子猫を病気で亡くし悲しみにくれる家族 半年後、次男が「また猫を飼いたい」と言った
一家が迎えた猫は、とある町で保護された愛らしい女の子だった。だが、家じゅうの愛を集めたその子は、FIP(猫伝染性腹膜炎)を発症して、あっけなく目の前からいなくなってしまう。家の中から笑い声が消え、会話がめっきりと減り、日々が色あせた。そんなある日、次男が口にしたのは「また猫を飼いたい」という願い。猫を失う深い悲しみを知った一家が、新しい猫を迎えるまでの葛藤を、前編、後編の2回に分けてつづります。
初対面で「やっと会えたね」
友香さんは、夫と、高校生、中学生の息子2人と共に神奈川県で暮らしている。一家が猫を迎えることにしたのは、去年の夏が始まる前だった。譲渡先募集中の猫たちの写真を見て、「この子がいい」と夫がひとめぼれした子のいる保護猫カフェ「鎌倉ねこの間」に会いに行った。寝ていたその子はパチッと目を開けて、まだキトンブルーの薄水色の瞳で友香さんの顔をじっと見つめた。そして、可愛い声で「にゃー」と鳴いた。
「そのとき、こみあげてきたのは『詩(うた)、やっと会えたね』といういとおしさでした。
写真で見たときから、その子を『詩』と名付けていたんです」と、友香さんは振り返る。まさに運命を感じる出会いだった。
詩は、生後3カ月くらいのキジ猫で、当時何匹かいた新入り子猫たちの中で一番おとなしい性格だった。神奈川県内のとある町でノラ母さんから生まれ、保護されてやってきた子である。
鎌倉ねこの間では、猫エイズや白血病など様々な検査をクリアした猫を譲渡対象として、信頼できる動物病院経由で受け入れている。FIPもけっして出さないよう、猫コロナウイルス抗体価100未満の猫だけをカフェに入れてきた。詩ももちろんそうだった。
一家に迎えられた詩が一番なついたのは、反抗期まっただなかの長男だった。他の誰にもしないお出迎えを長男にだけはして、「お兄ちゃん、お兄ちゃん」とばかりついて回る。夜もいっしょに眠った。
「お月さまのようにおとなしく穏やかな子でした」と友香さんの言う詩は、一家の愛情を一身に浴びて育っていった。
やってきて5カ月たった、昨年末のこと。元気だった詩が食欲を急になくし、暗い所にうずくまっている。すぐに獣医さんに連れて行くと「もしかしたら、FIPかもしれない」と、大きな病院を紹介された。友香さんの頭は真っ白になった。
そこでは最初は「膵炎(すいえん)」の診断だったが、容体はよくならない。さらなる検査の結果は恐れていた「FIP」だった。鎌倉ねこの間では、詩の同期以前の猫たちはみな陰性を確認していることから、この時期に検査をクリアしてねこの間入りした後、猫コロナウイルス抗体価が急激に上がってしまった猫がいたと考えられる。
猫コロナウイルス自体は、もともと多くの猫たちが持っているものである。それが、強毒ウイルスに突然変異したときにFIPとなり、子猫はあっという間に命を奪われてしまう。肉芽腫などのできる「ドライタイプ」と腹水がたまる「ウェットタイプ」の2種類があって、詩の場合は、より厳しいドライ・ウェットの複合型であるとの診断だった。
FIPは診断もむつかしく、発症を防ぐすべも治療もいまだ確立されていない。国内未承認の輸入薬を使っての治療費は高額となる。複合型ともなると非常に高額で、治療を開始しても助かる確率は低い。
「夫と何度も何度も話し合いました。治療費も捻出できる額ではなく、通院も服薬も嫌がって必死に逃げ回る詩の嫌がることはもうせず、家で看取(みと)ろうと決めました」
そう伝えると、先生は静かに言った。「それでいいと思います」
