話をしてきた藤堂薫さんはもちろん、クロスケも落ち着きがなかった。トリミングサロンでシャンプーしてもらうのは初めてだし、よそ行きのマフラーをつけるのも初めて。でもいちばん落ち着かなかったのは、里親になる会社員のたかしさん(48)だろう。
たかしさんは妻の智恵さん(46)、娘の響子さん(22)、息子の諒さん(20)の4人暮らし。ケアンテリア種の犬のシン(11、雄)とリッツ(9、雄)、猫の蜜(4、雌)も大切な家族だ。その家族にクロスケを仲間入りさせるために、たかしさんは藤堂さんの事務所へと向かっていた。
新たに猫を迎える。それだけでも胸が高鳴る出来事だが、たかしさんには違うドキドキがあった。
家族にまだ話していなかったのだ。
「前に仕事で接点のあった方からクロスケのことを聞いて、一度一人で会いに行ったことがあるんです。じつはうちの蜜もエイズキャリアーなので、行き場がないなら迎えたいなと僕の心の中では決めていたんです」
家族は大の動物好きだ。だがなんとなく言いにくかった。それは、娘の響子さんが蜜を近所で拾ってきた4年前、飼うことに猛反対したのが、たかしさん自身だったからだ。
「シンが心臓病だったので、猫をあとから飼って負担になったらどうするって怒ったんです。でも結局はすっかり、僕が蜜にハマッてしまって(笑い)」
だから「猫がまた増える」と言ったら、家族に驚かれるのは目に見えている。それならいっそ、話すより先に連れて帰ろうと思ったのだ。
たかしさんは意を決し、藤堂さんの事務所のドアを開けた。
クロスケはこの2カ月、事務所で入っていたお気に入りのキャリーバッグにおとなしく収まっていた。タクシーで一緒にたかしさんの家へ向かい、たかしさんは途中で花屋に寄ってホワイトデーの花束を買った。
夕刻、帰宅したたかしさんは、「ちょっと来て」と智恵さんをキッチンの前に呼んだ。そして、買ったばかりの大きな花束をはいっと渡した。
「この前はチョコをありがとう、お返しだよ」
「わあ奇麗なお花、ありがとう!」
たかしさん夫婦にとって、これは特別なことではない。結婚して20年以上経っても仲がよく、毎年バレンタインデーとホワイトデーに贈り物をしあっていた。
だが今年はちょっと違った。たかしさんの顔は神妙だ。
「あの……もう一生しませんから」
智恵さんは目を丸くした。
「え、なんのこと?」
「だからもう今後はしないので、『絶対に許す』と言ってください」
「ちょっと待って、何を許すの? 花とかいいから、ちゃんと言って」
「ジャジャーーン」
次の瞬間、たかしさんは後ろに置いていたキャリーバッグを差し出した。
「えーっ、なにこれ。ま、まっ黒でよく見えないけど、猫?」
これがクロスケと智恵さんとの出会いだった。
ーーこの子、エイズキャリアーでね、もう大きいし、殺処分になるおそれがあるんだよ……
たかしさんは切々と妻に訴えた。藤堂さんからもそう聞いていた。
ーーシェルターではまず子猫から先に里親が決まるし、そもそも、大人のエイズ猫だとシェルターにも引き取ってもらえないかもしれないんだ……
その話を聞いて、智恵さんはゆっくりうなずいた。
「蜜もお外に捨てられていて、赤ちゃんの時からエイズ陽性だったものね。だから鼻水や涙は少し出るけれど、でもすくすく育ってきた。エイズだからって生きる道を失うなんて可哀想だわ」
先住猫か迎える猫か、どちらかがエイズ陰性なら陽性の猫から感染する危険性があるが、お互いがキャリアーならその心配をしなくていい。さらに、智恵さんは愛犬のことを考えた。最初に飼ったシンは先天性の心臓病だったが、後からリッツを迎えたら、元気になったのだ。
「リッツが来たら、競うようにシンがごはんを食べるようになった。蜜もこの子が来たら、もっとたくさんごはんを食べるかもね。人間のきょうだいだってそうよね」
クロスケが家族になった瞬間だった。
だが、ことはそう簡単ではなかった。クロスケは事故で保護されるまで、長く外で暮らしていた猫だ。性格もシャイだった。
犬のシン、リッツ、そして三毛猫の蜜が興味津々、キャリーバッグに近づいてきた。たかしさんがキャリーバッグのふたを開けたとたん、クロスケは勢いよく飛び出した。リビング、キッチン、カーテンの上と、部屋中を駆け回る。恐怖の極致だったのだろう。こんにちはの代わりに、おしっこをジャンジャンひっかけながら。
その後、娘の響子さん、息子の諒さんとも対面し、響子さんが「石榴(ザクロ)」という名をつけた。蜜の時は、甘くて可愛いイメージと響きが気に入って命名したが、今度も日本的で、果物の名がいいと思ったのだという。
「でもね、もうひとつ、意味があるのよ」と、智恵さんが笑う。
「石榴はTHEクロ! 黒猫だからね」
石榴の新居は、3LDKの一軒家。一階にリビングダイニンング、2階に夫婦の寝室、響子さんの部屋と諒さんの部屋。ほかの3匹はリビングに置いたハウスで眠る。石榴は最初の1週間ほどは、響子さんのベッドの下に置いたキャリーバッグの中で過ごした。家族が寝静まると、そっと起きだしてごはんを食べに階下に降りたという。
とにかく怖がりで、すぐに隠れる。家族が近づくとカーテンレールにのぼり、下ろそうとするとガーッと引っかき、おしっこをかける。トイレはちゃんと用意してあるのに。石榴は響子さんのシーツや布団にもお漏らしをした。
「このまま慣れないと大変なことになっちゃうなあ」とたかしさんは心配しながら、石榴がおしっこをかけたシーツやマットレスや布団やカーテンを、せっせと洗ったという。結婚以来すべて家事は妻任せで、洗濯なんて人生で初めて。家族にも驚かれた。でもその献身が通じたのか、家に来て2週間後、石榴は初めてたかしさんのひざに乗った。
その後、少しずつ落ち着いていき、1カ月後にはリビングや台所の椅子にちょこんと座ったり、床でくつろいだりするようになった。そのころには粗相もまったくなくなった。夜はソファや床など、リビングの好きな場所で自由に眠るようになった。
あれから1年が経つ。
今年3月初め、たかしさんの家を訪ねると、シンくん、リッツくんがはしゃぎ、蜜ちゃんがおすまし顔で歩くのを横目に、どっかり床に座る石榴くんがいた。
「無愛想でしょ(笑い)。でもこれが石榴です。ゴーイング・マイウェー」
そう、たかしさんが目を細めていうと、智恵さんも優しいまなざしを石榴に向けて言う。
「石榴はちょっと焼きもちやきの男ね(笑い)。私が蜜の爪切りをしたり、シンのトリミングをしたりしていると、つかず離れずの場所までやって来てパタパタ尻尾を私にぶつけるのよ」
蜜と石榴の距離も「いい感じ」という。以前は、カーテンのところにいる蜜に石榴が近づくと、蜜はすーっと離れたが、今は窓辺で一緒に日なたぼっこをする仲だとか。そして智恵さんの予想通り、蜜は前よりよく食べるようになったという。
「不思議ね、でもこれも、エイズが取り持つ縁ね」
交通事故もエイズキャリアーも乗り越えて、「闇夜のクロスケ」は、明るい一家の石榴に生まれ変わった。
幸福の女神は、確かにほほ笑んだのだ。
(藤村かおり)
(前編はこちら)
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