「吾輩は猫である」がたのしい! 寄稿・町田康

『吾輩は猫である』を何年かぶりに読んだら、嬉(うれ)しくなって、あみゃみゃ、鳴いたり、驚嘆して、ぎゃん、と一声発したり、共感して、ぶくぶくぶく、と咽(のど)を鳴らしたり、感動して、ふぎゃあ、と叫ぶなどして暫(しばら)くの間、人間としてまったく使いものにならず社会から見捨てられてたのしい。


 嬉しくなったのは、笑い、の部分で、いまでもよく使われる笑いの技法が百年前に書かれた小説のなかで炸裂(さくれつ)しているところが嬉しかった。どんな技法かというと、例えば、奇怪なくらいに巨大な鼻、禿(はげ)といった、人の身体的特徴について、「おまえ、文豪やろ。小学生か」と言いたくなるくらい、ことさら、執拗(しつよう)に言及するという技法で、同じ言葉を何度も繰り返すことによって、おもしろさの波がどんどん大きくなっていく。


 繰り返しというと、誰かがやったなにかを別の人が少し形を変えて繰り返すというのもしみじみとおもしろかった。どういうところかというと水島寒月の「演舌(えんぜつ)」や長い語りを迷亭らが形式をそのままに内容を馬鹿馬鹿しいものに変えて繰り返すといったところで、落語などにもよくみられるけれども、これを文章でやると、リズム感だけではなく、より緻密(ちみつ)な展開が可能なので、その元の真面目な議論だけではなく、この世にあるいろんなことの意味を無化して、白いけど乾いて楽しい空気感が醸成されて、いや増しておもしろい。


 緻密な展開というと、普通に考えれば、どう考えても暴論もしくは極論、いや珍論としか言いようのない訳のわからない珍妙な理屈を、それが恰(あたか)も正論のような口調で真面目かつ緻密に展開する技法もおもしろい。「言うてるおまえがおもろいわ」というやつだが、話が緻密に展開するので、「言うてるおまえもおもろいわ」ということになるのは右に言った通り、これを小説でやっているからだけど、いまそういうおもろさを追求した小説はあまりないように思う。また、その暴論が途中で頓挫して、或(ある)いは、大事件について語ると宣言して語りを開始し、語り終わってみるとそんな大事件でもなく竜頭蛇尾に終わったとき、急に居丈高になって居直るような部分もかわいい。


 しかし、そうして笑いのうちに提示された暴論・極論が、小説が進むにつれて次第に正論になっていることに気がついたときは、ぎゃん、と叫んでしまった。実際の話が百年後のいま起きているいろんな事件や事象が、ここに書かれている暴論によって概(おおむ)ね説明がついてしまうからである。おそろしいことである。


 そして結末に近づくにつれて語り手の猫と他の登場人物は新時代と旧時代の葛藤をはらみつつも次第に合一していく。その成り行きはライブ感満載で、まだ三十半ばの軽輩である作者の、書いている最中の息づかいまで聞こえるようで私は、ふぎゃあ、と叫んでしまったのだった。割と最初の方に提示される、死へ近づく気持ちは結末において成就、暴論風の虚無的な正論を切実なものが保証する仕組みになっていて、でもその全体を猫のかわいらしさと笑いが救っていて、やあっぱりぃ俺はーああああっ、吾輩は猫であるー、と歌が止まらない。たのしい。

 

まちだ・こう
1962年生まれ。2000年に「きれぎれ」で芥川賞、08年に「宿屋めぐり」で野間文芸賞。「スピンク合財帖(がっさいちょう)」「猫のよびごえ」など犬や猫との日々をつづったエッセーも多数。
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