音をうしなったボブ
大村家のボブくん、7歳。彼は両耳の鼓膜がありません。
これまで耳はおろか、体調のトラブルはほとんどありませんでした。
月1回病院に行き、1年に2回は血液検査をして、こまめに耳、目、口の中をチェックしてきたボブくん。
耳も肌もいつもきれいだねって言われていたボブくん。
そんなボブくんに何が起きたのか。年の瀬の昨年12月。
悪夢のような現実が、ボブくんと大村家に突如として襲いかかりました。
文/小林みちたか 撮影/中村治 協力/臼井犬猫病院
12月13日 土曜日
夕方4時。大好きな「ばあばんち、いく?」に反応なし。めずらしい。でも、実家では元気いっぱい。お刺身もたくさん食べる。3時間後、私が帰宅しても気づかない。具合が悪いのかな? 夜ごはんをレンジでチンしてもこない。食欲はある。なにかおかしい……。
14日 日曜日
おとなしい。散歩もごはんも催促が控え目。今日も実家でお留守番。実家ではすごい元気にみんなに飛びかかる。でも夜のお迎えは、寝ていて気づかない。この時、「もしかしてボブは耳が聞こえてないのかも」と疑う。ボブに話しかけてみる。私の言葉に首をかしげて反応を示す。でも何か不安。口を見ているのではないか? ボブにいろいろと実験。インターホン、おやつの音、話しかける。ほぼ反応がない。
明日、地元の病院へ行くことにする。
15日 月曜日
午前中、夫が絨毯に落ちていたクッキーのような塊を発見。ボブの毛がついている。おそらく耳からの異物。離れてもわかるくらい左耳が臭い。昨日はしなかったのに。午後病院へ。耳は見える範囲でひどい汚れはない。奥を診ようとするとボブが「きゃーっ」と痛がった。耳の奥を調べるため、3日後にCT検査を予約する。
この時点で私たちの予想は、あのクッキーのような耳垢の塊が鼓膜に張り付いて、難聴になっているのではないかと思った。耳垢をとらないと意味がない。CTで検査してどうするのか。もし一刻を争う状態だったら……。
16日 火曜日
病院に電話。診察内容を詳しく聞くと、「麻酔して耳鏡でみる。何かあれば洗浄する。麻酔するのでチャンスだから奥を知るためにCT検査を行なう」とのこと。手持ちの耳鏡では奥の耳垢までは見えないだろう。CTも検査だけなら、時間ばかりが過ぎてしまう。夫はその場でCTの中止を申し出る。
耳の奥まで見える最新のビデオ耳内視鏡(ビデオオトスコープ)がある病院をとにかく調べる。耳に強い宇都宮の「臼井犬猫病院」を見つける。ただ、「ビデオオトスコープの検査は最短で1月4日」とのこと。でも、諦めずに粘る。もう懇願。数時間後、「臼井犬猫病院」から明日なら診られると連絡が入る。
ボブは大雪のため散歩にも行かず、元気がない。
17日 水曜日
宮城を朝7時に出て宇都宮へ。大雪で片道4時間。11時に病院に着く。担当の臼井玲子先生と面談し、11時45分にボブを預ける。
13時から洗浄立ち会い。全身麻酔で眠っているボブ。ビデオオトスコープ開始。
右耳から。手前はきれい。ビデオオトスコープでないと見えない奥から分泌物や毛。皮膚が腫れ過ぎていて鼓膜が見えない……。左耳。奥は膿みがタプタプ。こちらも腫れ過ぎて鼓膜が見えない。臼井先生に叱られる。
「こんなになったのは、あなたたちのせいなのよ」
返す言葉もない。
〈臼井玲子医師のコメント〉
「ボブくんは来院の段階ですでに左への斜頸が見られました。耳の中は、腫れ上がり膿みが充満して、もはや奥まで見えないほど深刻な状態。ビデオオトスコープ(内視鏡)検査で鼓膜はなく、中耳炎・内耳炎の疑いがありました。炎症のため鼓膜が損傷していたのです。すぐにCT・MRIの検査をすすめました。厳しいこともいいましたが、大村さんは飼い主としては、しっかり世話をしてきたと思います。病院にも定期的に通い、アレルギーもなく皮膚もとてもきれいでした。それだけ心を込めて一生懸命だったからこそ気の毒に思います。ただボブくんは、痛くても言葉で伝えることはできません。フレンチブルドッグは我慢強いため、痛みのサインを見逃しやすいのです。わずかなサインを感じ取ることは飼い主の責任でもあるのです」
