実習のお手伝いをするクッキー。波戸さん(左)が保定し、もう1人が体温を測定する(波戸さん提供)
実習のお手伝いをするクッキー。波戸さん(左)が保定し、もう1人が体温を測定する(波戸さん提供)

小柄で食欲のなかった1匹の学内犬 学生生活をともにし動物看護学生を支える存在に

 専門学校に入学した波戸(はと)彩乃さんは、1匹の学内犬に心ひかれます。名前は「クッキー」。その交流は、学校を卒業して離れ離れになってからも途絶えることなく、波戸さんの人生を支えてゆきます。

(末尾に写真特集があります)

初めてのお世話当番に緊張

 大阪府吹田市内の動物病院で、愛玩動物看護師として働く波戸彩乃さん。動物看護職を目指し専門学校に入学した時、1匹の犬に目が吸い寄せられた。

 犬の名前は「クッキー」。メスのトイ・プードルだ。

 この学校では「学内犬」を飼育していた。動物看護業務の練習相手を務めてくれる学内犬のおかげで、右も左もわからない動物看護職のたまごたちは、プロとしてのスキルを身につけることができる。

 6匹いた学内犬の中でも、クッキーはまだ生後8カ月ほどと幼いこともあり小柄だった。

「かわいいなあ」

 じつはクッキーはこの春、波戸さんと一緒に入学してきた「1年生」だった。だが環境が変わったストレスからか、ごはんをほとんど食べないという。

「早く慣れてほしいな」

 以来クッキーは、波戸さんにとって気になる存在になった。

 学内犬は学生たちが当番制でお世話をするのが決まりだ。波戸さんの1回目のお世話当番の日。お相手は偶然にもクッキーだった。先輩とペアを組み、散歩へ連れて行く。

「この人、知らんなー」

 心持ち不安げな顔をされた。波戸さんだって初めてのお世話で緊張している。

 続く健康チェックでは、呼吸数のカウントにも挑戦した。しかし、こちらも初めての体験のうえ、プードルは被毛がフワフワしているため、胸の動きがわかりづらく苦戦した。

 だが実際にふれあったことで、クッキーファンまっしぐら。その後のお世話当番では、積極的にクッキーを希望した。

「試験勉強で疲れたり、ちょっと癒やしがほしい時にも、犬舎によく遊びに行っていましたね」

 さて、食欲がなくまわりを心配させたクッキーだが、気がつけばよく食べるように。元来人が好きな性格も手伝って、波戸さんに負けず、元気に学生生活を送っているようだった。

学内犬とふれあう波戸さん(右)。犬に囲まれてうれしそう!(波戸さん提供)

クッキーが家にやって来る!

 学校が長期休暇に入ると、学内犬を学生が自宅で預かる「ホームステイ」と呼ばれる制度がある。

 そして2年生の休暇。ついにクッキーが波戸さんの家にやって来た! 大好きなクッキーを、24時間ひとり占めできる貴重な時間だ。

 クッキーは、思いのほかリラックスして過ごしてくれた。

「学校ではもっとテンションが高いのですが、うちではダラーッと寝ていたり。散歩では、いつもと違うところに出かけて楽しそうな姿を見せてくれました」

 夜になると布団を敷いて、一緒に眠った。

 学校では誤食の危険を防ぐため、あまりフカフカの敷物は置いていない。そのため布団の心地よさは格別だったのだろう。気持ちよさそうに寝る姿が印象的だった。

 あっという間に休みは終わり、クッキーはまた学校に戻る。最後の日は寂しさが込み上げた。

「でもそれ以来、犬舎に行くと、そばに来てくれることが増えました。100人ほどいるクッキーとかかわる学生の中で、『好きな人ランキング』の上位に行けたんじゃないかな(笑)」

ホームステイに来たクッキー。子犬の時、ペットショップで売れ残っていたところを、学校に引き取られ学内犬になった(波戸さん提供)

思いがけず母校の講師になる

 クッキーとともに学んだ3年間を終え、波戸さんは学校を卒業。最初に就職した動物病院で働き始めた。

 学内犬は5~6歳ぐらいになると引退し、譲渡先を探して普通の家庭犬になる。「いつかはクッキーを引き取りたい」と思うものの、まだまだ学内犬として活躍する年齢のため、願いはかなわない。そこで卒業してからも、月に1回ほどのペースでクッキーに会いに行った。

