コミュニティハウスに「誰でもきていいよ」と言ったら しっぽを切られた猫が来た
富山県高岡市の国宝である瑞龍寺に近い「コミュニティハウスひとのま」は、一軒家を地域に開放した交流スペース。不登校の児童や生徒、ひきこもりの人、刑務所を出所したばかりの人などが来て、自由に過ごしている。「誰でもどうぞ」と言っていたら、猫もやって来た。
学習塾が「ごちゃまぜの居場所」に
2011年に宮田隼さん(40)は、高岡市内で学習塾を始めた。すると「子どもだけではなく、引きこもっている人を預かってほしい」という相談が相次ぎ、引き受けていたら塾には子どもと、そんな大人が半々になった。そこで「日中の居場所を」との思いから、現在の場所にある民家を借りた。
報道などによって「ひとのま」が広く認知されると、宮田さんは不登校や引きこもりに携わる関係者の勉強会などに招かれるようになり、行政が主催する対策委員会などにも名を連ねるようになった。「刑務所を出所したばかりの元受刑者など、身寄りのない人が住まいを見つけるまでの居場所を提供してほしい」との依頼もある。
子どもたちが「猫、ここで飼えばいいじゃん」
「誰でも来ていいよ」という「ひとのま」に2021年11月、傷ついた猫(オス/推定1歳)がやって来た。
「近所の人がガリガリの猫を連れてきて、『自分は飼えないけれど、どこにも相談できず、ひとのまに連れてきました』と言いました。いろんな人が来て、いろんな相談を受けてきたけれど、『猫まで来た』と思いました」(宮田さん)
猫は片側のひげがなく、尻尾の先も切り取られたような新しい傷があった。
「探しても飼い主が見つからなかったら、どうする?」「保健所に連絡かな……」といった宮田さんと住民のやりとりを聞いていた子どもたちが口々に「ここで飼えばいいじゃん」と言った。
宮田さんは動物保護団体に連絡することも考えたが、つい先日、地元の保護団体の人から「最近、持ち込まれる動物が多くて運営が厳しい」という声を聞いたばかりだった。しばらく預かることにして傷の治療のため、猫を動物病院に連れていった。
獣医からは「ひげが、すっぱり切られているところを見ると、尻尾も人間が刃物で切ったのだろう」と言われた。
人に傷つけられたから今でも抱っこが苦手
子どもたちの発案で、あっという間に名前が決まった。その名も「立川志らす(しらす)」。落語家の「立川志らく」をもじったらしい。人の手で痛めつけられた過去を背負っている志らすの境遇からか、募金箱を置くと、現金やえさ、おやつ、ペット用品などが続々と集まった。
志らすの尻尾の傷の経過は良好で、「ひとのま」に来て1カ月後、獣医は「最初に来た時より安心した顔になっている気がする」と言った。最初は誰に対しても「シャー」と威嚇していたが、1年ですっかり穏やかな顔になった。今では、わがもの顔で利用者の間を動き回っている。
大型テレビの横の押し入れの下段スペースに、志らすの寝床とトイレが置いてある。子どもらと遊び、疲れると押し入れの上段に上がって全体を見渡している。「しばらく、ほっといて」との意思表示だ。
外に出さないようにしているが、脱走することも。しかし2時間ぐらいで帰ってくる。帰宅するとトイレに直行。糞尿(ふんにょう)の始末などで、付近住民に迷惑をかけることはない。帰りが遅ければ、子ども達は心配して近所を探し回る。好き嫌いせず何でも食べ、丸々と太っていった。
しかし、志らすは今でも抱っこされることが苦手だ。宮田さんは「人の手で傷つけられたことを忘れていないのだと思う」と話す。
適度な距離を取ってうまく付き合う
志らすを受け入れるにあたり、当初は賛否両論あった。「やったー」と喜ぶ子どもがいれば、「嫌だ」との声も。猫アレルギーの子どもがいるので配慮も必要だ。かたくなに「嫌だ」と言う子どもと宮田さんは、じっくり対話を続けた。
嫌がる子に「じゃあどうする? 置いてあげないと行く場所がなくなるよ。よっぽど嫌なら、自分から距離を取っておけばいい」と話した。遠巻きに見ていた子どもは、しばらくすると慣れていき、猫がそばに寄っても嫌がらず、適度な距離を取るようになった。
「自分が嫌いだから『あっちへ行け』はいけませんよね。人間関係だって一緒。苦手でも、適度な距離を取ってうまく付き合うようにすればいい。それが生きやすさにつながると思うのです。嫌いな人を好きになれとは言わないけれど、離れていればお互いに傷つきません。最初は猫を見て逃げ回っていたのに『猫、かわいいね』と言うようになった子もいます」
「ひとのま」が開いている月、水、金曜日に志らすは利用者と触れ合い、ほかの日は宮田さん宅で過ごす。学校が休みの時期は利用者が増え、猫アレルギーの子どももいるので、宮田さん宅にいることもある。「志らすに会いたい」と来る子も少なくないそうだ。
困難を抱えた子どもの「第三の居場所」
スタッフの男性2人は、志らすが脱走しそうになったら捕まえる役割を担う。彼らにも不登校の経験があり、かつては「ひとのま」の利用者だった。
宮田さんは「ひとのま」を訪れる不登校の児童や生徒に「今、ちょっと休憩しよう。学校に行くことを、どうしたらいいかしばらく考えたらいい。とりあえず、ここで自分をさらけ出して自由に過ごせばいい。不登校も引きこもりも恥ずかしいことじゃないよ。まず、元気になるところから始めよう」と声をかける。現在はスタッフとなった2人にも、かつてそのように接した。
また、宮田さん自身は子どものころ、家庭内での暴力にさらされたことがあった。「ひとのま」は、「学校に行けない」「家にいられない」などの困難を抱えた子どものための「第三の居場所」としての役割を果たしている。大人も子どもも、さまざまな人(猫も)と出会い、適度な距離を保ってコミュニケーションする試行錯誤の場となっている。
元受刑者と子どもたちが笑いながらお菓子を食べている横で、志らすがちょこんと座って顔を洗っていた。宮田さんに「(受刑者と子どもの交流に)大丈夫ですか? などと心配する保護者はいませんか」と質問してみた。
「ひとのまがどんな場所かは、利用する子どもの保護者もよくわかっています。子どもが元受刑者の話を聞き、幼いころにつらい思いをしたり、だまされて罪を犯したりした状況を知り『大変だったんだなあ』と共感することもあります。それは互いにいい経験です。そういったことも含めて、利用者と保護者は『ひとのまで過ごす意味』を理解しているのです」
利用者が増え、活動を支援する力が集まったことで、徒歩10分以内のエリアに民家を活用した新たな居場所が2つ設けられた。「ひとのま」の拡充には、志らすの貢献も大きいに違いない。
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