カテーテルで丁寧に何度も両耳を洗浄。毛や分泌物、膿みを摘出。耳の汚れは検査へ。結果は1週間後。
処置のあと臼井先生と話す。どこまで進行しているかを診るためにCT、MRIを勧められる。最新の機械がいいからと埼玉県川口市の動物検診センターキャミックを紹介される。地元の病院は今週は予約でいっぱい。キャミックは運良く明日午前中ならできる。このまま東京へ行くことにする。
先生から、手術になる可能性、耳が聞こえる可能性などを詳しく聞く。洗浄をとにかく続けること。抗生物質をキャミックでも打ってもらうこと。近所に洗浄できる病院はないだろう。2日に1回でも宮城から宇都宮に通うしかない。
ボブを受け取ってそのまま東京へ。絶食したので、ホテルで2回のごはんとおやつをたくさん。耳から膿みが出てくる。先生から、洗浄したことで耳の穴が開き、どんどん膿みがでてくると聞いていた。
18日 木曜日
10時半、キャミックにボブを預ける。13時、キャミックで結果を聞く。眼振などもっと症状がでてもおかしくない。気道が圧迫されているので、顎の筋肉が痛いかもしれない。そして耳が聞こえないのは、鼓膜がないからだと告げられる。
ボブとホテルへ戻り、おとなしく過ごす。ごはんとおやつをたくさん食べる。うんちも2回。事前に聞いていたが、造影剤を入れたことでやはり斜頸が出た。左に傾いている。夜も左耳から膿み。
19日 金曜日
臼井犬猫病院で抗生物質の点滴と洗浄。 右耳。また分泌物と毛がでてきた。鼓膜付近が少し開いてきた。左耳。また膿が溜まっている。こちらも鼓膜付近が少し開く。毛がでてきた。
耳の汚れの検査の中間報告。かなり急いでもらったよう。本当にありがたい。ただ結果はあまりよくない。合う抗生物質が少ない菌の可能性が高い。まだ確定できないが、今日から菌に合わせた抗生物質をいれていく。
CT・MRI検査を踏まえて、先生の診断。右耳は中耳炎。左耳は内耳炎。
〈臼井玲子医師のコメント〉
「耳は、外耳炎、中耳炎、内耳炎と進行していきます。ボブくんは残念ながらかなり進行していました。左への斜頸が見られたのは、左耳の炎症が重篤で神経が損傷していたためです。できるだけ早く手術をしなければならない状態でした」
両耳の洗浄を続け、膿みが減ったタイミングで左右別々に手術。骨はとれないので、中側(絨毯部分)を取りきることになる。ただ、どこの病院も年末年始の休みに入ってしまう。先生のところもすでに予約がいっぱいで休みにも入るが、スタッフを集められるか検討してくれることに。ありがたい。
ボブの抗生物質の点滴の間、このところ毎日連絡していた、東京に住んでいた頃の主治医に電話で相談。間接的に臼井先生を知っていて、同じ意見だった。7歳というボブの年齢からも積極的治療はいい。MRIの判断の早さなどからしても、臼井先生を信頼していいのではとアドバイスをもらう。
病院に戻ると、先生が明後日の21日にスタッフを集めてくれたという。託してくれるなら明日洗浄、明後日洗浄してそのまま左耳手術。25日に右耳手術。入院は1月半ばまで。思いもしない展開だったけど、迷いはなかった。
今日連れて帰るか聞かれる。宇都宮ではペットの泊まれるホテルがない。東京からの往復は、手術前のボブに負担がかかる。今日から入院させることを決心する。ボブと面会。麻酔でぼーっとしている。いっぱいいっぱいキスした。こんな思いさせてごめんね。絶対迎えにくるからがんばって。夫婦で交互に抱っこして、交互に顔にキス。簡単なボブのメモと毛布と私が着ていたニットを脱いで渡す。
今までも毎日泣いた。このときはもう涙が止まらなかった。抱っこじゃないと寝ないボブ。7年間ひとりで寝たことのないボブ。ちゃんと寝ること。大好きだってこと。何度も伝えた。
連れて帰れないのに会えばボブもつらい。だから意識のあるボブに会うのはしばらくお預け。毎日毎日つらさが更新されるような日々。一緒にいられなくてもそばにいたい。手術が終わるまで宇都宮滞在を決める。
20日 土曜日