「当時は社会人1年目で、仕事を覚えるのも大変な毎日。でもクッキーと会うと、楽しかった学生時代を思い出して、『明日からもまた頑張ろう』って思えたんです」

 離れてはいても、動物看護職人生の第一歩を支えてくれたのもクッキーだった。

 そんな時、ある情報を耳にする。学校の方針により学内犬制度が廃止され、現在の学内犬たちはいっせいに引退するというのだ。すかさず波戸さん、クッキーの譲渡先に名乗り出た。じつはそれまで足しげく訪ねていたのは、いつかクッキーの譲渡先探しが始まった時、声をかけてもらえるようにとの狙いもあった。

 晴れて家族になったクッキーが、家に来た日。

「布団を敷いたら、真っ先に来てくれました(笑)」

 ホームステイでのおもてなしを、ちゃんと覚えていてくれたクッキーだった。

波戸さんの現在の家族。左からオレオ、クッキー、コロン(波戸さん提供)

 数年前、母校でイベントがあった。

「まだクッキーのことを覚えている学生さんもいるし、クッキーを連れて、ちょっと見に行ってみようかな」

 なつかしい学校の門をくぐる。すると恩師に再会し、「講師をしてみませんか?」と誘われた。それを機に、動物病院勤務と並行して、母校の外部講師として働き始める。思いがけない人生の転機をくれたのもクッキーだった。

 学内犬がいなくなった今は、実習で必要になると、ブリーダーなどから犬を貸してもらうシステムになった。波戸さんの時のように、学生と学内犬が学校生活をともにしながらたがいに成長する。そんな光景はもう見られない。

 だからというわけではないのだが、最近ではお世話をさぼる学生もいると聞く。

「卒業生としてちょっと寂しいですね。『動物に協力してもらっている』という気持ちを育むことで、のちに現場に出た際の、動物の扱い方が変わってくると思うから」

 ある時、当番の学生たちを見ていると、犬をお世話する時と、かわいがる時のメリハリが弱く、お世話の時間がいたずらに長引いていると感じた。

「そんなふうだと、現場に出た時に苦労するし、犬にも負担がかかってしまいますよね」

 思いを伝えると、学生たちはハッとしたようで、それ以後は、犬のことを考えながら動いてくれるようになったという。

トレーニングの実習。右から2匹目がクッキー。犬も人も真剣(波戸さん提供)

学生の気持ちがわからない

「講師として学生とかかわる中で、学生の気持ちを見失いそうになる時がある」と波戸さんは打ち明ける。

 実習の際、「犬にずっと同じポーズをとらせるのはかわいそう」と口にする学生がいた。だが教える側としては、十分に練習を積んでから現場に出てもらわないと困る。

「モヤモヤした気持ちで帰宅して、クッキーを見たら、自分も学生の時、同じように感じたことを思い出したんです。『その気持ちもわかるよな』と思えたことで、現在の自分と学生の気持ちにうまく折り合いをつけ、『だからこそ、動物の負担を最小限に、早く的確にできるよう、今しっかり練習しておかないといけないんだよ』と伝えることができました」

 クッキーは、学生だった当時を思い出させてくれる貴重な存在。そのことが教育に携わる今、どれほど助けになっているかわからない。

 最近はこんなことを考えている。

「動物看護従事者の離職率は高く、学生の中にも不安を抱える人が多いと感じます。そこでこの仕事に携わる人たちが、悩みを共有したり、励まし合える場をインターネット上に作ろうと準備中です。私がここまでやれたのはクッキーがいて、いつも元気づけてくれたから。クッキーにしてもらったことを、この業界にお返しできたらいいな」

 ともに学生生活を送った同級生で、動物看護職人生を支えてくれる恩人で、大切な家族。クッキーはこれからも、波戸さんのかけがえのないパートナーであり続ける。

(次回は5月23日に公開予定です)

【前の回】脚はすでに冷たくなり…交通事故で重傷の犬が病院に 夜通しの看護で命を守る

保田明恵
ライター。動物と人の間に生まれる物語に関心がある。動物看護のエピソードを聞き集めるのが目標。著書に『動物の看護師さん』『山男と仙人猫』、執筆協力に動物看護専門月刊誌『動物看護』『専門医に学ぶ長生き猫ダイエット』など。

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この連載について
動物の看護師さん、とっておきの話
動物の看護師さんは、犬や猫、そして飼い主さんと日々向き合っています。そんな動物の看護師さんの心に残る、とっておきの話をご紹介します。
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