アジアゾウの「はな子」一周忌 市民から思い出の写真550枚
26日に一周忌を迎えたアジアゾウ「はな子」。井の頭自然文化園(東京都武蔵野市)の人気者だった「彼女」との思い出の記録集の制作が進んでいる。呼びかけに応じた市民から、約550枚の写真が集まった。
(末尾に写真特集があります)
記録集の仮題は「はな子のいる風景」。市立吉祥寺美術館の事業で、古い映像で市民参加型の記録を作る大阪市のNPO法人「記録と表現とメディアのための組織(remo)」の「アーカイブ・プロジェクトAHA(アハ)!」と名付けた企画の一環。AHAは「Archive for Human Activities」の略だ。
これまでも同美術館と協力し、地域住民による写真・映像記録の発掘・活用事業を進めてきた。はな子の記録を収集してきた自然文化園とも連携している。
remoの松本篤さん(36)は「この地域の家庭の映像を集めるうち、はな子がそれぞれの家族の大事な場面にいることに気づいた。はな子の存在を通じて生活を振り返りたい」としている。
記録集は同美術館で9月に開催する企画展にあわせて発行される予定だ。
■ゾウの毛、硬いんだ/いつも会えるのが楽しみ 協力した家族、振り返る
記録集に協力した3家族が、思い出の一枚とともに当時を振り返った。
はな子は1949年、2歳でタイから上野動物園(東京都台東区)に。50年から3年続けて井の頭自然文化園に移動動物園でやって来た。その際、小平市の木藤(きとう)一郎さん(78)は初めてゾウを見た。背に乗ると、足にはな子の毛があたった。「ゾウの毛って硬いんだなあと思った」
地元の要望で、はな子が井の頭へ引っ越して2年後の56年、酔った男が忍び込み、はな子に踏まれて死ぬ事故が起きた。はな子は足を鎖につながれたが、60年には飼育員も事故死。「鎖に引っ張られて動けなかった姿を覚えている。かわいそうだった」
やがて新しく飼育員になった山川清蔵さんが鎖を外し、はな子は元気を取り戻す。木藤さんは「はな子のまわりはいつも人垣ができていた。いて当たり前の存在でした」。
埼玉県の白川慎吾さん(62)は幼いころ父を亡くし、三鷹市の母子寮で育った。仕事を三つ掛け持ちしていた母に休みはなく、なかなか遊びに連れて行ってもらえない。だから、4歳で初めて目にしたはな子は忘れがたい。「『こんなにでっかいものがいるんだ』と。いつもゾウに会えるのが楽しみだった」
武蔵野市の土井孝さんは初孫を皮切りに約20年間、園近くの自宅から4人の孫を次々に連れて通い、はな子が死ぬ前日に74歳で亡くなった。長男の茂さん(45)は今月、吉祥寺駅北口にできたはな子の銅像に父の遺影を見せた。「父は、はな子に癒やされているようだった。今ごろ向こうでも、はな子を見ているんじゃないかな」
(青木美希)
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