右耳。ずいぶん鼓膜付近が開いてきた。分泌物と毛がでる。左耳。膿みあり。こちらも開いてきた。毛あり。耳の汚れの検査。中間報告での予想通り、前日から開始している抗生物質が適合。ほっとした。入院に備えて、前日にホテルで急遽つくったボブの病歴、食べてきたもの、性格、日頃のケアなどまとめたものを渡す。
いよいよ明日、手術を迎える。
――手術を前に
最初は耳が一生聞こえない可能性があるというだけで悲しかったのに、今はそんなこと、ちっとも悲しくない。耳が聞こえなくてもボブを幸せにする自信がある。手術で顔が変わっても、ただただ苦痛なく寿命を全うしてほしい。元気になって私たちのもとへ戻ってくること。それだけが願い。
ほんの1週間前に異常に気づいてから、毎日知れば知る度、現実の結果は想像を絶してきた。でもたくさんのラッキーもあった。臼井先生に出会えたこと。最短で年明けだった診療が翌日に診てもらえたこと(後から知ったがキャンセルが出たわけではなく、先生とスタッフが昼休み返上で対応してくれたそうです)。キャミックのMRI検査が次の日にできたこと。抗生物質の狙いもぴったり合ったこと。そして手術がすぐにできたこと。臼井先生の病院は、今年こそは長い正月休みを取ろうと決めていたそう。でもボブは急を要するからと休み返上で入院させてくれ、日曜日にスタッフを集めて手術してくれた。最初はかなりきつい先生だと思ったけど、新患のボブにここまでしてくれた。感謝しても仕切れない。何ひとつ欠けてもダメだった。今ボブは頑張っている。今1番つらいのはボブ。手術の日、ボブには会わないけど、そばにいたい。ボブの近くにいることで力になりたい。
21日 日曜日
左耳手術。
25日 木曜日
右耳手術。
――手術を終えて
手術は無事成功しました。手術まではどんどん状況が悪化して、ボブがまた元気になって私たちのもとに帰ってくることが夢物語のように感じました。あの頃を考えると、今でもボブが私たちのところにいるのが不思議なくらいです。退院してきたとき、ボブはげっそりして筋肉もだいぶ落ちていました。私たちに抱っこされると安心したのか、そのまま寝てしまいました。本当によくがんばった。今も毎日のように「おかえり」「がんばったね」と声をかけてしまいます。
食事は手作りご飯。まわりからは過保護と言われるほど、手間を惜しまず世話をしてきたつもりでした。月1回は病院に行っていましたし、アレルギー検査もほとんど異常なし。皮膚もいつもきれいだと言われてきました。耳の疾患とも無縁でした。いつだって耳がきれいで匂いもなかった。それでもこんなことになってしまったんです。何がいけなかったんだろうって、何度も何度も思い返しました。シャンプーは月1回だから、そんなに水は耳に入ってないはず。でも夏は水浴びが大好きだった。芝生に体をこすりつけるのが大好きだからかな。こんなに短毛なのに耳の中にはあんなに毛が詰まっていたなんて……。
フレンチブルドッグの飼い主の多くは、麻酔を恐れすぎていると思います。「耳の洗浄くらいで全身麻酔なんて!」って思うでしょう。でもボブは連日全身麻酔でした。だから少しでも気になることがあれば、恐れずにぜひ1度、ビデオオトスコープで診察して欲しいと思います。ボブは臼井先生に診てもらう前日でも、地元の病院では「耳はきれいだ」って言われたくらいです。たぶん耳の奥が正常な子なんて、ほとんどいないんじゃないかと思います。「耳が痒いとか、臭うとかって人間じゃありえないでしょ」と先生に言われました。本当にそうですよね。ボブは相当の痛みとかゆみがあったんだと思います。
今、ボブには鼓膜がありません。でも、右耳だけ耳小骨がかすかに残っているので、ボブを呼ぶ声にだけは以前のように小首をかしげて反応してくれます。それだけで、もう十分。ボブは本当によくがんばってくれました。
〈臼井玲子医師のコメント〉
「フレンチブルドッグの耳は、入口は広いのですが、途中から鼓膜に向かって急角度に曲がり、とても狭くなっています。耳道入口の毛が落下したり水分が溜まるとなかなか出てきません。さらにわずかな炎症でも閉塞してしまいます。今、多くの飼い主さんが、自宅で耳に液体を入れて洗浄しているでしょう。ですが、この方法は寒い湿気のない国で生まれたもの。高温多湿の日本には、まったく適していません。むしろ耳の奥に入り込んだ液体が残ってしまったり、耳道入口から落下した毛を耳道の奥へと詰め込む可能性すらあるのです。そしてやがて耳炎を引き起こしてしまいます。現にフレンチブルドッグの耳の疾患は、他犬種に比べ圧倒的に多いです。不用意な耳掃除はするべきではありません。
