手術中の様子。モニターの数値をチェックしながら、適切な麻酔管理をしていく(ASAH麻酔科グループ提供)
手術中の様子。モニターの数値をチェックしながら、適切な麻酔管理をしていく(ASAH麻酔科グループ提供)

犬や猫の手術をもっと安心に 家族と動物に寄り添う麻酔専門チームの取り組み

 動物の麻酔を専門に扱う獣医師や愛玩動物看護師がいることをご存じでしょうか? 「ASAH獣医麻酔科グループ」は、これまでの麻酔の常識を変え、動物に対して質の高い麻酔を提供することを目的に設立された、麻酔に特化したグループです。あまりなじみのない「獣医麻酔科医」とは、具体的にどのような役割を担っているのでしょうか? 今回は、グループを率いる獣医師の下田有希さんと、愛玩動物看護師として活躍する竹本恵美さんにお話を伺いました。

(末尾に写真特集があります)

麻酔の常識を変えたい 

施設や病院からの依頼でASAH獣医麻酔科グループの獣医師と看護師が駆けつける。多い日で一日10件以上の麻酔に挑むことも。自分の家族に麻酔をかける気持ちで、一件一件、丁寧に向き合う(ASAH麻酔科グループ提供)

「私にとって、麻酔は一番分からない分野でした。私が学生のころは日本で麻酔を専門的に学べる大学も少なかったですし、就職後も勤務先の麻酔のやり方をうのみにしていました。そうするうちに、『麻酔って何なんだろう?』と疑問を持つようになったんです」

 一般的に「麻酔」と聞くと、「ただ寝かせて痛みをまひさせるもの」というイメージが強いかもしれません。ですが、ASAH獣医麻酔科グループの代表であり獣医師の下田さんがとくに疑問視したのは、鎮痛に対する獣医師の意識だといいます。

「現在の日本では、麻酔の知識や技術は徐々に発展していますが、いまだ浸透し切っていないように思います。動物も人間と同じで、術後に麻酔が切れれば痛みを認識してパニックを起こしたり、気持ち悪さや倦怠(けんたい)感などの不快さも感じます。どこの病院でも動物が目覚めたとき、より快適な状態でいられるようにする努力が必要だと思いました」

ASAH獣医麻酔科グループ代表で獣医師の下田さん。愛犬のチワワ「ブーブ」とボストンテリア「コボちゃん」と(ASAH麻酔科グループ提供)

 そんな下田さんが獣医麻酔科医に転身したのは、当時勤務していた埼玉動物医療センターが麻酔科を立ち上げることになり、そこに参画したことがきっかけ。

「そこで麻酔科医として経験を積み、知識を増やしていくうちに、『麻酔は、手術に伴う痛みや不快感から動物を守る、優しいものだ』ということに気づいて大好きになりました。動物の麻酔の常識を正しくしたい、麻酔のレベルを上げたいという思いから、同センターの麻酔科長を5年ほど務めた後、2019年にフリーランスの獣医麻酔科医として独立し、ASAHを立ち上げました」

 立ち上げ後は、主に紹介でメンバーを増やし、現在、獣医麻酔科医と愛玩動物看護師、獣医麻酔科医を目指す獣医師など15人が所属。10施設を訪問し、麻酔の知識の提供や麻酔の施術を行っているといいます。

家族の不安に寄り添う

 一般的な動物病院などでは獣医師や看護師が麻酔管理をするケースが多いなか、獣医麻酔科医はどのように手術に関わっていくのでしょうか。

「私たちはまず患者さん(犬や猫)をお預かりしたら、カルテと検査結果をもとに外科医と話し合い、手術内容に適したプロトコル(麻酔の計画表)を細かく組み立てていきます。麻酔とは本来、犬と猫での違いや、患者さんのご年齢、手術内容に応じて調剤していく繊細なもの。歯の治療なのか開腹手術なのか、どこの筋肉をどう切るのか、痛みレベルはどのくらいか、といった違いで選ぶ薬剤が変わってきます。

