「聖徳太子の愛犬」雪丸像も町文化財に 奈良・王寺町
奈良県王寺町教委は、「石造雪丸像」と「達磨(だるま)寺旧本堂瓦製露盤(がせいろばん)」、「聖徳太子御絵(おんえ)指示」の3点を町指定文化財にしたと発表した。いずれも聖徳太子ゆかりの達磨寺に関連する文化財。聖徳太子御絵指示は16、17日に本堂内で特別公開される。指定は3月25日付。
町教委によると、昨年5月に町文化財保護審議会に諮問し、今年3月の答申を受けて指定した。
石造雪丸像は、寺の境内に置かれ、町マスコットキャラクター雪丸のモデルにもなった。雪丸は、江戸時代末から明治時代初めごろの作成と考えられる古文書「達磨寺略記」に、聖徳太子の愛犬で、人の言葉が理解できてお経を読んだ、という記録がある。像は1791(寛政3)年出版の「大和名所図会」にも登場。花崗岩(かこうがん)製で、江戸時代に作られたとされる。台座と合わせた高さは65センチ。
達磨寺旧本堂瓦製露盤は、1692(元禄5)年に作られた屋根飾り。全体の高さは98センチで、法隆寺の瓦師、橘吉長が手がけた。「大和名所図会」の挿絵にも描かれており、現在は各部材がセメントで接合されている。「伏鉢」と呼ばれる部分にも銘文があることがわかったが、セメントで覆われている箇所があり、全文は判読できない。今年度中に町教委がセメント除去などの修復を施し、境内で公開される予定だ。
聖徳太子御絵指示は、鎌倉時代の巻物で、全長19・2メートル。聖徳太子の10歳までの伝記などが書かれてあり、鎌倉時代末期に橘寺の長老、法空が著した聖徳太子研究の注釈書「上宮太子拾遺記」(全7巻)の第1巻を同時代に書き写したものと考えられる。
拾遺記は原本が残っておらず、全国に5点の写本があることが知られるが、法隆寺所蔵の写本以外は江戸時代以降に書き写されたもので、同寺所蔵の写本と並ぶ重要な史料という。町教委による達磨寺の古文書調査で見つかった。
発表は6日。平井康之町長は「町の財産と位置づけ、聖徳太子ゆかりの地、といっそうアピールしたい」と話した。
(小林正典)
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