口の中を覗いても胃の中は見えません。それと同じで手持ち耳鏡では、鼓膜まで十分に見ることはできません。耳の奥を見るためには、ビデオオトスコープが必要なのです。しかし残念ながら、ビデオオトスコープのある動物病院は決して多くはありません。ビデオオトスコープを使ってカテーテルによる洗浄や鉗子を用いた治療まで行なっているところはさらに少ないでしょう。見える所だけを耳掃除しているのが現状なのです。治療が遅れれば、中耳炎に止まらず、炎症は内耳や脳にまで進行し神経まで侵されてしまいます。ボブくんのように治療ができればよいのですが、手遅れになるかもしれません。今までは原因がわからず、それが寿命と諦められていましたが、今は治せる可能性があります。 飼い主さんには愛犬のわずかなサイン(耳道入口の分泌物や匂い)を見逃さないように心がけて欲しいと思います。
鼓膜は首の近く(顎の骨の付け根付近)にあります。その辺りを頻繁に掻いたり、イビキが非常にうるさいといった症状(耳と鼻はつながっている)があれば要注意です。また皮膚の疾患がなかなか治らない場合も、耳に異常がある可能性があります。皮膚疾患を薬物などで一時的に抑えても、鼓膜付近の汚れを除去しなければ耳炎は治らず痒みが続きます。耳の痒みが続けば皮膚の疾患も再発します。さらに皮膚の治療といって薬を投与すれば、耳の中の菌はどんどん強くなり治り難くなってしまいます。耳が痒いと掻けばさらに毛が耳道へと入り込んで耳炎が悪化するという悪循環に陥ります。耳以外でも、やたらと掻いたり、手を舐めていたら耳の中に原因が潜んでいるかもしれません。ボブくんの症状の場合、耳炎のために相当頭が痛かったと思います。フレンチブルドッグは我慢強い犬なのです。愛犬の『痛い!』に気付いてください」
〈取材を終えて/小林みちたか〉
耳に液体を入れてブルブルさせて、出てきた汚れを拭うケアをしている飼い主さんは多いと思います。ボブくんも月1回程度行なっていたそうです。我が家の4歳のブヒも、週に1回の耳のお手入れは液体を使っています。実はそれが大変な疾患につながるとは思いもしませんでした。確かに人間の子育てでも20、30年前のやり方の多くは間違っていたという話をよく聞きます。動物医療は近年、目覚ましい進歩を遂げていますから、これまで当たり前だったことが覆されてもなんら不思議ではありません。我が家も一度検査したいと思いました。
ボブくんは会うなり私に飛びかかり、顔をぺろぺろと舐めてくれました。直前に臼井先生からボブくんの切除した両耳(のなか)を見せてもらっていたので、あまりの元気さにびっくりしました。耳も根元こそ多少やわらかいですが立派なバットイヤーで、大村さんも「以前のボブの耳を忘れてしまうくらい違和感がない」とおっしゃっていました。鼓膜がないとバランス感覚が悪いのかと思っていましたが、大好きなボールにジャンピングキャッチしたりと、元気に駆け回っていました。ボブくんが元気を取り戻せたのは、大村夫妻の迅速な行動と判断も大きかったと思います。地元の病院で一度はCT検査を予約するも、すぐに断り臼井先生のもとへ駆け込んだことは、今回の結果の分岐点だったかもしれません。信頼のおける東京の主治医への相談がセカンドオピニオンの役割となり、決断を後押ししてくれたでしょう。「お医者さんにも得意不得意があるので、病院は先生が多い方が安心。また、新しい治療法を積極的に取り入れている病院は信頼できます」とおっしゃっていました。耳の専門である臼井先生に出会えたのも、大村夫妻のボブくんへの愛情が引き寄せたのだと思います。
BUHI vol.34(春号・2015年3月発行)より
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