その日から、一家は、こぞって早く帰宅しては、詩に話しかけ、詩をなでた。日に日に容体が悪化していく詩に一番長く接することになる友香さんは、熱が下がったり上がったりに一喜一憂する乱高下の日々から、その日の詩をそのまま受け入れ、愛を伝え続けることに決める。そうすることで、覚悟のようなものが少しずつ生まれてきた。
発病してひと月。増えてきていたけいれんの発作が、この日は長く止まらない。反抗期真っ最中で感情をあまり見せることのなかった長男も、自分のベッドに横たわる詩のそばで号泣し始めた。友香さんはひたすら息子たちの背中や頭をなで続けた。感情があふれ出す息子たちに、それしかしてやれることはなかったのだ。
しばらくして、次男がぼうぜんとつぶやいた。「詩が動かなくなった」
その時、友香さんは、確かに聞いた。詩がいつものように、ゴロゴロゴロとのどを鳴らす音を。
「短い猫生で使うゴロゴロを最後に使い切って、愛を返してくれたんだな、と思いました」
家族全員で、詩の毛をきれいにとかし、爪を切ってやった。詩は兄弟に挟まれて、最後のひと晩を過ごした。
お骨になった詩を、友香さん夫妻は、古巣の鎌倉ねこの間に連れて行った。詩の面倒を見てくれたボス猫のトラが、お骨の周りをぐるぐると回るのを見て、夫が泣き出す。その泣き顔を、同じく詩の面倒を見てくれていたシマが、慰めるようにじっと見つめる。
帰るときは、新人猫たちから、ふだんは姿を見せない猫店長のマルまで総出で見送ってくれた。
「ああ、こんなあたたかい場所で、保護されてからの幼い詩は過ごしたんだわ。きっと楽しい思い出をあれこれ持って、詩は空へ帰っていった」と、友香さんは心が少し鎮められる気がした。
ふと、こんな思いがよぎる瞬間もあった。どんな無理をしてでも、どんなに詩が嫌がっても、治療を試みてやるべきではなかったのではないか、と。だが、あれほど治療を全拒否していた詩が、治療を止めてからは家で安心してくつろぐ姿を見ることができたので、大きな後悔はなかった。詩の看病中は、しっかりしなくちゃと気が張り詰めていたので、自分の悲しみは後回しになっていた。詩がもういない今は、ただただ悲しかった。
「食べられない、眠れない、外出ができない日々が続きました。あんなに楽しみだったよその猫のインスタ画像を見ても、可愛いという感情がわかない。詩の写真を眺めては泣いてばかり。苦しむ私を見て、また猫を迎えればと言ってくれる人もいたし、何も言わずにそっとしてくれた人もいました」
詩を中心に笑い合っていた一家から、笑顔が消え、会話がめっきり少なくなった。猫の話題は誰も口にしない。
そんなある日、友香さんは夢を見た。道ばたで米粒大の詩を見つけ、なくさないように大事に手のひらに包んで持ち帰る。そっと手のひらを開けると、からっぽだった。ふと見ると、いつも詩が寝ていたベッドに、詩と灰色の犬がぎゅうぎゅうにくっついて寝ている。「ああ、お友だちができたのね。詩が『あたし元気よ』って伝えるために連れてきてくれたのかな」と思って、目が覚めた。
心にべったりと張りついた悲しみの薄紙が少しずつ少しずつはがれていき、尖がって痛かった悲しみの角が少しずつ少しずつ丸くなっていくのを、友香さんは感じていた。外出もできるようになり、うらやましかったよその猫の投稿にも「いいね」が押せるようになった。
「息子たちはどうなんだろう」と思ったが、聞けずにいた。
こうして、「詩のいない日常」をなんとか友香さんが受け入れ始めたころ、次男が言った。
「また猫が飼いたい……」
詩がいなくなって半年が過ぎようとしていた。
【この話のつづきはこちら】愛猫を亡くした半年後、子猫の仲良し兄弟を迎えた 家族は3匹と共に生きていく
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