漱石「猫」のパロディー「犬である」、女性作家が発表

 明治40(1907)年5月18日、漱石は本郷区(現文京区)西片町に住む大塚保治・楠緒子(くすおこ)邸で開かれた、独仏留学の途につく美学専攻の深田康算(やすかず)の送別会に招待された。大塚は漱石の親友で、その妻・楠緒子=写真=はのち漱石から小説の指導を受ける。漱石を「猫の君」と呼び、その日の記録を残した橘糸重子(いとえこ)も同席した。糸重子はピアニストで東京音楽学校(東京芸術大学の一前身)教授。「心の花」同人で楠緒子と親しかった。楠緒子は「山の芋をほんとにお盗(と)られになったのですか」と切り出し、一時泥棒事件が話題になる。席上、漱石は山の芋の話をフィクションであると語っている。彼女はすでに「猫」のパロディー「犬である」という短編を発表していた。

大塚楠緒子=昭和4年「現代短歌集」より
大塚楠緒子=昭和4年「現代短歌集」より

「きくならく此頃(このごろ)都下に吾輩は猫であると題を置いて一疋(いっぴき)の猫が切(しき)りに気焰(きえん)を吐いてゐるといふが、……ずつと見識ばかり高い藤原氏の猫の血族が文明化したのではあるまいか、僕、僕は猫ではない犬である、……僕には彼(か)の猫の如き意見も無ければ気焰もない」(「婦人画報」38年8月号)

 楠緒子は、言葉を十分に解さず、臆病でいたずらばかりしている駄犬の「まる」を擁護する。「千駄木の先生」などは、猫の死に際して冷淡な扱いをするに違いないが、「畜犬届」が区役所に出されて「僕の生存は政府に認められてゐる」から、警察に死亡届を出す必要があると強調される。飼育動物への命名とその生死が話題にされ、捨て猫だった無名の〈吾輩〉との差異化が図られる。しかし、鑑札をもらい、管理社会に生きる「まる」は〈吾輩〉の自由と反権力とは無縁である。

(写真は本文と関係ありません)
(写真は本文と関係ありません)

 語り手の「僕」が「千駄木の猫」に懐(いだ)くコンプレックスは、作家漱石の活躍に対する驚きの暗喩ではなかったか。楠緒子の皮肉に反し、漱石は明治41年9月13日夜、漱石山房で死んだモデルの猫を手厚く葬り、門下生には死亡通知を送った。楠緒子は、里子や養子に出された漱石の境遇が〈吾輩〉に投影されていることに気づいていたであろうか。

(石崎等・立教大名誉教授)

朝日新聞
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