 麻酔中の『痛み』は呼吸の回数や心拍数・血圧などのバイタルデータから把握します。動物は言葉で痛みや不快感を表現できないため、既存の痛みの評価法や、人間の参考書等に記載されている細かい不快感、たとえば『この薬を使ったら手術後に気持ちが悪くなる』『麻酔後はのどや口の中が乾く』といったことなどを参考に、動物の気持ちを極力考えたケアをしています。麻酔をかけた瞬間から目覚める瞬間まで、動物にとって不快なものを排除し、痛みや苦しみのない、質の高い目覚めを導くことを目指しています」

人間の場合、気管にチューブを挿入する際、皮膚切開以上の痛みが伴うと言われているため鎮痛薬を使う。獣医麻酔科医は、犬や猫が刺激に反応しない程度まで麻酔を深めていく。麻酔中は体温が下がるので、毛布をかけて下に暖かいマット敷いて靴下をはかせる。目は乾いたり傷つかないようにテープで保護する(ASAH麻酔科グループ提供)

 愛するペットの手術を余儀なくされたとき。「入院中や手術中の様子が心配」「高齢の子に麻酔をしても大丈夫?」と不安を抱える家族は多いはず。

 ASAH獣医麻酔科グループに所属する看護師の竹本さんは、「患者さんだけでなく、ご家族の不安に寄り添うことも私たちの役割」と言います。

「看護師は、患者さんが少しでも普段通りに安心して過ごせるように、ご家族に性格などをヒアリングします。ご家庭内での呼び名や、だっこは好きか、どこを触られると嫌がるのか……。『愛用しているタオルや匂いのついた毛布などがあれば、一緒に預けてください』とお伝えしていますね。そして、不安な気持ちは私たちがご家族に変わって、手術室内や先生たちにも共有するようにしています。不安そのものを解消することはできなくても、共感し、寄り添うことはできると思っています。患者さんが穏やかに目覚め、『おはよう』と声をかけてあげられたときに、一番やりがいを感じます」

 下田さんも「看護師、外科医、麻酔科医の連携によって、手術室全体が患者さんのために一丸となってムードをつくっていく。チームワークが大切な仕事だと感じています」と話します。

手術室で動物のケアにあたる愛玩動物看護師の竹本さん(ASAH麻酔科グループ提供)

麻酔の正しい知識を

 動物とその家族の不安に寄り添い、少しでも軽減させるべく、同グループでは今年から麻酔外来を開始しました。

「ご家族は、『麻酔のことが分からないから不安』なのだと感じています。外来では、麻酔のアレルギーや副作用、合併症などのデメリットや起こりうるリスクについてお伝えしたうえで、それらに対しどう対処していくかをご説明しています。ご家族にも麻酔を正しく理解していただくことで、少しでも安心につなげていけたらと思っています。ご家族の思いを自分に落とし込むことで、自分の家族に麻酔をかけるような気持ちで患者さんと向き合えると感じていますね」

左から、竹本さんと下田さん(ASAH麻酔科グループ提供)

 さらにASAHでは、麻酔の体系的な知識を求める獣医師や看護師、獣医学生に向けて、セミナー動画も配信しています。

「ASAHに所属するまで麻酔に携わることが怖かった」という竹本さんは、「同じような気持ちを抱えている看護師さんたちに向けて、麻酔中、看護師がどのような働きをするかを伝えていきたい」と言います。

 下田さんは今後の展望について、次のように語りました。

「ご家族からの希望で、麻酔科医を呼んでいただくこともできます。ただ、麻酔科医を呼ぶことだけが今後正しい選択となるのではなく、各病院の獣医師さん自身が麻酔に対する深い知識を持ち、動物に対して正しく麻酔をかけられるようになってほしい。現在は関東を中心とした活動ですが、これからは各地域に活動拠点を広げていきたいですね」

 1匹でも多くの動物が、術後に穏やかな朝を迎えられるよう、ASAHの健闘はこれからも続きます。

増田夕美
ライター・編集者。ホテル広報、出版社勤務を経てフリーランスに。ファッション、インテリア、カルチャーなどライフスタイル関連の雑誌、WEB、書籍の制作に携わる。動物歴は幼少期からこれまで猫2匹と犬1匹。現在は三毛猫と暮らす。

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